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おばあちゃんの「人生」が知りたい!

和三盆と申します。砂糖の名前のライターですが、れっきとした人間です。


突然ですが、

「中卒で美容学校に入って18歳で国家試験に合格した」
「19歳で上京し、美空ひばりが通っていた美容室に就職が決まった」
「43歳で高校生になった」

これ全部、私の祖母(80)のエピソードです。


「えっ⁉︎このライターのおばあちゃん、どんな人生歩んでるの⁉︎」
「というか、エピソード強すぎだろ!」

そう思ったこれを読んでいるあなた!

私もつい先日までそう思っていたのです…。

〜〜〜回想〜〜〜

私の祖母は昔から、機嫌が良くなるとよく若い頃の話をしだす人でした。

聞き飽きた話には適当に相槌を打っていました。

小さい頃から聞いていた祖母の話は、
1つ1つのエピソードがありえないくらい濃い!
あれは子どもにする話ではない!

(すべらない話に出ても無双できそう…それはさすが無理か)
(「濃さ」をどうやって例えよう…)

まあとにかく濃い!皆さんも最初で分かったはずです。
特に「美空ひばりの〜」の話は、私が小学生からの持ちネタです。
(祖母は誇張して、「自分は美空ひばりと友達だ」なんて言いふらしてましたが)


ただ今までの私は、祖母のエピソードトークの「量」と「濃度」だけに注目しており、
祖母の波瀾万丈な「人生」には一切言及しようとしていなかった!!!
(え〜血縁者なのに〜)

皆さんも、私の祖母の「人生」が気になってきましたよね…?
分かります分かります。


和三盆はこの春に上京しており、4月から家族に会えていない状況です。

「会えない時間が愛を育てる」とはよく言ったもので、祖母に会っていない間に祖母のエピソード、いや「人生」が無性に気になってきました。
また、自分も東京で暮らし始め、私と同じく若い頃を東京で過ごしていた祖母の「人生」が、改めて気になってきたのです。

そこで!

そして!

(これを読んでいる都民の皆さんは、「行ったことのある土地だよ!ふざけるな!」とお思いになるでしょうが、どうか勘弁してくださいネ!)

(何せ私は、まだ上京してから5ヶ月も経っていないのですから!)

ということで、
この記事は、インタビューとその後の散策の2部構成となっております。
少々長い記事であることをご承知おきください!


1部 インタビュー


1部に出てくる人

この記事を書いている人。
幼少期に祖母が営んでいた美容室で週刊誌を読んでいたため、ゲスい人間に育ってしまった。

和三盆の祖母。上京するまで一緒に暮らしていた。3年前まで家の近くで美容室を営んでいた。


@青森県某所

4日間の帰省。短かったけど都会の喧騒を忘れてのんびりできました。


〜〜〜帰省初日〜〜〜

和三盆 「オモコロっていうメディアに応募する記事に、おばあちゃんの
     若い時の話を載せたいんだけど」

祖母  「え?なんだって?オモ…」

和三盆 「なんかね、面白い記事がたくさんあるメディアで…」

祖母  「ふーん(絶対に分かっていない)」

祖母にオモコロの説明をするのは困難だと気づいたので、
若い頃の話をインタビューして記事にする、ということだけは伝えました。

和三盆 「…おばあちゃんの人生を記事にしたいってこと!」

祖母  「取材来ちゃったらどうすんの〜(ばりばり方言)」

細々と書いてる大学生の記事が大々的に取り上げられることなんて無いでしょうが、ひとまず帰省最終日にインタビューすることとします。


〜〜〜帰省最終日〜〜〜

和三盆  「じゃあインタビューしていくね、中学校卒業の話からお願いし  
      ます」

祖母   「中学校を卒業して、その後に美容学校に入学したの」

和三盆  「その専門学校は2年?」

祖母   「いや1年、今は2年だけどね」

和三盆  「え、1年⁉︎」

中卒で専門学校入学、修学期間が1年というのは驚きです。
調べたところ、平成7年の美容師法改正&平成10年の施行により、美容学校は1年制から2年制になったそうです。さらに現在は、最低でも高校を卒業した者でないと専門学校に入れません。

(養成施設指定の基準)

第三条 法第四条第三項に規定する美容師養成施設の指定の基準は、次のとおりとする。

 昼間課程に係る基準

 学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九十条に規定する者であることを入所資格とするものであること。

 修業期間は、二年以上であること。ただし、理容修得者課程の修業期間は、一年以上であること。

平成十年厚生省令第八号 美容師養成施設指定規則より

祖母  「そしてその後、18歳で国家試験を受けて合格しました〜」

和三盆 「へーすごいねー(デジャヴ)」

祖母  「でも、その後1年間美容室に勤めないと資格が得られないの」

和三盆 「下宿とかしてたってこと?」

祖母  「インターンね」

和三盆 「イ、インターン⁉︎」

昭和にインターンという概念があったのが驚きです。
もしくはおばあちゃんが流行を先取りしていたのか…。

祖母  「インターンしてた美容室の向かいの店の人がね、「隣の家の36歳  
     の無職の男が、あんたを嫁コさ欲しいんずよ(ばりばり方言)」
     って言ってた」

和三盆 「それは面白い(爆笑)、ところでなんでその人は無職なの?」

祖母  「その人労働組合作ったらしくて、まあ今でこそ労働組合とかは
     あるけど、昔はそういうの作ったらもうリストラだね」

和三盆 「可哀想に…」

祖母  「それで19歳(1961年)で東京に出てきたの」

そう、私のおばあちゃんは、高度経済成長期を日本の首都である東京で過ごした人なのです。こういう人から当時の東京の話を聞けるって、なんだかワクワクしませんか?

和三盆 「おばあちゃんが最初に勤めたお店はどこにあるの?」

祖母  「学習院大学の近く、前には川村学園というのがあるの。
     すぐ近くはもう池袋があるんだよ。」

和三盆 「学習院、池袋…ふーん(土地勘が無さすぎて何も分からない)」
    「何歳から何年間?」

祖母  「19歳の年(1961年)から20歳の年(1962年)までの2年間」

祖母  「そこの店でもまたエピソードがあって、
     山形の池田さんっていう方の奥様が、
     美容室の先生に「あの子(祖母)をうちの運転手にどうかしら」
     って言ったの」

和三盆 「また言われてる笑」

祖母  「その人、大臣の奥様なんだよ」

和三盆 「…えっ?まさか池田勇人ではないでしょ?」

なんだか話のスケールが急に大きくなってきました。

祖母  「まさか、当時の科学技術庁長官の池田正之輔っていう人よ」

    「この人のお屋敷にも一回入ったことがあるけど、ものすごい
     立派だったよ」

池田 正之輔(いけだ まさのすけ、1898年1月28日 - 1986年3月27日)は、日本政治家衆議院議員(10期)、第9代科学技術庁長官、社団法人内外事情研究所理事長[1]山形県飽海郡観音寺村芹田(現・酒田市観音寺)出身。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この方が活躍されていた時代の話なんて、歴史とか政治経済の授業とかでしか聞いたことがありません。そんな人とおばあちゃんに接点があったなんて…。東京ってやっぱりすんごい街ですね…。

祖母  「ここでは、近くの製紙工場に勤めてたお兄ちゃんたちに
     よく映画に誘われて、「うるせえ行かねえよ」って言ってた」

和三盆 「(爆笑)」

モテエピソードにさえウケるポイントがあるのが、なんとも祖母らしいです。エピソードトーク女王じゃん、すげ。

祖母  「その後もう一回専門学校に入ったの(21歳、1963年)。
     山野美容学専門学校という学校。日本でトップの学校なんだよ、
     あんた」

和三盆 「また専門学校に入ったってこと⁉︎なんで?」

祖母  「カットだけじゃなく色々な事を学ばないといけないでしょ?
     着付けとかヘアマニキュアとか…」 

和三盆 「こりゃ大変だ…」  

祖母  「そこで美空ひばりの話になってくるのよ!」

和三盆 「キタ――(゚∀゚)――!!」

祖母  「生徒の中で先頭切って、美空ひばりの通ってた美容室に就職が
     決まったの」

…さっきからまるでエリートのエピソードばかりじゃないですか?
私と同じくらいの年齢で国家試験に合格してたり、先頭切って就職が決まったり…優秀ですね、私にもその遺伝子くれよ(T_T)

祖母  「でもね、おばあちゃんはあくまで美空ひばりのファンでいたかっ
     たから就職を蹴ったの」

和三盆 「えー蹴っちゃったのー⁉︎もったいない…」

祖母  「でも先頭切って決まって蹴ったのはすごいでしょう」

和三盆 「いやまあすごいけど…」

大学生なのでよく分かりませんが、「プロ意識」とはまさにこういうことなのでしょう。多分。

祖母  「それで次に行ったのが、もうすごい所なんだよ」
    「東京でNo.1の美容室なんじゃないかな」

和三盆 「毎度毎度行くところがずば抜けてるな」

祖母  「港区白金台の美容室ね」

和三盆 「…港区、ああ、あの金持ちしかいないところね」

港区
多分金持ちしかいない場所。あとは日々豪遊してる港区女子とかもいる。

和三盆の脳内はこんな感じ、解像度が低すぎる

和三盆 「それは何年間?」

祖母  「22歳(1964年)と23歳(1965年)の2年だね」

祖母  「そこはね、とにかく言葉遣いが違ったね」

和三盆 「やっぱりそうなんだ!」

祖母  「そこでタオルとか干してると、東京タワーが見えるんだよね」

和三盆 「この前1人で六本木に行って、東京タワー見てきたよ!

(和三盆、祖母に東京タワーの写真を見せる)

@六本木、振り向いたら東京タワーがありました

祖母  「そうそう、見えてる見えてる」

時代を超えて祖母と共鳴しました。何か感慨深いものがあります。

和三盆 「で、そこで何か面白いエピソードはないの?笑」

祖母  「店でタオルを干してたら、栃木から来てる配達のお兄ちゃんに
    「今度映画行こう」って誘われて」

和三盆 「映画デートに誘われまくりだ」

祖母  「「行かないよ!」って言った」

和三盆 「(ありえないくらい爆笑)」

相変わらず祖母が映画デートに誘われていた事に爆笑していたのですが、
それより興味深かったのが当時の娯楽の帝王が映画だと分かった事。

私の予測なんですけど、祖母が東京にいた時期は東京五輪直前や五輪開催中の時期であり、まだテレビが各家庭に普及する前だったんじゃないかと。
つまり東京五輪によってテレビが爆発的に普及する前は、やはり娯楽=映画だったんじゃないかと、そう思うんですよ!(キメ顔)

個人のエピソードから時代背景を読み取ることもできるんですね、これはインタビューした甲斐がありました。

その後も、

地元に戻って自分の店を始めたこと、
今は亡き祖父と結婚したこと、
43歳で通信制高校に通い始め、卒業時に教育長賞を受賞したこと、など

たくさんの興味深い話を聞かせてもらいました。

もっと話を聞きたいところでしたが、新幹線の時間が迫っていたので東京に帰らないといけません。

最後に祖母と2ショットを撮ってお別れしました。

ありえないことに家の真ん前で撮ってしまいました。個人情報を懸命に隠した結果です。


帰りの新幹線では、東京に戻った際に行く場所を以下の3ヶ所に決めました。

①目白 川村学園/学習院大学近辺 … 祖母が東京に来て最初に勤めた店
②代々木 山野美容専門学校近辺 … 祖母が通い直した学校
③港区白金台 白金駅周辺 … 祖母が勤めた2番目の店




2部 散策


2部に出てくる人

この記事を書いている人。
この春に青森から東京に出てきた生粋の上京ガール。
実家暮らししている人を少々下に見ている。

和三盆の友達。
今回の視察では同行者兼撮影者を担当している。


@東京・新宿駅

報酬という書き方がいやらしいです

えりにはバイト代が入ったら焼肉を奢るという、なんとも大学生らしいお願いをして視察についてきてもらいました。

〜〜〜おさらい〜〜〜

今回行く場所は以下の3ヶ所です。

①目白 川村学園/学習院大学近辺 … 祖母が東京に来て最初に勤めた店
②代々木 山野美容専門学校近辺 … 祖母が通い直した学校
③港区白金台 白金駅周辺 … 祖母が勤めた2番目の店

それでは散策START !

まずは目白だ!

なぜかファイティングポーズを取る和三盆

早速散策しようと思ったら、なんと雨が降ってきました。最悪。
しょうがないので少し雨宿りをします。

ここら辺で合っているはずだ

和三盆とえりは、学科も入っているサークルも同じなので、話が一向に尽きません。趣味も似ているので、本当に話が尽きないんですね。
そうこうしてる間に雨が上がったみたいなので、散策を再開します!

先ほど見えていた学習院大学の校門へ

駅近で最高のロケーション

学習院大学付近も歩いてみます。

実はまだ雨が降っている

和三盆 「おばあちゃんは19歳・20歳の2年間をここで過ごしたみたい。」

えり  「へえ〜」

和三盆 「池田正之輔っていう当時の科学技術長官の運転手の奥さんになら
     ないか、って言われたらしい」

えり  「そんな上の位の人と関わる機会なんてあるんだね」

和三盆 「なんかスケールが異様に大きいよね」

孫とか関係なく、第三者から見てもスケールが大きい話だったようです。


その後は川村学園を探していましたが、悲しいことに土地勘が無さすぎたため、ずっと迷っていました。

とりあえず戻る
ここを行けば…

着きました〜!思わずダブルピースをしてしまいました。

チョキピース!

目白は都会すぎず、かといって田舎すぎない土地でした。心が良い感じに落ち着く街。個人的には上京してから来た街の中で、一番雰囲気が好きな街です。


次は代々木よ!

名前しか聞いたことない街に初上陸

山野美容専門学校の探索を開始しましたが、やはり土地勘がなく迷ってしまいました。えりと助け合いながら向かいます。

青森にないお店を見て歓喜する和三盆

和三盆 「おばあちゃんは今向かってる学校に入り直したんだけど、
     卒業時に、美空ひばりが通ってた美容室に先頭切って就職が
     決まったんだって」

えり  「あの美空ひばり⁉︎」

和三盆 「そうそう!あの美空ひばり!」

えり  「おばあちゃん、さっきからすごい人たちの近くにいるよね」

やっぱり第三者にも、祖母の凄さは変わらず伝わりました。


その後頑張って頑張って歩いて…
着きました〜!

フォントが微妙に違うのが面白い
まるで母校かのように振る舞う和三盆

いやしかし…

いやいや…

和三盆・えり 「デカすぎるんだけど〜!!!」

本当にデカいぞ、さすが日本でトップ(by 祖母)なだけある〜!!!

この建物、美容学校だけではなく他の学校やテナントも入っているようです。そりゃあこんなデカくなるわ。

それにしても東京にはこんな感じの高層ビルが多すぎです。上京する前、そして上京直後はだいぶイカれた都市だと思っていました。

代々木はなんかハイカラ(死語)な街という印象です。
この専門学校が近くにあるということもあり、若者向けの施設やご飯屋さんがたくさんありました。
こんな街で過ごしたら、おばあちゃんも立派なシティーガールだわな。


最後は港区白金台!

名前からして高級街

周辺の建物などは特に指定がなかったので、駅の近くをぶらぶらしてみます。

和三盆 「ここはおばあちゃんが勤めた2個目の店があった街なんだけ
     ど、お客さんの言葉が違ったらしいよ」
    
    「というか、街が醸し出してる雰囲気とか今歩いてる人の品が、
     他の街と明らかに違うよね」

えり  「こんなにも違いがはっきりしてることなんかある⁉︎
     そこ歩いてる子どもたちとか、明らかにお受験を経験してる感じ
     だもんね…」

2人とも白金台の雰囲気に唖然。

「高級マンションとはまさにこれのことか…!」


さらに歩いてみると、こんな建物を見つけました。

…プラチナ ドン・キホーテ⁉︎

「プラチナ」ってどういうこと…
というか、これドンキなの⁉︎原色どこ行った⁉︎ドンキ要素ないじゃんか!

和三盆 「ドンキのアイデンティティが無くなっているよ…
     高級街仕様にされてしまった、とほほ…」

えり  「ドンぺンが回ってるのもよく分からないよね」

和三盆・えり 「もうこの街よく分かんない〜」

またもや唖然タイム突入。

「これはぜひ皆にも見てほしい」と思った私は、散策終了後にインスタのストーリーにアップしてしまいました。

「いいね!」している人がいるな


言わずもがな、白金台はTHE・高級街。こんなにも他の街と格が違うのか、とびっくりしてしまいました。金持ちしかいないとは思っていましたが、本当に金持ちしか「住んではいけなさそう」な街。
もちろん通行人と話すことはありませんでしたが、やはり言葉が違うと確信を持って言えます。それくらいの高級街です。



〜〜〜インタビューと散策を終えて〜〜〜

小さい頃から聞いていた祖母の東京でのエピソード。今までは「だいぶ濃い話だな」としか思っていませんでしたが、ちゃんとインタビューしてみると新たな発見があったり、昭和ならではの時代性をありありと感じたりしました。祖母は、令和の今では考えられない位の波瀾万丈な人生を歩んできていましたが、置かれた場所ごとで結果を残し、なおかつ面白いエピソード(笑)をゲットしています。単純にすごすぎます。今までは「祖母」として接していましたが、今回を経て「祖母」は「尊敬する人」になりました。

また、今回の記事は、自分が東京にいるという状況を大いに活用できたものにもなりました。実際に祖母が過ごした街に出向いて、街の雰囲気を体感することによって、祖母が歩んできた人生の輪郭がよりはっきりした気がします。昭和と令和、時代は違えど同じ都市で若い時を過ごす祖母と私。記事を書き終えそうな今、なんだか「エモい」気持ちになっています。

そして、私は、これからもう少し東京に青春を捧げてみたいと思います。

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