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【日本建築史】平等院鳳凰堂 洗練された和様

前回からの続きです.

平安時代,肥大化する権力が政治へと影響されることを朝廷から恐れられ,都から追い出された仏教は,この世界の仕組み(真理)を極めることを目的に険しい山の中で修行を続ける形の信仰スタイルへと変貌していきます.一方,貴族たちはそんなストイックな信仰観についていけません.

「アイツら(僧侶たち)は,筋肉で物事を考えている!山の中でひたすら修行なんて無理っ!」

と独自の信仰スタイルを模索しはじめます.そこでたどり着いたのが浄土信仰です.浄土信仰とは,この世の真理とかどうでもよくて,とにかく死んだら極楽浄土(天国)へいきたい!」というものです.結果,浄土の世界を建築で表現しようとします.

その代表作が平等院鳳凰堂↓です.

時代は藤原氏による摂関政治の時代.その頂点を極めた藤原道長の息子,頼道が都での政治争いに疲弊し,別荘を阿弥陀堂(阿弥陀如来を祀る仏堂)に改修したものです.

↑のように,中央にある中堂の左右に翼廊(よくろう)が配置されています.この翼廊をよ~く見てください.翼廊の下部はピロティ状になっており,地面から浮き上がっております.まさに鳳凰が翼を広げ,飛び立とうとしている姿に見えます.このように翼廊が重層(一層目がピロティ,二層目が廊下空間)となっているのが特徴です.平等院鳳凰堂は,20年以上,一級建築士「学科」試験に出題されておりませんが,二級建築士試験には出題されております(そろそろ一級建築士試験に出題される頃合いです).

例えば,平成29年の二級建築士「学科」試験しは次の知識が問われています.

【問題】
平等院鳳凰堂(京都府)は,中堂の左右に重層の翼廊が配置されており,奈良時代に建てられた建築物である.

【解説】
平等院鳳凰堂(京都府)は,平安時代に建てられた建築物である.問題文には,奈良時代に建てられたとあるため誤り.中堂の左右に重層の翼廊(よくろう)が,背後には尾廊(びろう)が配置されており,鳳凰のような平面形状をなす.

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↑画像はGoogleEarthより

【解答】×

和様建築は,薬師寺東塔で三手先組物が登場し,その後,唐招提寺金堂で和様の原型が完成します.そして,この平等院鳳凰堂では,さらに洗練された形で和様が進化したと言われています.
続く

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