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コンビニ人間

村田沙耶香さんの本である。

主人公の惠子は、世間一般的人間の思考からズレている。

36歳独身で、コンビニのアルバイトとして勤めて18年になる。

社員ではなく、アルバイト。
今まで彼氏がいたこともない。

世間一般的普通の人なら、焦ったり不安になるところだろう。

だが彼女は何に焦って不安を感じるのか、普通の人の思考が分からない。

コンビニが全てで、コンビニを中心とした生活を送っている。

コンビニは彼女の生きる場所であり、生きる意義なのだ。

彼女の過去に何かあったのかと疑問が浮かぶが、家庭環境も普通で、大切に愛され育てられた。

育った環境が、彼女を変えたのではなく、産まれた時から彼女はそういう人間なのだ。

彼女が子どもの頃、
公園で死んでいた綺麗な小鳥を『食べよう』と母親のところに持ってきたエピソードがある。

他の子どもたちは、かわいそうと涙を浮かべているのに対し、彼女は唐揚げの材料にすべく持って帰ろうと思ったのだ。

かわいい動物が死んでいたら、『かわいそう、お墓を作ってあげよう 』と普通は思う。

『普通』

普通って何なんだろう。

誰が決めた普通なのだろう。

これがかわいい動物ではなく、ゴキブリだったら。
『かわいそう、お墓を作ってあげよう』と涙を浮かべる子どもは普通なのだろうか。

彼女が、コンビニのバイトではなく医者だったなら。
36歳独身で彼氏がいたことがなくても。

自分を犠牲にしてまで世のため人のために働くなんて、素晴らしい人だと普通に評価されるのだろう。

私たちは、いったい誰が作った『普通』の上に立っているのか。

どう感じるかは人それぞれで、
人に決められることではない

伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』に出てくる少年の言葉だ。

私の『普通』は、人に決められた『普通』なのではないだろうか。

こうあるべきと刷り込まれた『普通』

他人によく思われたいがための『普通』

私の『普通』とはいったい何なのだろう。

私はいつか彼女のように自分で感じる『普通』の上に立てるだろうか。

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