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祝!250歳!!ベートーヴェン♪


昨日12月16日はベートーベンの誕生日でした!

250歳おめでとう!ベートーヴェン♪

2020年は記念すべき「ベートーヴェン生誕250周年」でしたこと、皆さんはご存知でしたか?

今日はそんな日を記念してベートーヴェンにまつわるを、つらつらダラダラとお話する企画。


コロナの煽りで次のお祭りは50年後?


有名音楽家の節目の年は出身地でさまざまなお祭りが行われ、観光客を呼び寄せる絶好のチャンスなのですが、まさか、世の中がこんなことになろうとは誰が想像できたでありましょうか?


 ボンはベートーヴェンの生まれ故郷として世界的に知られていますが、今年2020年はその生誕250周年にあたり、ボン市は街を挙げてお祝いイベントに力を入れています。例年行われている「ベートーヴェン祭」も、今年は規模が拡大されて行われることになっており、ベートーヴェンファンはもちろんのこと、クラシック音楽好きなら今年を逃す手はありません。ボンがいつにもましてベートーヴェン一色に染まる2020年。どうぞこの機会にボンへ、そしてドイツへいらっしゃってください。

海外旅行保険会社も2019年からこのように宣伝していましたのに・・・



努力の人は現状に満足しない


私はボンに行ったことありませんが、ベートーヴェンが遺書を書いたとされるウィーン郊外のハイリゲンシュタットには訪れたことがあります。


ハイリゲンシュタット

 1802年、ウィーン近郊のハイリゲンシュタットに住んでいたとき、かの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた。ベートーヴェンが31歳のときである。すでに患っていた難聴が回復する見込みはなく、挙句の果てに最愛のジェリエッタ(前述)が別の男性と結婚したことで絶望のどん底に突き落とされ、ベートーヴェンは死を覚悟したのだった。遺書は2人の弟に宛てたもので「私の死後に読み、私の意志通り取り計らってくれ」と記されていた。しかし、ベートーヴェンは遺書をポストに投函することはなく、死後に机の引き出しの中から見つかっている。遺書には、自分の才能を十分に発揮する機会がなかったことを悔やみ、死がもう少し遅く訪れることを望んでいる旨も書かれており、結局は生き続けたいという気持ちが勝ったようだ。

ドイツニュースダイジェストより


自分の才能を十分に発揮する機会がなかったことを悔やみ…とありますが

え!? そうなんですか?

ベートーヴェンともあろうお方がそのように感じるならば、凡人は何をどのように悔やめばいいのやら、と思ってしまう一文であります。

イチローは引退の時「悔いなんてあろうはずがない」と言っていましたが、一体どちらが正解なのでありましょうか?

人生は深い。。。



毒親からスパルタ教育を受けて才能を開花させた


 1770年12月16日ごろ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはボンの宮廷音楽家のヨハンと宮廷料理人の娘のマリア・マグダレーナの間に生まれた。幼い頃よりスパルタな父親から音楽教育を受けていたベートーヴェンは、楽器と一緒に部屋に閉じ込められたり、夜遅くまで練習させられたこともしばしば。また、ピアノのほかにオルガン、ヴァイオリン、ヴィオラなども演奏できたという。コンサートデビューしたのは実際には7歳のときだったが、父は息子をより「神童」に見立てるため6歳と年齢を偽わり、ベートーヴェン自身もそう信じていたという逸話も。父親はパーティー好きの浪費家で、酒癖も悪かった。一方、優しかった母親はベートーヴェンが16歳のときに死去。母親の死後、家族を支えたのはベートーヴェンだった。


父親が毒親であったか、教育熱心からのスパルタだったのか真実は分かりませんが、「虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けた」という文献もあるので、酒癖の悪さからいっても毒親であった可能性は非常に高いでしょう。

毒親に育てられてもそれに応えられる器が大きければ、大成する人もいるという良い実例だと思います。

ちなみにモーツアルトも同じように父に見出され、幼い頃からスパルタ教育を受けますが、モーツァルトの父レオポルトにはそのような話はありません。レオポルトは娘のナンネルも素晴らしいチェンバロ奏者に育て上げています。

ベートーベンの父は、レオポルトに追いつけ、追い越せ、と躍起になっていたに違いありません。

同じ偉業を成し遂げても、かたや「天才を育てた父」かたや「呑んだくれの毒親」と250年後までもこうして書かれてしまうのですから、気を付けたいものです。



小柄でガッチリ体型、汚部屋だけど清潔好き?


身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質でがっしりとした体格をしていた。基本的に服装には無頓着であり、若いころには着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

ウィキペディアから


怖い世の中でしたね。帽子を被っていないと逮捕されてしまうのだそうです。無帽だけに無謀(座布団ください)。

「歳をとってからは一向に構わなくなった」とありますが、彼は56歳でこの世を去っています。一体、何歳からが老人なのでしょう?と、当時の様子よりもウィキペディアの表現に気を取られてしまう私。

ちなみに姥捨山に棄てられる年齢は50歳でした!(どうする?)


とにかく、モーツァルトやショパンほど若くなく、当時としては年寄という年齢まで生きて我々に感動を与えてくれる楽曲をたくさん残してくれたベートーヴェンに、心からの敬意とお祝いの言葉を述べたいと思います。

今の私にできることは、あなたの偉業を今の人達に伝えることです!


でも、あなたの作ったソタナは、ちと難しかった…


とにかく

お誕生日おめでとう!!






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