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自分を偽りたくない

私の母は、気に入らないことがあると感情をむき出しにして私をコントロールする。

私はそんな母が恐くて、怒られる時間を何とか減らそうとした。

そのために、納得していないことでも納得したことにしたり、嫌なことでも良いと言った。

できてないこともできたと嘘をついて、バレて怒られる負のループ。

自分を偽る癖はここでついたのだと思う。

怒られる可能性を感じるようなことは先回りして対策するけど、良かれが裏目に出て失敗。

母の感情が揺れているときは何をやっても無駄。

正解はその時の気分。
こないだの正解は今日の不正解。

相手の顔色を伺い、相手に合わせて自分を変える「私」はこうして作り上げてしまった。

人に嫌われることが恐ろしかった。

少しでも相手に「私のこと嫌いなのかな」と思うことがあれば、それをずっと気にして他の事が手につかない。

何か話しかける用事を思い付き、様子を伺って、普通の反応だったら胸を撫で下ろしていた。

何年も何年もやってきて、近頃ようやくそんなことをしているのが「嫌だな」と感じるようになってきた。

相手に嫌われると辛いから、やりたくないことでもやる、遠慮をする、相手に譲る、自分を後回しにする、自虐する、もううんざりだった。

我慢の限界だった。
自分で作り上げたそんな「私」を、続けていくことが嫌になってしまった。

そんな私が唯一自分を偽らないでいられたのは父だけだった。

父に盛大に愚痴っても、関係ないことで当たっても、どーんと構えている父は聞いてたり聞いてなかったり、相手にしなかったり色々だったけど、ちゃんと私に向き合ってくれたし、大切に育ててもらった。

父の前では、自分らしくということが理解できた。

だから私は、父の側が大変居心地が良くてつい長居をしすぎてしまった。

とっくに一人立ちをしているような歳でも実家に居座り、母と気まずいまま、父の側にいた。

これでいいのかな自分の人生。
人に合わせて自分を変えて、人の顔色を伺って、嫌われないようにビクビクしながら綱渡りして、父の前でだけ羽を伸ばして。

もう30歳になるのに。

父だってずっと一緒にいられるわけではない。

しっかり自分の足で立ちたい。
そんな気持ちが芽生えてきた。

そこに大きなきっかけがあった。
仕事の休みが母と被るようになったことだ。

母のいない丸一日でうんと羽を伸ばしていた私は絶望した。

父と離れてでも、生活が貧しくなってでも、母から離れたかった。

せっかく、自分の足で立ちたいと、変わりたいと思ったのに。

母といる時間が長くなれば、頭が霧に包まれて自分の意志が消えてなくなるような気がしてしまった。

それが、私がギリギリ20代滑り込みでの一人立ちに至った経緯だ。

そんな私にはたくさんの課題がある。

その1つが、母とよく似た「お局」である。

こちらについては、また次回。

続く

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