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バベルの図書館とハムスター短歌とAI

文章を書く人なら誰でもこの行為が全くの無意味なのじゃないかと考えてしまうと思う。ましてや無償の日記であれば尚更そうでしょう。

『バベルの図書館』という話がある。その図書館は、同じ本が2冊となくて、全ての文字列の羅列を書いた本が存在している。例えば「ああああ」「いいいい」だけ書いてある本もある。そうすればいつかはシェイクスピアのハムレットや、今日の私の日記と全く同じ文章が出来上がるという訳です。
ほとんどは無意味な文字の羅列でしかないのですが、中には自分の気持ちや言いたい事を代弁してくれるような本もあるわけですね。
コンピューターのランダムな文字列の配列によって産み出した文章と、私が書いた文章がまったく同じだった場合、私は果たして書く意味があるのかなと思っちゃいますよね。

ツイッターにハムスター短歌というアカウントがあって、ハムスターが回し車を回すと、語句がランダムに選ばれて短歌が生成されるというモノです。

中にはとてもいい詩もあります。

バベルの図書館は無意味な文字の羅列だったですけど、これはある程度厳選された単語を使っており、それっぽい詩が出来上がっています。
それっぽい詩で使われそうな頻出単語を組み合わせれば、動物が無意味に組み合わせた詩と、人間が一生懸命考えた詩が変わらないのを見ると、なかなか虚無な感じがします。

何故このハムスター短歌が受けているかという身体性や肉体性を感じさせないからだと思うんですよね。軽いニヒリズムのようなものをより突き詰めると動物になっちゃうと思うんですよ。詩を作る人間ってだいたい自分の肉体性とかを遠ざける感じがして若干イラつきますよね。
まるで自分が無色透明だとかクラゲみたいだなんて言いながら、AVやブルーアーカイブのエロイラストでシコるし、セックスはするし、排泄はするわけじゃないですか。ポエムってそういったものが全くないかのよう雰囲気が嫌なんですよね。肉体性はその人が持った連続性であり、デティールが伴ったものなんだと思うんです。それが抜けて何か詩的なな事を言われても、空虚な感じがする。

AIと人間を分けるものはもはやそこにしかないと思っていて、機械は排泄や食事をしないじゃないですか。将棋だって今やAIのが強いけど、注目されるのは棋士が何を食べたかみたいなことじゃないですか。そういった身体的なものにしか人間が持つ優位性はないと思うんですよね。

今すぐ日記なんか辞めて外走り回ってきます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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