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藤枝麻里絵 21歳 元アイドル

藤枝麻里絵(仮名)といいます。去年の秋まで一応地下アイドルグループ「M」の一員として活動していました。去年末に正式脱退し、今は実家に住みながら保母さんになるため勉強中です。
 今回は芸能活動時代にお知り合いになったテレビ業界のOさんに勧められて、何か文章を書いてみようと思います。元々日記とか文章を書くのは好きだったのですが、アイドル時代はイメージもあってなかなか自分の気持ちを素直に表現することを控えていました。せっかく仮名なので本名では言えなかったこともどんどん書いていけたらと思っています。
 
 私が所属していた「M」は3年前に活動を開始した5人組のアイドルグループです。ホームグラウンドは秋葉原の某ライブハウスで、月に何回かライブをすることが活動の主体でした。私のイメージカラーはピンクで、メンバーの中で一番年下だったことからみんなの妹的なキャラ設定をしていました。実際は自分で言うのもなんですが他のメンバーより冷めていて、地下アイドルというのもの全体を俯瞰的に捉えていたような気がします。メンバーの中には絶対売れて「目指すは紅白!」といつも言っている子もいましたが、そんな訳ないだろ、と私は心の中で呟いていました。

 私にとってアイドルは、言ってしまえばクマの着ぐるみに近いようなものでした。街で愛想を振りまきながら子供に風船を配るクマ。私は舞台に立つ時、意識的に着ぐるみの中に入るイメージをしていました。本来何の可愛げもない自分が、アイドルという着ぐるみをかぶることによって人に愛されたり、チヤホヤされるゲームを楽しんでいる感覚です。なので、ライブ中は、かりそめの快感は得られるのですが、一旦舞台から降りて着ぐるみを脱ぐと、自己嫌悪の塊になり(特にファンの歓声が強ければ強いほど)何もない自分に戻ってしまうのでグッタリと疲労しました。

 一口に地下アイドルといっても様々です。私たちのMのコンセプトはどちらかというと王道でした。あまり細かく伝えるとわかってしまうのですが、カラーごとにキャラクターが振り分けられ、シンデレラのようなドレスを着て、リーダー、ぶりっこ、甘えんぼ、元気者、ツンデレという風に性格設定がなされました。(私は、甘えんぼです)
 そんな私たちのような正統派グループもあれば、全員黒で統一して暗黒舞踏のようなミステリアスな楽曲をやっているグループや、曲中ほとんど歌わずにポエムのようなセリフを言いながらシャボン玉をずっと吹き続けて会場を泡だらけにしてしまうグループ、リコーダーを延々吹き続けているグループ、それは裸じゃないの?という穴だらけのワンピースを着て踊るセクシーなグループもいました。

 軽々しい気持ちでアイドルグループに入ったはいいものの、現実とのギャップに疲れてしまう人も多くいます。舞台ではフリフリのドレスで踊っていたのに、帰りは在来線に揺られ、6畳ほどの雑居ビルの一室にメンバー5人と同居、アイドルだけでの収入は少ないので、夜の飲食店で働いているような人も多いのです。
 私もはじめはこのギャップに苦しめられました。舞台では登場しただけでキャーキャーもてはやされるのに、バイトの居酒屋で注文を聞いている自分には誰も振り向きもしない。つくづく虚構の世界に生きているのだなという虚しさを感じていました。
 
 グループに入って1年経った頃、私がバイトしている新宿の居酒屋にひとりの男性客がやってきました。30代後半でしょうか、痩せ型で身長が高く、黒いジャケットに白いシャツ、下はグレーのチノパンをラフに着こなしていていました。サラリーマンではないような気がしましたが、髪型がきっちりとオールバックにセットされていたので美容師さんか、なんらかのデザイナーか、とにかく私の目には「やさぐれてかっこいい人」にうつりました。アイドル活動があるので私はその店に不定期にしか入れなかったのですが、他の店員に聞くと、割とよく来る客でいつも1人だということです。彼はカウンターに座って、乾き物や湯豆腐などをつつきながら焼酎ばかりを飲んで、何をするわけでもなく一点を見つめ考え事をしているようでした。焼酎のお代わりを持っていく際に顔をよく見てみましたが、涼しげな目、通った鼻筋で軽く顎に無精髭があるのがわかりました。オシャレで渋い。私はこの人に俄然興味が湧いてきていました。
 そこで、何回目かの来店時に思い切って話しかけてみることにしました。何を話していいか分からなかったので「いつも麦焼酎ですね」と当たり障りのない内容を問いかけました。
すると彼は「ああ、そうですかね」と低くダンディな声で答えてくれました。
私「いつも静かに飲んでらっしゃるなと思って」
彼「いや(苦笑)一緒に飲む人がいないだけで。すみません」
私「いえ、こちらこそお邪魔してすみません」
たったこれだけの時間ですが、私は彼の魅力がよく伝わりました。他の店員たちともあとで話しましたが、おそらく彼の職業はデザイン会社の社長か代表者で、普段はコンクリート打ちっぱなしかなんかのスタイリッシュなオフィスで働いており、仕事ができて後輩や部下への面倒見もいいはずだ、しかし、経営者としてひとりの時間も大切にしているので、こういった大衆的な店でいろいろ日夜考え事をしているのだ、という意見で概ね一致しました。一致したところで何も起こらないのですが(笑)。店員たちの間では、彼に「ダンディ」という渾名をつけ、そっと見守ることにしました。

 それから一ヶ月ほど経った頃、私は新宿の大型量販店に来ていました。メンバーの1人が誕生日をむかえるので、次の生誕ライブのイベントで使う手品用の、花束が出てくるステッキやサプライズ用のクラッカーを買いにきていたのです。
 おなじみの黄色い袋にパンパンになるまでグッズを買い込むと私は外に出ました。
すると、目の前をスッと見たことのある顔の人が横切りました。一瞬は誰かわからなかったのですが、すぐに「あ、ダンディだ」だと呟いてしまいました。ダンディは俯きがちな姿勢で、真剣そうな顔をしながら歩いて行きました。

 私は、思わず彼の後をついて行ってしまいました。今になればなぜそんなことをしたのかと思いますが、彼にとても興味が湧いていたのと、時間帯がお昼の14時だったのでランチ終わりの彼についていけばどんな仕事をしているかわかるかも、一瞬で考えたからだと思います。自分がもしファンにされたらすぐストーカーだと騒ぐくせに、情けない話です。

 彼は新宿三丁目の方向にどんどん歩いて行きます。私は彼を見失わないようにしながら一定の距離を保って後をつけました。生まれて初めのストーキングに少し胸が高鳴っているのがわかります。彼は途中で何回か道を曲がり、寂しそうな裏路地に入りました。こんなところにオフィスがあるのだろうか、そうか、デザイナーではなくてバーのマスターだったか、それもあり!などと心の中で呟きながらついていくと不意に彼の姿を見失いました。やばい、と思って走りましたが、彼の姿は見えません。
 しまった。と思いましたが、元々偶然のことだったし仕方ないと私は諦め、元来た道を戻ろうとしました、すると、私のいた位置から20メートル先の狭い雑居ビルに、ちょうどダンディが入っていくのが見えました。いた!ダンディは徐々に下に消えて行ったので、どうやら階段を地下に降りていくようです。私はそのビルに慎重に近づきました。
 狭い入り口を入ると地下に続く階段が見えます。どうやらこのビルの地下はライブを見ながらお酒を飲めるようなバーになっているようでした。私たちのグループもイベントでこういう形態の店で何回かライブをやったことがありますが、簡易的な舞台が店の中にあり、舞台といってもテープで床に線が引いて分けてあるだけでお客さんとの垣根がほとんど無く、よく言えばアットホームな、悪く言えば場末感満載な、そんな会場です。階段脇の壁には小さいホワイトボードが貼ってありそこには「芸人ライブ『無節操 vol.4』 1500円(tax込)14:30〜」という告知が汚い字で書いてありました。
 彼はこのライブを見に来たのでしょうか?それともこのバーの経営者?そんなことも思いながら見ると開演2分前だったので勢いで店の中にはいってしまいました。
ドアを開けると、店内BGMでブルーハーツの「リンダリンダ」が大音量で聞こえてきました。薄暗い店内にはグレーのカーテン(この場所が舞台)に向き合うように30席ほどのパイプ椅子が並んでおり、10名ぐらいが既に座っていました。受付でチケットを買い、ジンジャーエールをもらうと私は恐る恐る席に座りました。店員や客の中にはダンディの姿は見えません。どういうことなんだろうと思っているうちに、リンダリンダは消え、店内は暗転し、誰かがマイクで話し始めました。
「本日はライブ無節操にお越しいただいてありがとうございます。今回で4回目になりますが回を増すごとに反響も大きく、盛り上がりを実感しております。本日も唯一無二、唯我独尊の芸人ばかりを集めました。それではまず最初は『ペコペコ太郎』さんです。よろしくどうぞ!」

 舞台が明転すると、舞台の真ん中でダンディが上半身裸で四つん這いになっていました。
ダンディは豹柄のスパッツのようなものを履いていて首輪をしていました。「あーあ、きょうもオイラはハラペコだ。ペコペコペコペコペーコペコ」と首を傾げながら言うと、ダンディは犬のように四つん這いのまま舞台をウロウロし始めました。
すると突然舞台袖から黒革のビンテージ姿に身を包んで鞭を持ったSM嬢のような女性が出てきて、
「やいお前!さっきからペコペコうるさいんだよ!」と鞭でダンディの体を打ちました。「ペコリンチョっ!」と叫んだダンデイの背中には真っ赤なミミズ腫れができています。痛さをこらえながらダンディは言います。
ダンディ「お姉さんお姉さん、僕はもうペコペコなんだ、何か恵んでおくれないかい」
女性「なんだって?それならこれでもくらいなっ!」
と言うと、女性は隠し持っていた練りわさびのチューブをダンディの口へ押しつけ一気に全部を流し込みました。ダンディは「ゲォッ」とえずくとその場に緑色の物体を吐きちらしました。

女性は「お前は汚いね!この虫けらッ!」と言うとまた鞭でダンディの体を打ちました。「ぺ、ペコリンチョっ!」と叫んだダンデイの背中には再び真っ赤なミミズ腫れができています。
 その後も、ダンディはその女性に練りカラシやら青唐辛子、タバスコなどを口に放り込まれ、吐き出してはそのたびに鞭で打たれ、背中が格子状に真っ赤な線で埋まっていました。

最後に、ダンディは立ち上がると「わかったよお姉さん!もう僕はペコペコしない。自分で獲物を獲りにいくよ!教えてくれてありがとう」と一礼しました。
すると女性は「ペコペコするんじゃねこの野郎!」とダンディの顔に唾を吹きかけ、鞭を捨てて、思い切りダンディの頰にビンタしました。クラッという感じで二、三歩よろめいたダンディは、右頬を真っ赤にしながら「こ、こりゃペコペコ違いだ。ペコペコペコペコペコリンチョッ!」とポーズを決めて逃げるように舞台袖にはけて行きました。

 私はその数分間、目の前で何が起きているか信じられず、次の芸人さんが何をしたのかを一切忘れてしまうほど茫然自失になってしまいました。全ての演目が終わり、他の客が席を立った後もしばらく席をたてなかったくらいです。
 思いがまとまらないまま数分後ようやく店の外の階段に向かうと、そこには公演後のダンディ、いや、ペコペコ太郎さんが客の見送りに外に出ていました。隣にはパートナーである鞭を持っていた女性もTシャツ姿で笑顔で隣に立っていました。
何というか、、、あれほど衝撃を受けた私でしたが、舞台で全てを出し切って、お客と笑顔で会話している彼を見ていると、不思議と心地よい気分になりました。私は、持っていた黄色い袋の中からステッキを取り出しボタンを押すと勢いよく赤い花束が飛び出してきたので、それをペコペコ太郎さんに渡しました。
「また麦焼酎、飲みにきてください」
そう言うと、彼は「あッ」と私のことに気づいたようですが、私は会釈して階段を駆け上がりました。

 帰り道、私の頭の中にはリンダリンダが鳴り響いていました。
「♪ドブネズミみたいに 美しくなりたい」

 私は、自分のアイドル活動を、平凡な自分を忘れるために着ぐるみを着てチヤホヤされることだと思っていました。
 でも、ダン・・・ペコペコ太郎さんはむしろ逆で、けして称賛は受けないかもしれないけれど、本当に自分のやりたいことをするために、着ぐるみを着ているのだと思いました。
 自分のような気持ちでアイドル、表現者を続けていたらメンバーにも、そして全国のアイドルたちにも申し訳ないなと思いました。そして、本当に自分がやりたいことは何だろうと考え始めるようになりました。

 私はそれから一ヶ月後、メンバーに辞める意思を伝え脱退を決意しました。元々両親はこの活動に不安ばかりを抱いていましたから辞めるのは大賛成で、子どもが好きなので保母さんになりたいというと、すぐに資格の専門書を勝手に用意してくれました。

 好きなことを仕事にする、とよく人は言いますが、それはなかなか難しいことです。まずは自分が本当に何が好きかなんてわからないし、自分にまっすぐ向き合う瞬間なんてなかなか訪れません。その貴重な機会をくれたダンディに感謝したいと思います。

 ちなみに、ダンディはその後、居酒屋に現れることはありませんでした。
さすがに照れ臭かったのかな・・・苦笑。
終。

 


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