見出し画像

【日本建築史】東三条殿と寝殿造り

画像1

画像は,「世界の歴史まっぷ」様のHPより引用

前回からの続きです.

平安時代になると貴族の住宅として寝殿造りが登場します.上画像の東三条殿(ひがしさんじょうどの)のように中央にある寝殿を中心に,その南側に南庭や池,中島が拡がる構成です.東西・北側には対屋(たいのや)があり,渡殿(わたどの)という屋根付き廊下によって寝殿とつながっています.

尚,両側吹き放しの場合は透渡殿(すきわたどの)や透廊(すきろう)と呼ばれる.西側の池に面しては釣殿(つりどの)があり,吹き放しの建物で納涼などの目的で使用されました.

東側にメイン玄関となる東中門(ひがしちゅうもん)があり(上画像の東透廊と表示されている部分),寝殿を含み東対(ひがしのたい)や東北対(ひがしきたのたい)は,主人の生活空間(=客を招く公的空間)で「はれ」という.

一方,西対(にしのたい)や北対(きたのたい)は家族の生活空間(=客を入れない私的空間)で「け」という.製図試験でいうオモテ(メインアプローチやエントランスホール等)とウラ(サブアプローチや管理ゾーンの通用口)の関係と同じ.建物には,オモテとウラがあることを覚えておきましょう.

平安時代の歴史背景や生活スタイルについては↓のYoutube動画が分かりやすいです.

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?