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妹尾常広 40歳 テレビディレクター

 東京の某情報番組のディレクターをしている妹尾と申します。この文は昔同じ番組で一緒だったO氏のすすめにより書いています。コロナ禍とはいえ我々のような情報番組は毎日放送していますので、幸い仕事がなくなったりなどはまだありませんが、MCやコメンテーター、有識者などをリモートで繋いだりと、新たな対応を迫られています。アフターコロナでは我々のようなマスコミもあり方が大幅に変わってくると思われます。取り残されないように、先を見据えていかなければな、と身を引き締めているところです。
 今回のような天災、有事を抜きにしても、私ぐらいの年齢までディレクターをやっていますと、取材先でのトラブルや考えられないことに遭遇することがたまにあります。今回はその一つをお話しできればと思います。
 
 「人間の言葉を喋る犬がいる」という情報が入ったのは私がまだ若手のディレクターで番組内のミニコーナーを担当していた頃でした。このコーナーではご当地の変わった出来事とか、海外の驚き映像、映画公開イベントなどを数分の短いVTRにまとめて放送していました。
「喋る犬がいるってよ!喋る犬がいるのさ」そのコーナーのチーフが私に興奮じみた口調で声をかけてきました。これまでこのコーナーで喋るインコやら喋る魚などインチキくさいネタを取り上げ高視聴率を獲得していたので、三匹目のドジョウを見つけたと息巻いていました。
 私は正直もううんざりだったのですが、会社の命令であれば仕方ありません。「すぐ行け!早く撮ってくるのさ!」と追い立てられた私は、早速小型のデジタルビデオと三脚を持って東京駅に向かいました。もう10年も前からこういった短いネタにはディレクター一人でカメラも回して照明もこなします。午後6時、新幹線の車窓を眺めながら、めんどくさいことになったなと思っていました。
 4時間程かかって近畿地方の●県●村という無人駅につきました。この村で小さい書店を営んでいる石高陽平という80歳の老人がおり、その飼い犬ミコトちゃんが、喋る犬だということです。周辺は山や川に囲まれ大自然そのものといった感じで、ほとんど人は見かけない様子でした。早速石高に会い、話を聞きましたが、この石高という老人がなんというか非常に抽象語が多い男で、
「ほら。あの犬おるやろ。ミコト言うて。わーっ言うてな。朝起きたらわーっ言うてかけてきてな。よしよしおはようてワシ言うやろ、ほしたらミコトもおはよー言いよんねん」
終始こう言う感じでなかなか話が前に進まないのですが、咀嚼していえば、飼い犬ミコトは四六時中言葉を喋っているわけではなく、たまに叫ぶ鳴き声が、人間の言葉に聞こえる、ということなのだそうです。ということはどういうことかというと、ミコトが喋る出すまでずっとカメラを回していなくてはなりません。
 私はカメラをミコトの居住区域に設置し、CCD(今だとgoproになるのでしょうが)のような小さいカメラも廊下に設置しました。これは長丁場になるなと覚悟しました。石高は
「いっつも喋っとんで、毎朝おはよー言うてな、寝る時、おやすみー言うてな」とニコニコ笑いながら早口で捲し立てました。

 その後、この日を含めて3日間観察を続けましたが、結果的にミコトは「ワン」としか鳴きませんでした。1日目は「緊張しとるな、しゃべらんのう」と笑い飛ばしていた石高でしたが、丸2日が過ぎようとする頃には私の顔を伺うようになり、気まずそうに「ニイちゃん(私のこと)すまんのう、いつも喋るんやけどなあ」と言いました。その後も「ウォン」と少し弱めにミコトが鳴いた際には「今喋ったんと違うんかっ?」と私の方を振り向き、「喋っていません」と私が言うと「クソっ」と大声で叫び、しまいには「喋れコラッ!ワン公」と今にもミコトを蹴飛ばしそうになったので慌てて私が止めに入る有様でした。これは無理だ、、、私は確信しました。
 外に出てチーフに電話で連絡しました。チーフは「えっ喋んないの?喋るって言ってたのになあ。喋るって言ってたよ」と非常に残念そうでしたが、さすがに4日も無駄足をかけられないと、私を東京に戻すことに決めました。
 部屋に戻った私は石高に、今日帰京することを告げ丁重にお礼の意を伝えました。ミコトは気配を察してか部屋の隅で哀しそうに私のことを見ています。犬に罪はありませんので、私はミコトの頭を優しく撫でると「また来るね」と声をかけました。石高は私が荷造りをしている様子をじっと見つめていましたが、不意に「…兄ちゃん、ちょっと来てくれへんか」と言いました。その声がこれまでのような陽気で軽い感じではなく、低く思い詰めた感じだったので何事かと恐る恐るついていくと、裏にある納屋のような場所に連れていかれました。中は6畳ほどあって、わらで作った仮面のようなものや木を削って作った刀のようなものが所狭しと並べられ、壁には古文書のような文書が無造作に貼り付けられていました。例えて言うなら本当に手作り感満載の民族展示室のようでした。
「ワシはこの地域の歴史を独学で学んで研究しとるんじゃ」
自信ありげに言う石高に「へえすごいですね」などと相槌を売っていると、石高は突然30枚ほどのA4の紙の束をどさっとそばのテーブルの上におきました。
その一番上には「●●村の歴史について 石高陽平」とワープロで書かれていました。
 そして石高は私の耳元にグッと顔を近づけると「ここにはな、、、日本をひっくり返す事実が書かれとんのやで。実はな、日本という国はこの●●村からはじまったんや、、、」と小さな声で言いました。私は面食らいながら「、、、そうですか」と精一杯答えました。
 結局、石高は何が言いたかったと言うと、東京からわざわざ来てもらって申し訳ないから、代わりに自分が発見したこの大事な研究内容を放送してやっても良い、ということを言っているようでした。
私は「喋る犬」を取材しにやってきたのです。けして「日本の起源」とか「文明の起こり」を取材しにきたわけではありません。
そういうことを正面から言えればよかったのですが、この時の私はまだ未熟で「、、、一応お預かりします」と言って紙の束を鞄に入れてしまいました。
 帰り道も「ワシが駅まで送る」と言って石高は私を無理やり車に乗せ、結局駅とは反対方向に向かい、山中の渓流に連れて行き「あれが天の川や!」と言い、そこそこ大きい岩を見て「あれは亀石やっ!」と叫び、変わった形の石を指して「天の岩戸やっ!」と絶叫しました。  私は張り付いた笑顔で「そうなんですね」ないし「そうなんですか」といちいちリアクションし、おかげで特急電車を二本遅らせて東京に帰ることになってしまいました。
 帰りの電車で、一応石高から渡された論文(?)を読んでみました。しかし歴史、古代史に疎い私でも、この研究はおよそ学術的に立証されているとは言い難いものでした。村で見つけた小石が古事記のナンタラ石に似ている、だとか、村の岩のこの模様が昔の文献の絵に酷似している、なので日本の起源は●●村であると結論づけられていて、都市伝説として聞く分には、そうかもね、ぐらいは言えても文献としては意味をなさないものだと思いました。

 局に戻り、チーフに全てを報告すると、「そっか、次のネタ探そう」とそれだけで終わってしまいました。当たり前かと思った私は石高に御礼を兼ねて電話をしました。この論文は大変興味深いが、うちの番組で取り上げることは難しい、という内容です。うんうん、と聞いていた石高は「まあ、もし機会があれば引き続き検討してくれたらええわ。ワープロでプリントアウトしたもんやから破棄しとってくれてもええよ」と言ってくれました。私は改めて取材の御礼を述べると、電話を切りました。

一ヶ月後。
番組スタッフルームの配置転換が行われました。同時に大掃除や断捨離を行うのが通例で、私もデスク移動になったため、これまでの資料やデータを整理していました。その時に石高から渡された論文も出てきたので、少し迷いましたが処分することに決めました。

二ヶ月後。
石高から電話連絡がありました。
「ワシの研究の件やが、放送はいつぐらいになりそうやの?」というものでした。
この段階で私の中ではウーウーとアラートが鳴り響きました。
改めて放送は難しい、そして文書は処分したということを伝えると石高の態度は一転しました。
「何言うとんじゃお前。ワシの大切な研究成果を勝手に捨てよってコラ。なめとんか!」
おお、、、と私は思いました。
ここからは端的にやりとりをまとめます。
私「処分してもいいといったはずでは?」
石高「そんなこと言った覚えはない。とにかく情報が漏れた可能性がある。テレビ局はいろいろな人間がいる」
私「私以外に見た人間はいないので問題無い」
石高「あの書類には日本がひっくり返る事実が書いてある。責任がとれるのか」
私「ですので私以外は見ていない」
石高「信用ならない。先に情報を奪われるのを避けたいのでそちらの局の番組で取り上げるしかない」
私「そのようなテーマを扱う番組もコーナーも無い」
石高「知らない。作ってもらうしかない」

…ここまでのやりとりで、私は心底ゾッとしてしまいました。撮れ高がない私を不憫に思った世間知らずの老人を装いながら、本当は浅知恵を弄した虚栄心溢れる醜悪な男の姿でした。
そして、もしかしたら「喋る犬」自体も実は最初から嘘だったのではないか、とも思え、新たな恐怖が芽生えてきました。
「うちの犬は喋る」という嘘情報を流す→取材に来させる→当然犬は喋らない→かわりにといって書類を渡す→使わなければ捨てていいと言う→こちらが捨てたら怒り、放送を強要する。ここまでが1セットになっていたら、、、。
「風が吹けば桶屋が儲かる」のように「犬が喋れば日本史が変わる」と計算されていたら…。

 私はすぐさま上層部に相談し、書類の破棄については認識の違いがあったかもしれないことを認めつつ、番組で取り上げる意思も義務も無いことを改めて毅然とした態度で伝えました。

懲りずに石高は「日本をひっくり返す事実が書かれていた。情報が漏洩した場合はどう責任をとるのだ」と言ってきたので、私は「そこまで重要な史実であり発見であれば、早めに大学など然るべき研究をしている学会や、市町村の研究機関に論文を持ち込んでみてはどうでしょうか」と提案すると、石高は突然「ギャア」とわめき、訳の分からないことを大声で怒鳴りはじめたので、私はゆっくりと受話器を置きました。石高はそれ以降電話をかけてくることはありませんでした。

 この一連の事件で、私は改めてテレビというメディアの力と恐怖を感じました。とりあげられ放送されることで社会的に認知されたことになり、村の変わり者と呼ばれていた自分が一気に名士に成れる、そんな野心を彼は抱いていたのかもしれません。程度の差こそあれそんなメディアの影響力を利用しようとする人間•団体•組織がいることを肌で体感しました。その時はかなり気が重かったですが、20代に経験できて良かったと思っています。

 冒頭に、これからのメディアはより変化を遂げていくと述べました。ネット媒体や通信環境も進歩していく中で並行してテレビも新たな可能性がどんどん膨らんでいくと思います。しかし、同時に新たな利用のされ方、悪用方法も広がっていくと思います。我々テレビマンはけして萎縮せずとも、そう言った危険性を意識しながら番組を制作していかなくてはならないと思っています。

最後にはかなり固い話になってしまいました。失敗談を面白おかしく話そうと思っていましたが、根の勤勉さ。真面目さが露呈してしまったようです。

駄文、長々と失礼いたしました。

 

 

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