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好きなことで、生きていく という嘘について

「好きなことで生きていく」という言葉がある。「好きを仕事に」だとかよく見ますよね。これに一番当てはまるのがyoutuberだと思います。そもそもの話、ヒカキンやはじめしゃちょーが毎日のように、子供向けの玩具を大人が変顔しながらレビューをしたり、体中にスライムをまとわりつかせることが、彼らの本当に好きなことだと思いますか?

彼らの動画投稿が仕事として成立しているのは、間に挟まる動画広告による広告料が払われている、もしくは企業案件による商品の広告があるからです。
彼らが紹介する商品の全ては、その動画を見るまでは、全くといって必要のない物だったのに、見た瞬間に要らないはずのものが欲しくなるわけですよね。

そういう意味では、視聴者と投稿者も似たようなものだと思います。
砂場を与えられた子供がその砂で何かを創るしかないように、youtubeというメディアが産まれたから、彼等はそのメディアの中で動画投稿する事ができたんですよね。
ヒカキンもyoutubeがなければ、どこにでもいるスーパーの店員だったでしょう。
彼らも私達も、youtubeが存在しない世界ではyoutubeを好きになりませんよね?

好きとか嫌いとかも、後から与えられたものだと思うんですよね。そういう意味ではあらゆる仕事にも希望があるといえると思います。好きだとか嫌いというのは行為の後に決まることだからです。
つまるところ、好き、というのは自身の生が無意味でないことの肯定のようなものなんだと思います。

私はこうやって仕事もせずに、noteを書いたりツイートをしてるわけですが、それは私がパソコンを与えられて書ける場があっただけなんですよね。
文章を書く時に、一文字目から"好き♡"と思いながら書いている人間がいるとしたらキチガイだと思います。書くと何”いいね”だとか”コメント”が付くことが分かったので、ボタン押したらエサが出る鼠みたいに繰り返してるだけなんだと思います。

でも、これはいい傾向だと思います。ヒカキンもはじめしゃちょーも初めに動画投稿をしていた時は、きっと今の生活を想像していかなったでしょうから。私達はエサがたくさん出そうなボタンを探せば良いんです。






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