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「きっと楽しいから一緒に踊ろうよ」に誘われて
「いつだって当事者の熱量が一番アツくて、輝いている」
昔から、本気でそう思っている。
自らの感動をどれだけ多くの人と共有することができるのか。感動を享受する当事者の分母をどれだけ増やせるのか。当事者になるのか、はたまた傍観者でいるのかは、天と地ほどの開きがあると思う
そんな価値観を共有できる仲間集めをすることがゴールの人生ゲームを楽しんでいるような気がする。
当事者か傍観者か。例えるなら、高校の文化祭で踊ったフォークダンスのようだ。確か高校2年生の後夜祭だった気がする。年頃の男子達は女子と一緒にフォークダンスを踊ることは恥ずかしいことだと思っていた。
最初は誰かが「楽しいから踊ろうよ!」と仲間を集める。誘われた私は、意を決して、輪の中心で踊る。男女並んで踊るドキドキ感、ハラハラ感は、いくら外で見ていても味わえなかった当事者限定の感覚だ。
傍観者は「同じクラスのあの男子はダンスクオリティが高い」だとか、「普段は照れ屋なあのカップルが手を繋いで踊っているのが珍しい」だとか、フォークダンスを単なる観る催しとして楽しむ道もあるかも知れない。それでもやはり控えめに言っても中で踊っているのが一番楽しい。
どれだけ多くの人と感動を共有できるか
それからずっと、「一緒に踊ろうよ!」と周りの人に声をかけていく人生だったかも知れない。
大学でも学園祭実行委員会として、1人でも多くの在校生に当事者として参加してほしくて、どこへ行っても「踊らない?」と仲間を集めてばっかだったし、新卒から職業として選択したパブリックリレーションズだって「見て見て〜」という押し付けより「一緒に踊ろうよ」という巻き込みが、その特徴を的確に捉えていると思う。
昔も今も「一緒に踊る」=「共に創る」「巻き込む」という価値観をすごく大事にしていると思う。
自社のサービスでも、連携するプロダクトを作ったり、代理販売がビジネスとして成熟していたり、パートナーと共創する余白が他社とくらべても多そうだ。
自分たちで全部コントロールして、「これ、いいでしょ?」と押し付けスタンスのものもたくさんあるが、「一緒に踊れて楽しいね!」という感動を共有できる瞬間が多ければ多いほど私は嬉しい。
「チームワークあふれる社会」を目指して、一緒に踊れるといいな。
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