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学校ってなんだろう?〜ビール屋なのに「school」がつくわけ〜

学校、今子どもたちの教育をどうしようか、そんなのが話題になっています。さて、うちの会社は「MobilExSchool」という名前をつけています。なので、実は「学校」に深いつながりがあります。なので、今日はこの「学校」を考えてみたいと思います。

■MobilExSchoolの由来

「mobile」=移動式
「ex」=体験(experienceの略)
「school」=教室

言ってしまえば、全てが色々な事象全てが体験だと考えており、そんな体験を通じて、自ら考え、仲間を巻き込み、明るく行動していく「世界を味方にする力」が必要であるという意味でこの名前をつけました。

なぜ、ビールの会社なのに、学校(school)なのか。
後々ビール専門の名前に変える可能性は大いにあるのですが、今このままでいるのは理由があります。

ここで言う体験とは体験教室にとどまらず、様々な人に会い、話をしたり、社会的課題にぶつかってみたり、働く現場をのぞいてみたり、最先端から世界の技術に触れたり、調べたり、借りたり、買ったり、作ったり、考えたり・・・そんな五感をフル活用するすべての行為だと考えています。

ビールを通して、こんな体験を提供したい、提供というか、世の中の人たちと一緒に作りたいという思いです。

■学校の由来

数学者の森田真生さんが「この日の学校」というイベントを開催する際に、こんなことを言っております。

学校(school)ということばは古代ギリシア語のスコレー(schole) ということばを起源にもつ。スコレーとは、古代ギリシアや古代ローマの市民が、音楽や芝居、議論を楽しんだり、スポーツを嗜んだりした暇な時間、あるいはその暇つぶしをした場所そのものを意味する。このスコレーということばは、現在の「学校」ということばが持つ語感よりも、はるかに本来の学問のあるべき姿と近しい関係にあることばではないだろうか。

何か与えられたカリキュラムがあって、一方的に先生から与えられた知識を吸収していくというのではなく、主体的に集まった人々が、それぞれの関心にしたがって何かを調べたり、何かを楽しんだりする。そこには決められた課題も、与えられた研究目標もなく、それぞれがそれぞれの「そのときの課題」を発見し、それを追求していく。スコレーということばが喚起する。

今、学校教育をどうするかという話が出ています。
授業の遅れ、受験への不準備、などなど、一斉に同じものをこなすという考えのもとでは、不利になることも多々あるかと思います。だけど、その時間をこなすものではなく、もし自分の興味のあることを見つけたり、邁進したりする時間に使えたら、すごく意味のある時間ではないかと思うのです。

そして意味なんかなくても、「与えられない」時間を体験していることがいつかの力になると思っています。

うちには小学6年生の離れて暮らす息子がいます。期待はしてなかったけど、「勉強してる?」と聞くと「してない!だけど料理が楽しくて自分で作ってる!」と言っていて、僕はそれでいいんじゃないかと思いました。

本来、やりたいことがあって、そこに足りないものを学び、やりたいことが少しづつできていく。そうするとわからないことが出てくる、の繰り返しであって、このやりたいことを見つける1つが学校である。そしてやりたいことを見つけるために、基本的なことを学んでいく。という流れを考えると、今の学校に行かない時間もそれはそれでアリなんじゃないかと思う。外に出て遊べないからこそ、時間が多々あるわけだし、色々と考えるきっかけになるのであれば。

■改めて学校って?

じゃあ、学校ってなんなんだろう?

今、「オーモリストリート合唱団」という子供たちの合唱を、プロのミュージシャンと一緒に運営しています。おそらく合唱団をやっているビール屋は世界に1つしかない、と思うのはさておき、合唱ってオンラインだとすごくやりにくい。だけど、参加する子供たちにとって、きっと合唱を練習することも大事だけど、仲間たちといつもと違う場所で会う、そこはいつものようなコミュニケーションができなくても、だからこその楽しみを感じることができるんではないかと思うわけです。

その違うという「異物」こそが大事であって、「異物」があると、体はその異物に反応をする、反応するとそことの差異を感じながら、そこと協調しようとする。すなわち共通点を探し、相手を受け入れようとする、もちろん抵抗もあるが。。。で、それを巻き込めるようになると1段階パワーアップする。(孫悟空みたい)

そんな体験を「異物」はもたらしてくれるのではないかと思っています。学校ってそう言う場で良いのではないか、学び=貯金や見える資産に考えるのではなく、見えない資産で良いのではと言うことですね。

だからこそ、カリキュラムを整えることに注力するのでなく、異物をどうしたら受け入れやすくするかが大事なんじゃないかと思う。その異物こそが多様性であって、多様性とは単にいろんな人がいるということではなく、どんな事態・時代になるかわからないよということだと思います。つまり、今こそ教える唯一のことは「わからない」で、そこからはじめようということが学校でやることなんじゃないかと考えています。

つまり、学校とはわからない、わかることが学校と言う前提ではありえない話かもしれないけど、もうこうすればいいって言う時代ではないからこそ、学校の意味を再定義することが必要であり、その役目をビールが、いやビールのある場が作れるんじゃないかというのが、僕なりの考え方です。

だからこそ学校でありたいなというのが、「MobilExSchool」の理由なのです。

ただいまクラウドファンディング挑戦中です!色んな思いを込めてやっていますし、よければぜひ共犯者になってください^^


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