引っ越し 0214 (1226)

年末に引っ越しをした。

計画自体は2022年の夏からあったものの、契約更新の費用がゼロになるというラッキーハプニングと、恐ろしいまでの惰性の引力でここまでの期間住み続けてしまった。


初めて高円寺に降り立った日のことは鮮明に覚えていて、平日の昼に内見にやってき、アクセスと眺望がなかなか気に入り、帰りに高円寺人気ナンバーワンの天ぷら屋(卵の天ぷらが本当に美味しい&殻を片手で油に割り入れそのままゴミ箱へと投げ入れるパフォーマンスがとても楽しい)に並び、大学生にしてはいい値段のランチを食べた。
最後まで他と迷ったけれど、高円寺の持つ「若いうちに住むべき街なのではないか性」のようなものが決め手になった。

結果、27歳になるまで丸7年間、本当に惰性のまま住んでしまった。

退去の日、二口コンロの終わった油汚れを激落ちくんで落としていて、ふと大4の夏を思い出した。

人当たりの良さでまあなんとかなるでしょうという当初の楽観的な予想とは裏腹に、就活は全くと言って良いほどうまく行かず、すべての選考に落ち続け、8月になっても毛嫌いしている(し、くわえてシンプルに夏に着るものとしては設計されていないので、8月に着るには死ぬほど暑い)リクルートスーツを嫌でも着ねばならず、袖を通した瞬間にどうしようもなく涙が出てきてしまう、みたいな夏休みを過ごしていた。

頭では就活くらいで人生は終わらないとわかっていても、リアルの生活は本当にどうしようもなくなっていき、選考の予定が読めないのでバイトも入れられず、ましてや卒論や恋愛には全く食指が動かないため、文字通り「金なし彼氏なし内定なし」の大学四年生になっていた。

金がない上予定もないので、昼過ぎまで寝て少し日が傾いた頃に活動を開始し、ユータカラヤでレモンの炭酸水を買って駅前のベンチに座り、本を読みながら道行く人をただぼうっと見る、という風にして日々時間を使っていた。

横断歩道を渡る人々をただ見る中で、この人たちは自分にどこまでも無関心であって、「自分にとっては地獄」的な今の自分のハードモードな状況、生活、ひいては人生を知ることは一生ないんだということを感じさせられた。それがNNTの私にはとても心地よかった。何物にも代え難い安心感のようなものがあった。

BGMはきまってカネコアヤノのさよーならあなたで、
ふざけた言葉がだいすき
ヘイ ベイベ たまにはいいでしょう
というサビの歌詞を異常に気に入った私は、エンドレス再生でベンチに居座り続けた。

急にそんな夏を思い出して、さよーならあなたを徐に掛けて、掃除しながらちょっと泣いた。



業者が来るまで時間があったので、近所の行きつけの喫茶店に行った。白髪のマスターにこのあとすぐ引っ越すこと、引っ越し先、しばらく来られなくなることをまとめて伝えたら「あの辺りはいいよ」と笑って言われた。

定期的に来たいと思っている、とは返さなかった。

これより少し前に別の行きつけの居酒屋に行ったとき、引っ越すけれども月一で来る、と言って後悔したことがあった。
第一、月に一度も来られるわけがないし、もし仮に月一で遊びに来たとしても、その質は今と違うものに決まっている。
そんなものは今わたしがとらえている街じゃない。


現にわたしは引っ越して2ヶ月、一度も高円寺に行っていない。

今の生活もこれはこれでわりと気に入っていて、刺激がない分いろんなお茶を買ってきて淹れたりして、極めつけに春待ちのチューリップも飾ってみたりして、なかなかいいじゃんと思っている。

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