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「相手のことを考える」って突き詰めると優しくすることではない気がする

こんにちは、urauraです。最近「NO RULES」を読んで意見の仕方を意識するようになったことで考えるようになったことがあります。それは「相手のことを考える」ということ。ついこの前まで「相手のことを考えて意見する」ことは「相手を傷つけずに仲良くやっていけるように意識すること」だと思っていましたがそうではない気がしています

本当の意味で相手のことを思うのであればネガティブなフィードバックも伝えることこそが大事なのではないかと(もちろん伝え方や意識の仕方は大切です)。

今回はそんなふうに考えている背景と本当の意味での「相手のことを考える」を実現するために必要だと感じていること「相手のことを考えて」を悪用しているパターンについてまとめていきます。

「相手のことを考える」=「優しくする」ではない

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大前提として、「相手のことを考える」は怒ったりせず優しくしてあげるということではないということです。つい最近まで自分は優しくすることだと思っていました。なぜそう考えてしまっていたのか。それは「自分が傷つきたくないから」だったのかなと思います。

例えば何かを指摘する場合、相手に対して厳しい指摘をするより優しくする方が相手に嫌われる心配も少なく、面倒なことになる可能性も低いです。「誰からも嫌われたくない」という考えをよく表現するために「相手のことを考える」という言葉に置き換えていたのかもしれません

真の「相手のことを考える」とは

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では真の「相手のことを考える」とは何を表しているのか。それは『「相手が今より良くなるためには」と考えること』だと思います。

つまり相手に対して何事を行うにあたっても、それら全ての行動は「相手が今より良くなるため」に行うという目的をはっきり持つということです。

そこに対して「自分がなんとなく気に入らないから」「私の感覚ではこうして欲しいから」といった理由で相手に何かを働きかけてはいけないと思っています。それは単なる自分の鬱憤を晴らす行為にしか過ぎないためです。

「とは言ってもそんな正直に言えないよ」という方

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はい、自分のそのうちの1人です。頭で理屈は分かっていてもなかなかそんな風には言えないです。でもその原因と解決の糸口は自分の中で見えています。それは「信頼」です。信頼が構築できればいずれ「相手のことを考える」行動ができるのではないかと思っています。

信頼と一言で言っても人によって信頼できる基準は違うと思います。指摘を例に捉えると、私の場合はこんな風に感じられている時が「信頼」だと思っています。

・この人に言われることなら受け入れられる
・自分を良くするために指摘してくれているんだろうな
・相手の言葉を素直に聞き入れられる
・指摘から個人的感情を感じない

こう感じられる瞬間は家族や彼女であったりなど私生活で感じることはもちろんありますが、最近では社内のパーソナルコーチの方と1 on 1する時やチームの人たちと意見を交わしている時から感じる機会があるような気がしています

こうした信頼があれば会社であってもお互いの成長を考えての素直な意見、フィードバックができるようになるのではないかと思います。

そして何よりこの関係を築くことでメリットがあるのは自分です。上辺だけの関係だと人は相手に対して「良いところ」しか伝えてくれません。しかし信頼関係があれば自分の「悪いところ」もフィードバックしてもらえるようになります。そうすれば自分をより成長させる機会を得ることができます。これが最大のメリットです。

まずは「信頼」構築から

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以上のように信頼を築いていくことができれば真の「相手のことを考える」を実現することができると思います。一見考えると「相手のことを考える」行為は自分が傷ついてしまいそうでとても辛い行動ように見えますが、信頼という土台がしっかり築けていれば最終的に自分がメリットを得られる関係だと思います。

早くこうした関係を実現できるように、まずは自分が信頼されるような行動をとっていきたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました!



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