ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。
haruさんの本である。
性同一性障害で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)で、解離性同一性障害(多重人格障害)の主人格『haru』について、交代人格の人たちがどういう風に『haru』の中に存在しているか、また、生まれた経緯や思いが綴られている。
多重人格というのは、ドラマで目にしたことがあり知ってはいるが、なぜ多重人格になるのか、別人格(交代人格)が出ている間、本人(主人格)はどうなっているのか、あまり深くは知らなかった。
だから、この本があると知ったとき読み知りたくなった。
交代人格たちは、『haru』を守るために生まれてきた。
『haru』の交代人格の何人かは、小学校・中学校・高校の入学時期に現れている。
赤いランドセルや制服のスカートをはくことは、自分の性別に悩んでいた性同一性障害の『haru』には辛かったのだ。
心が不安定になる度に交代人格を生むことで何とか自分を保ってきたのではないだろうかと思う。
交代人格同士の記憶は共有しているが、主人格は交代人格の記憶は共有できないため、交代人格が表に出ている間の記憶はないらしい。
ただ、交代人格の声は聞こえるので、情報共有はできるとのことだ。
ドラマでは主人格を交代人格が乗っ取る場面があったりするが、『haru』の交代人格たちは『haru』の人生を最優先すべきことを理解し、乗っ取ろうとはしていない。
解離性同一性障害は若い人に多く、歳をとればメンタルが安定し、症状が薄れていくという。
そうなれば、交代人格たちは消えてなくなるかもしれない。
もしくは消滅せず奥底に沈むだけなのかもしれない。
交代人格の一人はそれでもいいと言っている。
僕らが必要なくなって、僕がいなくても『haru』が生きて自立していけるのであればそれに越したことはないという。
少し切なくなる。
『haru』から生まれた人格とはいえ、存在しているのに…
交代人格たちがいたからこそ、今の『haru』がいる。
全人格が統合されて1人の『haru』になれたらいいのにと私は思うが、それは私の勝手な思いで、どうなることが『haru』にとっての最善かはわからない。
『haru』がどう成長していくか。
この先もずっと『haru』を知り続けていきたい。
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