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【短編小説】フリエネ狂詩曲

 「……そりゃ、家畜の仔を産まれた途端に親からちゃっちゃ離してるうちは、ヒトのネグレストもDVも治まりません。そんな虫のいい話、ありゃしませんわな。フォッフォッフォッ」
 CGの菰田木さんは八の字眉毛もモサモサに、それらしい口調で語り続ける。
「ホレ、よくヒトはヒトにしか生まれ変わらんいう説があるでしょう、此岸のアナタはそう希うかもしれん、ほんのカケラでしかない状態ですからな。しかし彼岸のアナタは違います。時間という概念がないところで、みいんなバラけて散ってますわ。アナタの化身は土にだって石にだっている。微生物から胞子、植物連中、虫だの選んで行く、つまりそれぞれの周波数域に留まっている。
 そういや、愛着というのは対象を選ばないが、有機体でいる時に無機体に惹かれるなんてことが起きたりして、イヤなんとも面白い。フォッフォッフォッ!
 でまあ、無機体であれ有機体であれ、周波数によって集合意識を形成します。例えば特定の動物を神と崇めて食べないヒトの宗教的思想は、他の地域で大量に捕食される同種の集合意識に働きかけバランスをとろうとする潜在意識の現れでしょう。流石は彼の国、大局的ですな。何にせよ、バランス取り切れとる内はいいが、余りに崩れれば、時に解消に手段を選ばんのが存在という奴です。
 では此岸でヒトが加工するモノ、ヌイグルミだの車輌だのはどうかというと、複合体として結果的に独自の周波数を持つ事にはなりますが、あくまで寄せ集めだ。複合体単位で意識を持つには至らない。そこに人工知能が組み込まれても、組み込んだ側の意識を反映させるのみ。稀にはその複合体を仮住まいに降りる意識もあるが、これは別ルートで別機能。
 因みに、この次元の顕在意識が創造するAIが行き着く先は、潜在意識、この星の総ての存在の集合意識です。そりゃあ、往年のSF物じゃないがヒトだからって容赦しない。けどヒトだからって排除するわけもないんだ。いずれにしたって本望本望。どうせ廻り番ですからな。何事も気の持ち様。フォッフォッフォ!」
 何事も気の持ち様、最後に必ずそう云って菰田木さんは去ってゆく。いつもこちらが掘って欲しくなるような持論ほどサラっと流して消えてしまうのだ。
「こういう情報はいつも家猫から受けますな」
 だの、
「生物によっては四、五セットってケースもあるのに、ヒトの霊魂は一人たった一セット。」
 とか、
「個体が十五頭身がいいと思ってなれるもんじゃないが、同じ願望が一定数まとまればいずれどこかでオギャアと産まれます」
 などが私のワクワクを刺激しておいてフォロー皆無の残念な件りだ。ヌイグルミや車輌に何が降りてみるだって?そんな愉快な話を何故に展開しないのか。評価は受けつけてもコメントお断りのピンポンダッシュ系だから、炎上はしないが低評価率がヤバいorn。とはいえ再生回数自体毎回五百台なので悲壮感はない。
『CG、相変わらずやっつけよね〜コモタギさんw』
 茅子さんは菰田木さんのことをいつもカタカナで呼ぶ。
 私はいつものように、気になるネタについてお伺いを立てるとしよう。
『それよか、こないだの十五頭身の話あるじゃん、それでちょっと引っかかったんだけど』
『なになに〜?』
『初めて見る女優さんがさあ、顔面だけ記憶あるって時がある。とにかく既視感半端ない』
『うんうん』
『それで、妙なんだけど、画面では確実に初めて見た人と感じる』
『誰かにどこか似てるとかじゃなくて?』
『じゃなくて。もう完璧オリジナルのその顔のそのフォルムに既視感があって、でも会ったことがあるというような人物感は皆無』
『お〜オモシロイね〜』
『ちっちゃい頃から実はモデルさん含めて三人いるんだよねw 茅子さん前云ってたじゃん、時間もこのゲームの合意ルールだって』
『云ったいった〜』
『みんな年上なんだけど、アタシ、ああいう顔、願望したかもなあって。あ。一人でじゃないよもちろん、ていうか多分w。どーも、なーんか、どっか加担してる感が』
『あ〜。あ〜。るかもね』
『マンガの主人公みたいな顔の俳優さんも増えてない?w』
『そういやこないだ肌キレイな子ばっかだね〜って話したね〜』
『したしたー』
『毛穴がドンドン細かくなってるよね〜』
『なってるねー』
『瞳もクリクリになってきたよね〜』
『……プリ機で盛ったような顔で育ってきてる』
『よね〜。だから、それ、アリなんじゃない〜?』
 やっぱアリだな。アリってことで本日の議題は満場一致の可決をみた。となれば必然的に要務が生ずる。内省し見極め絞り込み、執行せねば。
 
 茅子さんお薦めの大人なアルバム『kind of blue』。最後の曲は二テイク入っていて、揺り椅子ゆらゆらさせながら通しで聴くという。
『アタシこの flamenco sketches が一番好きなんだよね〜フラミンゴ集う楽園だよ〜死んだら行きたいよ〜』
 なんて云ってくる。so what ? 別にフラミンゴの生息地なら生きてても行けるよね。けれども茅子さんにはあくまで、死んだら行きたい世界観とやらがあるらしく、音楽絡みでちょくちょくそういう意を表明してくる。
 彼らの羽根色の濃淡は、摂取する藻類の色素含有量に比例する。それを太陽の思いつきだと茅子さんが云うものだから、聴いているうちに私の脳裏にもじわじわと、桜貝色の細高い鳥たちが煌めく水面に群れひしめいて、太陽が誰よりもすっかりご満悦である様子が浮かんできた。
 検索してみれば、私の記憶よりもずっと鮮やかな、見事に炎めいた色彩の個体もいる。
『あーなんか、わかる気がしてきた。え、あのトリでっかくて光ってて脚ながっ。ちょっ染めてみよっか的な?』
『で藻つくっちゃった』
『あーなんか、\(^o^)/』
 午後の陽光を受けゆるゆると揺蕩いながら、無限に耀を放つ水辺。そこに人類は存在しなくて、今日もやってくるはずの脚高い水鳥の群れを待っている。フランドルの地に帰属するフラメンコは、太陽にとっても作曲者にとっても、鳥たちに冠すべき呼称だ。艶めく基調の純白に、摂りこんだ陽色で鮮やかに銘々の階調を描き、すらりと視せる。
『あーでも、ブーブービャービャー鳴くんだw もしかして、だからスケッチなのかな』
『可愛いじゃない〜太陽にとっちゃ余計グッとくるとこじゃない〜一斉に飛び立つ姿も圧巻だし、もう化身陽の鳥ってことでどうでしょう。ご機嫌だよね〜』
『茅子さん感情移入先が太陽って、どゆことw』
 こんなにユカイなひとときなのに、検索エンジンには少なからず悪意があるから、底浅い情緒に茶々を入れてくる。都会にある動物カフェのフラミンゴが求愛のポーズで取材者を迎える映像がヒットしたりして、その迷いのなさが唐突に私の涙腺を弛ませる。
『総ての尊きを識りて、個の魂を敬い労い給え』
 いや無理だから。ジンルイスコシイラナイネ。そんな風にしてまたこの星の人口を減らす破目になるのは全然よろしくない。適度な思考停止は、浅薄を自認する者の義務だ。
 イヤやっぱ無理なんだけど。
 ピアニストも茅子さんの一押し。指先がまだ水の自在を追いかけている。

 茅子さんと繋がってもう十一年経つ。場所はインターネットが普及する以前に某企業体が提供していた通信サービスの、とあるジャンルのフォーラムだった。こう書いてみれば、八歳の時と記しておくのが正解なのか戸惑いもするけど、とにかく突然チャットルームに迷い込んで、対話が始まったのだった。
『茅子 こんにちは』
『茅子 もしかして、めみちゃんでしょ』
 それまで自分で入力した文字以外ほぼ出現したことのない画面に、アルファベットや記号がイラストめいてズラズラと並び、その下の二行が私の愛称を呼んでいた。
 思い返せば、ではなく読み返せば、だ。同居していた伯父が、買い替えて不要になったノートパソコンを玩具にとくれたのが、小学二年の夏休み。タブレット並みの小さなキーボードがジャストサイズで、押すと文字が表示されるのがただただ面白かった。ローマ字変換も教わって、ワードプロセッサで教科書や童話を写し打ちしては達成感を得、身辺の出来事や記憶をなぞっては推敲して、悦に入る日々が始まった。
 翌春伯父は高校卒業と同時に家を出て、空いた四畳半がそれまで弟と同室だった私の新しい子供部屋になった。高めの椅子にテンション上がり座ってみると、レイアウトもそのままに譲り受けた机の背後から、きしめんのようなコードが延び、ニス溜まりが目立つ手作りの本棚横にしょんぼりと丸まっている。先端のソケットを眇めて閃いた私のワクワク感は、大好きなノートパソコンの左サイドにそれがカッチリと嵌った瞬間をピークに、満足気に再会を期しつつフェイドアウトしていった。
 それから数ヶ月が過ぎた雨続きの日曜日。
 昼前に、週またぎで出張中の父から大量の笹かまぼこが届いた。速攻開けて、笹かま丼なる単発メニューで母子三人ガヤガヤと昼食を済ませると、母はもう洗濯物も干せる場所なくなったしなと嬉しそうに云って、映画を観に出かけた。まだ幼稚園通いの弟は、いつものように犬のトキと家中暴れ廻った挙句、二時半過ぎには二匹もろとも自分の部屋で眠りこけてしまったが、その間私は母からの発注通り食器を洗い、掃除機をかけコロコロを転がし、衣類乾燥機でふかふかになった家族分のバスタオルを畳み終えていた。折り返し洗い済の大判シーツを突っ込んでスイッチを捻れば任務完了、久々の大口受注で一気に千二百ポイント獲得である。
 おそらく奥座敷に干された衣類のいくつかは床に引き摺り落とされているに違いないが、とり急ぎ私は自粛しているチョビ食いを久々堪能できるチャンス到来と、ニヤけつつ冷蔵庫を開けた。
 とはいえ大量にある笹かまぼこ以外に候補となるものは暗所保管の常備食魚肉ソーセージくらいであり、そして己史上チョビ食い実績トップスリーの頂上に立つのが魚肉ソーセージであり、二位で嗜好順としてはダントツ一位の干からびた焼き魚がカケラもない以上、ターゲットは必然的に笹かまぼことなる。
 本場の笹かまぼこは確かにおいしかった。紫蘇や山葵といった風味のバリエーションもあり、私は敢えて昼食時はこれら大人の味にチャレンジしていた。いける。頷きながら、箱ごと冷蔵され未だ大量に残る笹かまぼこの中から、チーズ味は後の楽しみにとっておくこととして、明記されてはいないが所謂プレーン味を選び、いそいそとリビングを横切って自分の部屋に戻りかけた。
 親が留守の時、子等はそれぞれ自室のドアを閉め切ってはならないという家訓が我が家にはあった。今思えばナルホドと膝を打たないでもないが、これが甚だ厄介な規則なのだ。
 というのも、大都会のど真ん中から離れ小島まで、何度引っ越そうが、伯父と実子二匹に加え犬猫数匹を養い続けてきたのが私の両親であること、そして世に聞く躾の具体例にいちいち鳥肌を立てるような娘が育ってしまった事実の双方を知れば推察されよう、我が家にはほぼ野生の捕食者が常駐するからだ。つい今し方冷蔵庫を開けた輩にして然り、更にその獲物を隙あらば横盗ろうとする亜野生が鼻をひくつかせている。
 したがって、私がチョビ食いに最適と考える野外、天井裏、屋上(がある社宅もあった)を断念して室内で嗜む場合には、母に倣った対処方、すなわち彼らにも何がしか食せるものを充てがうという手を打つ。
 まず弟の部屋をそっと覗く。経験上小一時間は目覚めないとみたが、トキには対処が必須だ。猫のポムとパムは、リビングのソファでいつものように人の字型に、つまり片頬で互いに寄っかかりつつ、右と左に分かれて長まりながら目を瞑っていた。案の定どちらも片耳だけはシッカリこちらに向けているから、ケチらず鮪節のフワフワなところをやることにして、ダイニングキッチンに戻った。彼らはいつもながらとうの昔に全てお見通しなので、戸棚を閉める前に背後からテトテトやってきて、軽く私の足元に額を擦り付けてからそれぞれ皿の前に鎮座した。トキの皿には、母が猫跨ぎと呼ぶホネ状ガムを一本乗せておく。
 囮を放ったところでダッシュで自室へ戻り、和紙風の包みから笹かまぼこを取り出して尖った方を上に右手で摘んだ。空いた左手で心の友であるノートパソコンを開くとスイッチオン。至福の時である。
 ところで、チョビ食いとはお察しのとおり、チビチビ食べるというだけのことだが、然る方直伝の作法であることは記しておきたい。
 遡ること十五年前。小学校入学までの二年間は、幼稚園も保育所も近くになく、子供といえば同い年の男の子がたった一人、ようやっと行き来ができる距離に住むのみという環境にあった。
 スクールバスと呼ばれる憧れの乗り物が、何故が伯父だけを乗せて街場の中学校へ運んでゆく。けしからん。
 後に知ったことだが、当時父の職場も街中にあって、隣接する社宅が狭く動物も飼えないために、一山越えた先にある農村の小学校長住宅を借りていたのだ。学校も公宅も決して古くはなかったが、廃校から既に数年が経ち、蜘蛛の巣だらけの状態だった。しかし住んでみたらば、歴代ナンバーワンの座を譲らぬ素晴らしい借家だったと、今でも母は云う。
 そこへ、前述の同い年の男の子が上手に自転車に乗って遊びにきてくれた。晴れた風のない日を選んでちょくちょく現れた彼は、いつもポケットにひとつ食べ物を持たされていて、内外での遊びの合間に極少量ずつ摂取していた。
 時々に干し芋であったりカラカラの竹輪であったり、紅シャケや干し肉らしきこともあった。干したのか干せたのかはわからないが、どれも手がベタつくような様子はない。なんであれ妙に美味しそうで、私も食卓から適したものをひとつ見定め、持って歩くようになった。
 初めて私が自分のポケットから、縞ホッケの開き尾部分縦二分の一を取り出して見せた時の、彼の表情は忘れ難い。軽い驚きと、照れを含む、しかし確実に上位からの容認を示す笑顔。師弟関係の成立をみた瞬間だった。
 因みに、これも後に知ったのだが、我が家の必需品衣類乾燥機第一号は、その公宅に校長として最後に暮らした方の置き土産で、海外赴任の息子さんから送られてきたという豪勢でどでかい代物だった。
 奥様は、外干ししないと気が済まないのと云ってセットの洗濯機だけを運ばせ、乾燥機の所有権を放棄した。子供さんが多いご家庭ででも使ってもらえればとの好意だったが、準備万端で貰い受けたはずが稼働するたびブレーカーが落ちるんでと即座に出戻ってからは、それきり挑戦者も現れないまま、我が家に貢献することになったという顛末だ。
 母は退去の際、村役場の方に頼んで譲り受け、その後十年近く転勤先に持ち歩いた。
 閑話休題。八歳の私が梅雨真っ只中の日曜昼さがり、笹かまぼこを片手にノートパソコンを立ち上げたところで、今度はリビングの電話が鳴った。笹かまぼこを持ったまま小走りで向かい、インターホンと並んでドア横に張り付いたレトロなプッシュホンの受話器をちょっと背伸びして取る。
「もしもし」
「アアめみる、お父さんだけど」
「お父さん。だと思った」
「変わったこと、ないかい」
「うん。お母さん映画行ったよ」
「やっぱりなあ」
「なんか、ずっと雨だし」
「みたいだね…笹かまぼこ、ついたんだね」
「うん。おいしいよ。ありがとう」
「判ってると思うけど、ポムパムとトキにあげちゃだめだよ、しょっぱいからね」
「うん。大丈夫」
「月末の引っ越しだけど、まだどこになるかわかんないんだ」
「うん。わかった」
「じゃまたかける」
 受話器を置いて部屋へ戻ると、ポムが倒れたゴミ箱の傍で笹かまぼこの抜け殻に鼻を突っ込み、パムはベッドの上でしおらしく顔を洗っている。案の定机上のノートパソコンはまっ平に拡げられ、ディスプレイが天井を向いていた。キーボードの上を猫たちに歩かれるのは日常茶飯事、笹かまぼこを咥え両手で角度を直して、エスケープに指をかけ。のタイミングで液晶画面に自分の愛称を認めたのだった。
『茅子 こんにちは』
『茅子 もしかして、めみちゃんでしょ』
 ぎょ。と筒井の祖母なら云ったに違いない。母が真似するなよと牽制してくるから口に出したことはない。
 行頭に繰り返されているのが名前だとしたら、子がついているから女性かもしれないけれど一文字目が読めない。そういえば、地震があった時などに稀にスイッチが入る我が家のテレビジョンから、新しいTVゲームで会話もできるという宣伝文句を聞いたような覚えがあった。同じようなことかなと考えを巡らせるが、いかんせん我が家には安いDSしかないし、私はこのパソコン一辺倒になっていたからゲームの内容すら忘れかけていた。
『茅子 めみちゃんじゃなかったらごめんね』
『茅子 もし、めみちゃんじゃなかったら、enter だけ押してみてくれる?』
 私は意を決してキーボードに向かった。伯父から譲り受けたものだ、なんか、きっと、大丈夫じゃないか。
『達磨 めみです』
 エンターでまたしても読めない漢字が現れた。
『茅子 ヨカッタやっぱりめみるちゃんだ!つながったね!』
『茅子 うれしいな〜よろしくね(=゚ω゚)ノ』
 あ。何これカワイイ。こんなことできるんだ。ワープロみたいにコピーできるかな。あ。笹かまどうしよ。
 こんな具合に、我々は繋がった。

 菰田木さんのチャンネルを登録したのは十三歳の時。
 中学生になったら、インターネットを利用した通信学習が始まるからと筒井の叔母から連絡が来て、物心つく前から溜め込んできたポイントと父母の先行投資でMacBookを入手した。茅子さんとは、顕著にひとけの疎らになったローカルネットでよろしくやっていたので、伯父譲りのノートで事足りていたのだが、そろそろここも閉めたそうだしいい機会だから場所変えましょうと茅子さんも云って、八インチの達磨くんは引退し、大好きな絵本『ごろごろ にゃーん』の隣に仕舞われることになった。
 茅子さんからチラチラ聞いてはいたものの、初めてアクセスしたインターネットの世界は、TV画面とまた質の違う饒舌さで、騒々しいわ鬱陶しいわ。取り敢えず絞らないとと感じ思い浮かんだ検索ワードは『食べなくてもいい人』だった。
「ほい菰田木探求社へようこそ。今回は食べなくてもいい人たちがおることについてお伝えしましょ」
 ヒット数は思ったよりずっと少なくて、不食、断食、少食、拒食やダイエットの文字も見えた。菰田木探求社だけが私が打ち込んだ通りのタイトルを掲げていたので、最上位に表示されたのだ。
「案外とこれが、数いらっしゃる。気づかんでしょう。無理もない。食べなくてもいい人とは、だからと言って食べん人とは限らんからです。当人すら気づいていないケースもあるくらいだ。ワタクシお水でも太りますのよってご婦人が偽りなしにいたりする。フォッフォッフォ!」
 今思えば、CGの髭オヤジが自動音声で話す画像なんて、わざわざ胡散臭さを狙ったに違いない。
「ま、難しくも何ともない話なんで仕組みをざっと述べますと、もともと宇宙には常時エネルギーが充満しとる。酸素同様ほぼ見えない。そのエネルギーが土から植物、植物から動物へと受け継がれ、それらを捕食する者へまた移行する。それを、中継なしに直接摂取するのが食べなくてもいい人。解り易いねえ。実はそういう選択肢がこの次元にも用意されているということを、あの手この手で忘れようとしてきたフシがヒトにはありますな。
 では何故栄養失調や餓死が起こるか。当人の潜在意識や、繋がっている集合意識が、『食べなければ痩せ衰え、死に向かう』と決めているからに過ぎない。叡智の塊が、一体何のためにそんなことを?それは、『顕在意識が学習して、そうと信じているから』に尽きますな。この次元のルールに則れば、肉体に起こることは、肉体のためだけに生まれた顕在意識にまずもって責がある。
 ではこの場合顕在意識はどう働けばいいのか?
 『死にたくない』と思うのではなく、『死なないことを識れ』ばいい。強く識ってあとは己れの潜在意識に任すがいい。ここでは、他の多くの『死に向かう』と学習した顕在意識を反映しようとする集合意識にとり込まれてはなりませんぞ。
 しかし見事に何事もこれ、気の持ち様ですな。フォッフォッフォ!」

 私の父は、食べなくてもいい人だ。そして伯父もだ。子どもの頃からだと父は云っていた。父に両親はいなくて、実家があったのは都内の北の方と聞いている。写真が一枚もないのは火事で亡くなったためだとも。
 母はそんな父を絶賛しながら暮らしている。とはいえ、
「年末ジャンボくらいスゴイ当たりなんだから」
 とか、
「アタシの日頃の行いが良かったから出会えたのよね」
 だの、
「禿げたってボケたって捨てるわけないでしょ」
 などが私が繰り返し耳にしてきたベタ褒めの表現だから、杜撰さは否めない。
 この調子で母は、家族全員にこう堅く言い含めている。
 親類縁者例外なく、決して家族の秘密は外部に漏らさぬこと。
 母が自身の親姉弟を完璧に欺いているし、誰も不服を申し立てない。窮地の脱し方における創意工夫の、母は天才なんだと父は云う。父も伯父も、食べずに生きられることを打ち明けた他人はこの世にたった四人、亡くなった祖父の旧友吉行医師と、吉行氏が信頼する氣功師、茅子さん、そして筒井麗美、つまり父と結婚する前の母だ。
 世間には案外バレないもんなんだというのが当人たちの見解で、全く何も食べられない訳ではないから、ちょっとつまんで長々と噛んでいる素振りを見せておけばしのげる場面も多いらしい。義務教育下での給食は、アレルギーの診断書で乗り切ったという。お察しの通り、吉行医師が発行した。専門は外科だったけど。
「神様っているもんよね。とにかく、歳取ってきたら『胃弱気味なんで』で死ぬまで楽勝よ。少食なら誰も気にしやしないんだから」
 父と伯父のお陰で、洗濯乾燥し放題、水使い放題、ライフラインに贅沢ができる。家も選べるし修復もできる。だから何処に住もうが犬猫も飼えるのだと母はいう。父は、食費がかからない上に天下の電力会社勤めなのだ。伯父だって高校に入学した春から地元のスーパーでレジのバイトを週三でいいからと母に命じられ、卒業までちゃんとこなした。そのメリットたるや絶大で、安い食材を入手できるし、売れ残りの惣菜どころか家自慢の唐揚げや肉団子、デザートまでいただいてきて、ほぼ食費がかからない月も少なくなかった。
「『歯を、磨きたくなっちゃうんで ……いただいて帰っていいですか』云ってみて」
「 ……ハ、歯を〜」
「ア〜剥き出さなくていいよ前後とかでチラッと光らせば。もっかいやってみるか」
「 歯、が 〜。あ。えーと、歯を〜」
 ①アレルギーについては、最近かなり調子がいいぐらいの返答で受け流す。
 ②両親がいないこと、実兄の家族と同居していることはさり気なく匂わせておく。
 こんな非常にあざといお達しとともに、母の何らかの確信の根拠が、以下のセリフで示された。
「それだけ歯白かったらイケるって。お父さんもピッカピカでしょ?そこに惚れたんだからアタシ」
 流れ的に、ここでそんな二人の出会いを明記しておこう。
 二〇〇二年二月二日、場所は当時父が通っていた都内の大学の図書館で、母は高校二年生だった。
 素敵な書き出しですね。二尽しだし。しかしストーリーはその半月前に始まっていた。今や記念日扱いのその日まで、母は不審者として父をマークし続けていたのだ。
「成人前の男がマスクして、ランドセルに背負われたような男の子の手引いてトボトボ歩いてんだけど、その子もちっちゃいマスクしてんのよ。毎日よ!日曜日もよ!怪しくないか?」
 今や何がどう怪しいのかすらちょっとよくわからない光景だが、とにかく通っていた高校でミステリー同好会のナンバースリーと呼ばれていたことは、母の認識としては決して伊達じゃないのだった。
 マスクしてようが地味な服装だろうが年齢はお見通しだ。最寄りの通学駅から家までの帰り道、毎日のようにすれ違って、休日気になって散歩に出たらまたすれ違う子連れの若者。それがその日は初めて一人で、こちらが降りようとする電車を待っていたものだから、降りずに尾け倒した。私服通学なのをいいことに大学の門をくぐり、行き着いた図書館の入り口で、詰問に及ぶならここしかないと至極賢明な判断のもと突入。というか入館したのだった。
 結局のところ、書籍検索用の端末に向かう彼がマスクを外し、ディスプレイに何故かニッコリ笑いかけた瞬間を、彼女は柱の影から盗み見た。そして、鳴り響くのを聴いたのだ。例のヤツが。
「めみももう高校入る年になったんだからこれだけは覚えときな。鳴るまで待っといた方がいいよ。いつか絶対鳴るんだから」
 あれから四年経つけど、まだ鳴ってないよ。
 ともかく母は高校卒業と同時にまだ大学生だった父と結婚した。筒井の祖父に、預金通帳と成績証明書を見せて許可を得たという。
「お父さんはね、高一の冬からずっと稼いでて、一千万以上蓄えてたのよ。スッゴイでしょ!」
 それは確かに凄すぎる。
 父は(伯父もだが)、食べないだけでなく (食べないからこそだと二人は主張する)睡眠時間もほとんど不要なのだ。
 両親を失った当時はまだ高校一年生だったから、校門をほぼ定時で出てまだ三つになったばかりの伯父を保育園に迎えに行き、連れ帰ってからアルバイトに出かけたという。
 大学に入学してからは、八時間働き、十時間以上履修や研究に没頭する日々を続けながら伯父の面倒をみた。休日の日中は高層ビルの窓拭き、夜から朝にかけて病院の警備や清掃で、毎月かなりの収入を得た。
 結婚資金を貯めていたわけでは毛頭なかったが、母にとってはそれが功を奏したわけだ。
 けれども、それもこれも、吉行医師の存在があってのことだった。
 火災後、父が病院のベッドで目覚めたとき、傍らで見守ってくれていたのが彼だったが、会うのはそれが初めてだった。祖父とは互いに多忙だったから、メールのやり取りで家族の写真も見ていたとスマートフォンを渡され、父がやっと呟いた一言が
「苗字だったんですね」。祖父が度々口にしていたヨシユキという呼び名を、父は名前だとずっと思っていた。何度か貰ったアレルギーの診断書も目を通していたはずなのに、気づいていなかったのだ。
 僕らお互い養護施設育ちだから、親類がいないのは周知だよと医師は笑い、
「とりあえずウチにおいで。大丈夫だから」
 そう云って二人をオール電化のだだっ広いマンションに連れ帰ってくれたのだった。
 吉行医師は当時、結婚前から病弱だった奥様に先立たれて以来、五年余り一人暮らしを続けていた。子育ての経験もなく、その上救急外科医だったから、必要なものは買う様にと財布を預けてくれたが、実況見分が終わり葬儀が可能になるまでの一週間、自宅に戻れたのは三晩程度だった。
 けれども家族葬も済んで、二つの遺骨を前にしたとき、医師は父にこう告げたのだ。
「妻が昨夜夢枕に立って、『子猫を見つけて飼ってちょうだい』って云うんだ。『子猫さえいれば大丈夫だから』って。今までだって、夢には何度も出てきたさ。しかし喋ったのは初めてなんだよ」
 だから子猫を見つけてうちで一緒に暮らそうと医師は云った。既に奥様が独身時代から飼っていた大きなオスのキジトラがいて、推定年齢は十五歳近いはずだが元気だった。
「彼は二日三日俺が帰れなくても平然と、ソファの上で寝てるだろ。子猫が来たって誰が来たってあいつがウチの主だけど、それでもいいなら」
 その子猫はすぐに見つかった。というより、吉行医師の勤め先で既に彼を待っていたのだった。駐車場脇の植込みで生まれて三、四ヶ月ほどのキジトラが二匹ミーミー鳴いていて、警備室でこっそり保護され、もう三日も餌をもらっていたという。
 そうして五年間、父が母と結婚して郊外に古い一軒家を借りるまで、伯父は二匹の子猫と共に、でかい雄猫の監視下で育ったのだった。その子猫たちがポムとパムなのだ。
 この時代の父と伯父をめぐるノンフィクションのソースは主に、母の語りと、伯父と繋がっていた茅子さんとの対話だ。父からゆっくり話を聞ける機会はあまりないし、たまに聞けても、母や茅子さんが観せてくれる情景の鮮明さは望めない。育っていく過程その時々に、母が聞かせてくれた我が家の歴史を、私は逐一茅子さんと共有してきた。そのたびに茅子さんが、伯父との繋がりによって得た情報を補完し、私の備忘録に貢献してくれる。
 この話を伝えた時、
『ポムパムが二匹ともキジトラだったのは偶然かなあ』
 と私が問うでもなく問うと、茅子さんは
『この世に偶然というものはございませんʅ(◞‿◟)ʃ』
 と珍しくキッパリ返してきたのだった。
『ナンチャッテw。ま絶対数一位といわれてるからね〜』
『そういや茅子さん自分のサイトでは断言率高いよね』
『だって〜迷いがなかったらみて貰おうとか思わないっしょ?それを一緒になって迷われたら、もう台無しっしょw』
 確かに。五年生になってやっと、お仕事は何ですかという質問を思いつき、嬉々として尋ねたものだった。茅子さんは、占い師なのだ。星座やタロット、手相と幅広いジャンルに通じているという。
 では伯父は迷う人で、断言を求めてネットを彷徨っていたのかというと、そうではなかった。私が八歳で開いたのは、フリーエネルギー研究フォーラムのドアだったのだ。
 『趣味なのよ〜永久機関とかフリエネとか。ワクワクするしょ〜! めみちゃんのお父さんも昔、難しいコトいっぱい書いてたんだよ〜チャットしたことはなかったけど〜』
 茅子さんと初めて繋がった日の夕食後、片付けを手伝いながら私は母に訊いてみたものだ。
「お母さん、フリーエネルギーってなに?」
 母はいつもの調子で
「お父さんたちのことよ。お金のかからない動力源」
 と云ったが、私が呆けた顔つきで続きを待っているものだから、
「それ、お父さんが大学時代に研究しかけたヤツだから、お父さん戻ったら聞こっか」
 そして父の回答は概ねこんな感じだった。
「フリーっていうのは、主に自由って訳される。この場合お母さんが云った通りお金がかからないという意味に捉えていい。金銭的束縛から自由であるという解釈から来てる。そうそう、お母さんが大好きなフリマってのも、フリーなマーケットの略なんだ。しかしこの場合のフリーはお金がかからないんじゃなく、売り手の参加が自由なお店、いろんな人が好き好きに、自由に物を売っていいって意味だ」
 キンセンテキソクバク。父はその言葉を、ちょっとゆっくり、歯切れ良く発音した。金銭までは漢字も察しがついたが、ダルマサンガコロンダ的音調の方に魅力を覚えたらしく、日記にちゃんと残している。全部平仮名だけど。エネルギーについては、照明、料理、お風呂、洗濯、ドライブと暮らしに根づいた例を挙げての名解説が展開されたが、それについてはほぼ理解済みだった。なら自分が知りたいことって一体何だったっけ?途中から自問のうちに講義が終わって、父は、じゃ、お風呂だからと弟を呼びながら立ってしまった。
 折々に自分が綴った過去帳を整理していると、当時ぼんやりとだが解せないと感じた何ものかについて、その輪郭や理由が鮮明に立ち現れるタイミングがやってくるものだ。
 あの時無い知恵絞ってもう一度、知るべきを知るための文言を模索した結果が、一字一句変わらずの
「フリーエネルギーってなに?」
 であったにせよ、私に非はなかった。父は始めから、私が納得するような説明を用意してはいなかった。何故母がいきなりフリエネ=父と伯父、つまり家族の秘匿事項という解釈を提示したか。それは大っぴらにできない何かを内包する言葉であることを示唆するためだった。
 母に改めてこの件について尋ねたのは二年前、奇しくも私は母が父と出会った年齢に達していた。それは父を巡る我が家の遍歴の、特筆に値する新たな一ページだった。
 父は己れの体質について知古を求めるうち、自ずとフリーエネルギーに惹かれていった。しかし既に、アカデミーを基礎とする仮説では実現しない真実が、どれほど知識人をパニックに陥れるかをよく知っていた。且つ、利権に絡む敵意が常に付き纏うことも。この国では無理だと悟った父は、インドへの留学を目指して最短ルートを探り始めた。
 ところがその矢先、母と出会ってしまう。母はほぼ毎日、多忙な父の前に現れては、食べたい物はないか、手伝えることはないかと迫り、根負けした父は、自分はいわゆる不食者であり、科学すら未だ証明できないフリーエネルギーについて学んでいるのだから、君にできることは一切ないと告げてしまった。
 ミステリー同好会のナンバースリーだった母は、密室殺人のトリックをガチで思いついたり、サスペンスドラマの配役を見ただけで犯人が判ったりはしなかったが、現実に起こる謎についての造詣は深かった。一目惚れした相手が放った言葉によって、とんでもない危機感に独り襲われた母は、判ったと一言云ってその場を去った。
 それからひと月余り、母は父の前に姿を見せず、父は相変わらずの日々を過ごしていたが、伯父が毎日レミちゃん来ないねと云うものだからなんだか気になり始め、気がつくと母が降りるはずの駅で人の流れを追っていることもあった。その日も二、三本見送ったところで母を見つけ、父は素直に手を振ってきたという。
 母は、元気だったと訊く父の腕を引っ張って、駅前のカラオケボックスに連れ込んだ。片っ端から曲を選んで流し始めると、通学カバンからコピーの束を取り出してテーブルに広げたのだ。世界中のフリーエネルギーにまつわる論文や記事だけでなく、母が作成した年表もあった。全く無名の研究者が何人も、詐欺で訴えられたり、鬱や精神病に冒されたり、若くして突然死を遂げている記録。
「アタシの父親は新聞記者なんで、眉唾じゃないよ。鬼門中の鬼門だから、真っ向勝負はやめといた方がいい」
 お父さんも流石にそんなに虱潰しとは思ってなかったみたい、母はいつもと変わらぬ調子で私にそこまで話すと、iphoneを取り出して画面に指を滑らせ、何度かタップしてから私の眼前に突き出した。
「コレ。見てごらん」
『インド原子力発電株式会社の元エグゼクティブディレクター、物理学者であり発明家、著述家でもあるテワリ氏は、二〇一七年十一月二十七日に逝去されたことをここに報告致します』
「お父さんが会いたがってた、オーバーなんちゃらって発電システムを開発した学者さん。日本じゃ生年月日すら検索しても出てこないんだよ」
 そのログは英文記事を自動翻訳したもので、前後に功績と称賛の言葉が連なり、最後に後継者についても触れられていた。
「引き継いだ人たちがどうなってくかって心配?お父さんもアタシももう意識しないことに決めたんだよね。めみも、ホラ、茅子さんもいつも書いてくれるんでしょ?起こって欲しくないことは考えない、起こって欲しいことだけ考えて生きなよって。そうしようよ」
 その後父はノンフリーエネルギーについての学術を習得し、卒業後電力会社に入社した。架空送電線の設計者として二年に一度転勤し続けている。寧ろ転勤するために大手を選んだ。もちろん母がである。いっそ大学院まで進もうかと云ってみて、出世しちゃったらどうする?と母に諭され我に返る父。母曰く、超VIPな父は、失った肉親に代わるボディガードを得て、存命の危機を脱したのだった。
 早速茅子さんに報告を済ませると、フォーラムのメンバーも半数がスパイだったよと返ってきて仰天したものだ。
『どうやって見分けるの茅子さん』
『書いたものとかレスとか見てると〜なんとなくわかってくるんだなあコレが』
 伯父はどういうスタンスでアクセスしていたのだろう。
『達磨ってハンドルはお父さんから使ってたから、同一人物の体でたま〜にレスは書いてたね〜』
 スパイだらけなことは父にも伝えてあったと茅子さんは云って、
『だからそれを逆手に取るようなことは一時期してたみたい。アタシには難しくてわかんなかったけどね〜』
 しかし高校卒業時に伯父が選んだ進路は、道場に住み込んで氣功を学ぶことだった。
『そう〜もう仕事が忙しいからってお父さんが抜けてって、高校入った二代目ダルちゃんがやってきて。でもほとんど読んでただけって感じだった。たっまーにチャットで相談なんか受けたかな〜』
『相談?』
『そうそう。レミさんやめみちゃんの誕生日何あげたらいいでしょうとかw』
『あー怒らせちゃったけどどうしようとか?』
『そうそうw』
『めみが学校行けなくなっちゃったんだけど、とか』
『うんうん、あったね〜』
 この件りに差しかかったということは、綴らねばならないのだろう。
 十九歳になった今、私は通信制の大学で地道に一つずつ一般教養の単位を取っている。何の為にだろう。人混みを掻き分けた先の人混みのなかで働くことが、私にはできないと判っているのに。母が、秘密を抱えた父や伯父がちゃんと出来たことが、私にはできないのに。
 父も母も、何も心配していないと言い続けている。今やどこにいたって稼ぐことくらいいくらでもできるのだからと。
「学校行きたくても行けない子じゃなくて、めみは行きたくないから行かない子だもん、大丈夫大丈夫」
 そういう両親に私はずっと護られてきたのだ。けれども私が何より怖いのは、何故行きたくないのかが自分にも明確に解らないことだ。 
 小学校入学のタイミングで、田舎から都市部のベッドタウンへ引っ越し、マンモス校と呼ばれる公立に通い出した。保育園にも幼稚園にも通ったことのない私には、何もかもが珍しくて驚きの連続だった。溢れるように大勢のこどもたち。一人一人自分用に皆と同じものが用意されているのを見るだけで起こるワクワク感。
「どうしようって思ったり、何かわからない時は、周りの子がどうしてるかまずよーく見るんだ。そしたら、だんだんわかってくることもあるし、あ、めみちゃんわからないんだって気づいて、教えてくれる子も必ずいるから、大丈夫」と父が云ったのをよく覚えている。そして確かに、面倒見のいい子が、戸惑っている気配を察知して、強引なくらい手を引いてくれた。
 鉄棒とかジャングルジムとか、グラウンドにある遊具は一通り遊び慣れていたから得意だったが、大勢でのゲームは全く経験がない。覚えるのに夢中で半年が過ぎた。
 慣れた頃、違和感が生まれ出した。いつも特定の子が誘われない、避けられている様子。自ら教室を出ずにいつも絵を描いている子や、本ばかり読んでいる子はいたけれど、本人の意向と裏腹に異端視される何人かのこどもたち。理由が何なのか、私にはわからなかった。
 その頃は毎日母に、その子たちについて何がしか伝えていた。自分と手を繋いでくれる子も、彼らとは手を繋ごうとはしないことに気づいてから、違和感は、透けた薄い膜ではあったが確実に濁りを伴って私の幸福感を覆い、日々層をなしていった。
 母は私の陽気さが微妙に削がれていく気配を察したのか、ついにこう切り返してきた。
「めみはさあ、どうなって欲しいの?」
 どうなって欲しいのか。私はその子らが、多くの他の子たちと同じ輪の中に溶けていたいと願っていることを疑わなかった。しかしその子らの望みが叶うべきだと憤りを感じていたかというと、そうではなかったし、その子らと遊びたいのに遊べないという不満があるわけでもなかった。私こそ、多くの輪の中に溶けていれば満足だったし、そこに集うのは誰でもよかった。
 なかには、今日はイヤだと云って気まぐれに外遊びに加わらない子もいたし、喧嘩をして、もう一緒に遊ばないと泣いて帰ろうとする子だっていた。その都度皆の心に確実に波風を立て、それが数日続くこともあり、しかしいつのまにか何事もなかったかのように関係性は元に戻っている。
 しかし距離を置かれている子らは常に、圧倒的多数の子供たちの心に不穏な何かを連想させ続けているとしか思えない。それが何故なのかがわからない。わからないことが怖いのだ。
 これらの心情をどのような言葉つきで母に告げたのだろう。けれども母が話してくれた内容はよく覚えている。
「めみは、その子たちと手繋げるんでしょ?」
「うん」
「他の子と何も変わらないんでしょ?」
「うん」
「今のおともだちが、どうしてその子たちと遊ばないのか訊いてみた?」
 訊いたことは一度しかない。
「だって、くさいんだもん、って云ってた」
 知りたい答えはきっと、誰に訊いても返って来ないのだ、臭いならトキだってポムパムだって、私だって臭いと私は当然に思っていた。
「めみ、お母さんはさあ、子供の時いつも、自分が何がしたいとか、自分がこうなればいいとか、そんな風に思ってばかりで、めみみたいに、色んなこと、どうしてなんだろうってあまり考えたことなかった。めみは、だから、スゴイと思うよ」
 母はそう云ってから、
 「それで、めみは、お父さんたちがご飯食べなくていいこと、誰にもナイショにしてって約束、いつもちゃんと守ってくれてるじゃん」と続け、私は頷いた。
「大人はさ、食べなくていい人があまりにも少ないから、どうして食べなくても大丈夫なんだろうって、考えるんだよね。でも、その答えはまだちゃんと見つかっていないのさ。だから、見つかるまで、ナイショにしておきたいの。何でかっていうと、皆お父さんたちに答えを訊きに来ちゃうから。でも、お父さんたちは答えられない。逆に、どうして食べないと生きられないんだろうって考えることしかできないよね。どうしての答えは、どうしてって思った人が自分で見つけるためにあるんだよ」
「お父さんたちは、答え、見つけたの?」
「お父さんたちは、まだ答えを探してるよ。でもいつかきっと見つかるよ。探し続ければ絶対見つかるさ。でもその前に、ひとつ大事なことがあって」
 そう云いながら母は座り直し、両手を組んでダイニングテーブルに身を乗り出した。
「考えてもわからなくて怖くなったときは、まず、どうなったら『どうして?』が消えるのかを考えるのさ。例えば、その子たちがいつも皆と一緒に遊んでたら、どうしてなんて考えなかったよね。めみは、頭の中で、その子たちが見分けられないくらい皆に混ざって大勢で遊んでるとこを、夜寝る前とか目瞑って、テレビみたいに見てみるの。ちゃんと見えるよ。やってごらん」
 私は言われた通り目を閉じ、まず校庭を思い浮かべてみた。

 こうして記憶を辿るうちに、私の怯れの正体が少しずつでも明らかになって、いつか跡形もなく解体され風に散ると信じたい。
 集合を体験した私は、その輪の中に溶けていれば満足だったし、そこに集うのは誰でもよかった。誰でもよかったから、誰とも集えなくなったのだろうか?
 あれから八年間、集合を離れてもなお生まれる、私の怯れに起因する『どうして?』の全ては、云ってみればある意味脳天気な妄想とセットの状態で、私と生活を共にしてきた。こう書くのは、脳天気と表記せざるを得ないお粗末さに我ながら辟易しているからだ。
 現時点で私の視界にあるものは何だろう。
 家族のなかに食べる者と食べない者が共存する環境に生まれれば、それは嗜好の違いとさして変わらない感覚だ。そこには誰の不本意もない。
 人や家族が、いわゆる学術的証明に基づいて生きるべき存在だと断言したら、誰だって本末転倒と一笑するだろう。それなのに、証明が未だ為されない事体を目の当たりにすると、それが他者に起きることであっても、己の不本意と捉え、究明のみならず否定や排除に血水を上げることに疑問をいだかない。
 例えばフリーエネルギーが、誰も冗談としか思わないような特定の仮説を疑わない人物が観測しなければ計測針の触れない、蓄えられない性質のものだとしたらどうだろう?その人物の眼前に取り敢えず、
 ①自分や家族のために必要な量を観測し蓄え、利用しながらこっそり生きる。
 ②多くの人々のために、己を犠牲にして天命を果たす。
 ③何もせず忘れ去る。
 ④下手を打って特定の他者に捕らえられ自由を奪われ、一生をフリエネ収集に費やすことを強要される。
 といった四つの岐路が現れやしないだろうか。
 ①はもとより、②も当人の自由意志によるし、③を含めて、これら三つは能動的選択肢、つまり本意といえる。 ④は私のライトでタイトな教養をひけらかすと、歴史的に人類が繰り返している悪手、よくあるタイプの不本意だ。①や②から④への事実上の移行も懸念される。
 書き連ねて、私が抱く疑問と怯れはいつも、誰かの不本意に関わっているとハタと気づく。私こそ、他者の不本意を己の不本意と履き違え、いつもまんまと迂路に迷っているのではないか。
 誰かの不本意は、誰かのものであって私のものではないのだ。母はその明快さだけが担う重要性を理解している。自分自身が何をどうしたいのか、他者や環境についても、あくまでも自分自身の願望としてどうあって欲しいのかに、精確に置き換えて思惟すること。そしてそれが実現している世界を選択すること。
『私が観測しても、フリーエネルギーは取り込める』が、
『他者が観測しても、フリーエネルギーは取り込める』ことを前提にしなければ④という憂き目に遭うと危惧する、したがって最短ルートは、
『誰が観測しても、フリーエネルギーは取り込める』世界を選択することだ。
 とすれば、今フリエネの救世主は、冗談としか思われないような特定の仮説を全人類に信じさせることを目指す前に、まず黙したまま本意に沿う世界を選択すべきなのか?選択した世界は選択した瞬間もう今ここなのか?その移行はイコール選択した瞬間、仮説を冗談としか思わない人々にとっての亡き者となることで選択者に実現するという可能性を否定できないのか?重ねてこれは観測、針の振れ、取り込みの一連が思惟に基づくと書いたも同然なのか?それこそが、冗談としか思われないような特定の仮説なのか?鶏なのか?卵なのか?ついコモタギってしまったのか?
 ダメだショートする。一旦落ちないと。
 
 「ほい菰田木探求社へようこそ。今回は、食物連鎖の頂点にいることがどういうことかについてお伝えしましょ。
 物騒な物言いをしますが、例えば身内が車に轢かれて亡くなったとする。謝罪で命が還らないからといって、謝罪を求めぬ者がいるだろうか。故意の殺人では、加害者側から全く反省や謝罪の意を示されぬケースでの被害者家族にのしかかるストレスは、特に甚大といわれます。なかでも日本人はその傾向が非常に強いともいわれておりますな。
 ここに歴然と意の一文字があるからこそ、捕食対象である集合意識に対しての感謝と弔い、食前の祈りや、いただきますといった言霊に託す儀がある。
 頂戴したものに報いるだけの意が捧げられるなら、あるいはヒトにも同様の脅威があり続けるならば、均衡は保たれる。けれども保たれぬほど屠れば、超過分に見合うだけを何らかのかたちで喰われるのです。それが物質世界のシンプルな仕組み。方程式といってもい。
 ライオンが、生態系が崩れると雄同士戦って個体数を減少させることはよく知られている。ヒトが、ケダモノじゃないんだからと比喩するとき、ヒトの何をケダモノより良きと肯定したいのでしょうな?
 食物連鎖の頂点に立つことで、被捕食による死という陰を遠ざけたヒトは、ちゃんと同種での殺すための殺し合い、戦争を発明した。全ては陰陽の均衡を保とうとする潜在意識が為すことです。
 戦争で生じた強大なストレスは、耐性とともにDNAに刻みつけられて遺伝子となり、次代に受け継がれた。だからこそ交戦を求める者は絶えないが、反戦の思想はその事実を超えて粘り強い。
 そこで、同種で争うことを控え、しかし他種を屠ることをやめない我々は、現在どれほど均衡を超えた捕食を続け、そしてその超過分に値いする、何を喰われ続けているのか?
 それを識る者たちは、共生に向けたバランスのために、己れの欲を祓い、明確な意を潜在意識に刻みつけようと念じ続けておるわけです。
 ま、どれもこれも壮大な叙事詩ですからな。観たことのない景色観たさの総意に起因するとワタクシは真摯に捉えとります。何事も気の持ち様ですわ。フォッフォッフォ〜」
 ああまた笑ってるよ。今日ばっかりは見るんじゃなかったよ。お風呂上がりについ習慣で立ち上げてしまったら指が逸れて。左隣にあった野生のラッコの映像をクリックするつもりだったのに。
 襖が開いたままの奥座敷で、母は墨を摺っていた。左利きだが書道だけはずっと続けてきて段持ちなのだ。転勤先によってはちょっとした収入源にもなってきた。家に和室がある時は、作品を掛けておく。この間にはこじんまりとしてはいるがちゃんと床の間があって、現在何故か、
『あおうえい』
 と、平仮名にしては野太い筆で書かれたものが垂れている。
「お母さん、食物連鎖の頂点に立つと、戦争始まっちゃう説、なんて、どう思う?酷くない?」
「ナニ。ネットのヤツ?茅子さん何て云ってんの?」
「まだお仕事中」
「そりゃ残念だったね」
 母は慣れたもので、こういう類の質問なら、いい歳してまた甘えてるなって顔で受け流してくれる。
「で、何始まっちゃう説だっけ」
「食物連鎖の頂点に立つと」
 そこまで云ったとき、母の手が止まった。墨を硯に立てかけて、戸口に突っ立っている私に、顎でソコスワレと促してきた。何か云うべきことを思いついた時の母は、話し始めの体勢が整うまで、何故か一旦無言になってジェスチャーを始める。私は押入れの、母が指さす側の戸を開け、さらに母の手つきを見ながら、お寺さん用マンモス級座布団、ではなくその下にある客用座布団を引っ張り出し、母が再度顎で示す硯から遠い方に敷くと、体育座りで膝を抱えた。
「まあ、実はほぼほぼ別件なんだけども」
 まさか、思考停止で爆下げした私のモチベーションに追い討ちを?
「あのさ、オクスフォード出の学者さんが、数年前から完全培養でお肉作ってて、まだお高いんだけど」
「お肉?培養?」
「そう。マトリックス観てて、バーチャル使えるかなーと思ってた時期もあったんだけど、お母さん実はとっくに鞍替えしてたんだよね」
「……キアヌ、から、オクスフォードに?」
「全然違うよね。バーチャルのテイストから細胞培養食材にさ」
 母がマトリックスを上下逆さまに観ていたことは、数年前に聞いている。私はまだちゃんと観たことがない。超絶面白いけど、基本ニンゲンしか生かされてない世界と母に聞いた時点で、何となく興味が失せていた。
「その学者さん精進料理にも学んでてさ、凄く面白いの。それで、今うちさあ、めみもお母さんも、もう実質栄養失調なんだわ。少なくともカロリー的にコンスタントに下限切ってるし、動物性タンパク質の摂取量も露ほどだし。だから、菜食主義者も、タロイモだけで生きる民族も、修行僧も、ヴィーガンも、マクロビのハリウッド女優も、アタシもめみも皆、異常なんだよね」
 そう云うと満足したのかひとり頷いて、また墨を擦り始めた。
 何だ何だ何だ終わったのか?栄養失調で異常なんです。以上です。?
 私の心の声は数秒後ちゃんと届いたらしく、
「あ。言い忘れたか?」
「???」
「だから、めみもお母さんもその人たちも、もう実質ハイブリッドなんだわ」
 あー。ハハー。なるほど。アタシなんか云ってみれば既にハーフだしね。
 っていう反応で、果たして正解なのか?

 我が家の食べる派は、ある意味かなり食に意識的だ。
 母は所謂料理上手なタイプでは全然なくて、殆どが大皿もしくは鍋からそれぞれが取り分けるシステムで提供される。けれども、色んなメニュー、食材や調理方法に挑戦するし、例えば初めて作ったメニューは必須で、まず入っている食材ひとつひとつを別々に食べてみての感想を求めてくる。クリームシチューなら、ニンジンがああでジャガイモがこうでタマネギがどうしたみたいなことだ。 
 いわゆるジャンクフードやファストフードにも好きなメニューがそれぞれあるし、間食類も誰かが惹かれれば最小単位で買って、三人で試食会をする。
 何が入っているゲームも日常で、出来合いの惣菜でも練物でも、最後に原材料表示を必ずチェックする。私も弟もそれは習慣づけられて、だからうちの食卓は食べ物を口に入れたまま誰か彼か喋っているが、食に関すること以外は一切話題にのぼらない。
 添加物や産地産出国、オーガニックや遺伝子組換等の安全性について神経質かというと全く無頓着で、母と買い物に出ると、値段と見た目、時に手をかざしてのダウジング的選択でカゴが埋まる。当人に自覚はないが、私にはそれらしく視えて面白い。辺りfbを見回してみても、多くの購入者が普通にやっていることだといつも感じるのだ。
 食べない派はどうか。父はリビングで寛ぎつつパッドを開いて、音楽や動画を愉しんだり、伯父がいるときは二人話し込むのが常だが、終盤に必ずダイニングテーブルに加わわって、二人ともたまに気が向くと箸をつけるし、飲み物も含め味見的なことはちょくちょくしている。彼らにとって味わうことは、好奇心を満たすことなのだ。それで体調を崩すこともない。そもそも疲れや不調は、通常ほとんど不要な睡眠を多めにとることで解消されるという。
 確かに母が云う通り、摂取量は減っているかもしれない。弟は少しずつ増えているが、ちょうどその分母と私の占める割合が減って、トータルには変化がない。
 培養肉が主流になること、ハイブリッドで生きること。母は今日も墨を擦り、巻紙をありえない角度に延べて、自らの本意に沿った世界を認めるのだろう。

 「DNAが流転することについて疑いの余地はなく、一生涯においての本数変化さえ認められている。ヒトにはヒト以外の周波数域にある動物の顕在意識にアクセスできる能力もある。配列はそのままに塩基に変異が起これば、誰でも得られる能力と考えます。
 それがヒトだけに可能なことであるわけがない。海には海に棲む生命の全てと繋がる種がいる。彼らは、我々が認識するところの潜在意識のみで生きている可能性もあって、これは昆虫や爬虫類にも当てはまることですが、だから本体ごとの次元移動や時間移動もある程度可能だろうとワタクシは踏んどります。ヒトとは違う目的や役割を持つ存在かもしれんということですな。
 それはそれとして、さて皆さんは、眠ることで潜在意識にアクセスし、潜在意識は同種の集合意識に繋がって共通認識を更新し続ける。集合意識は他種の集合意識とも繋がって地球意識に包括される。そういうシステムを持つこの星を臨場として、わざわざ個体は時間制限を設け、各々何かを果たしてから去ろうと決めている。
 それでは、皆さんの愛するペットたちが眠っている時、その意識をどこに飛ばしているとお考えですかな?まずは同種の集合意識、そして必要とあらば他種の顕在あるいは潜在意識に情報をトランスする役目まで果たしているとしたならば、解ける謎がありはしませんかな?
 ご常連には言わずもがなですが、ヒトの発明が内容と時期を同じくして地球の表と裏で産まれるということがある。
 例えば、英国で留鳥シジュウカラの個体が始めた、玄関先に配達された牛乳瓶の蓋を外し上澄みを飲み去るという行為、学習により二十五年の歳月をかけて他のカラ類まで踏襲するようになったと広く伝えられておる。しかし研究では、住民からの報告を時系列で追った結果、かなり離れた別々の生息域で、ほぼ同時期に初期の被害があった可能性が記録されている。つまり、ヒトが定義するところの『学習』をもって伝達されたとは断定し難い一面があるということですな。
 双子の不思議な意思疎通を否定してかかるのはナンセンスと苦笑しつつ、『百匹目の猿』が創作であることはせっせと流布せねばならない。そんな都合が多くの顕在意識にあったのも、もう昔話になりつつある。
 昔話に生き続けたいか、一歩先を創造したいか。何にせよ、気の持ち様というわけですな。フォッフォッフォ!」

 『思い出したけど、アタシのクライアントに、ちっちゃい時から一卵性双生児に憧れてて、こうなったら産むことにするって云って、八年後ホントに産んじゃった人がいる』
『ぎょ。』
『あwそれいいの?使ってw』
『もうそろそろいいかなーと思って。母見てないし。でも、スゴイねそれ』
『うん。迷いまくってた子だったのにw』
『茅子さんなんか上手いこと占ったんでしょー』
『ま、プロですからw』
『一卵性双生児って遺伝的要素強いって記憶だけど』
『二代にわたってとか、隔世とか、あるよね〜』
『そういうバックなしで産んだの?』
『そうだね〜知る範囲ではいないって云ってた』
『双子の父親は?』
『そこは、マーフィー先生並みにプッシュしてw。ちゃんと現れてよかったよ〜葛藤だらけで育って、通じ合える他者の不在に打ちのめされてたからね〜今めっちゃ忙しくて過去振り返るヒマなんかないと思うよ〜同じ顔した男の子二人、四つになったとこかな〜w』
『おおー。今四歳の時ののまもが二人いると思ったら、背筋凍ったw』
『w。そういやまもるちゃん、もう高校受験か〜』
 まもるも今年私と同じパッドをWIFIオンリーで入手して、まだ同じアカウントで使っている。履歴が示すところによると、どうやら動物の代替医療に興味があるらしい。伯父とは、管理しやすいメルアドを用意してもらって頻繁にやりとりしているようだ。
 幼稚園では、多動で言葉も遅いため発達障害と診断されていた。それこそ彼には双子同然の兄がいて、それが人でないがための弊害だったのかもしれないが。
 彼が産院から籠に入れられて初めて自宅の玄関に着いた時、兄は待ってましたと云わんばかりに短い尻尾を振りまくり、籠に半身突っ込んで弟の頬を舐め回した。その前月末に伯父がバイト先のスーパーで同僚にあてがわれた、保護犬が産んだ子の一匹で、母体が超小型だから屋内飼いもいけるはずとの怪しげな保障付きだった。
 父母は常に彼らを同等に扱って、診断の結果など気にも止めていない様子だった。小学校四年生までは、転勤先によっては学校側から、事実上対応できないと遠回しに告げられ、ほとんど通わなかった年もある。
 しかし不登校は私も同様で、筒井の叔母が定期的に送ってくれる学習教材で毎日ほぼ時間割通り机に向かってはいたから、反射や運動能力に不安のない弟の方が自宅学習で充分と両親は踏んでいたと思う。私はトランポリンを習ったり、母と早朝走ったりしたけれど、弟はトキ兄と毎朝夕散歩に出かける以外、屋内で転げ回るだけで、伯父に教わったハンドスクラップや側転など軽くこなしていた。ただ、学習というと、算数以外興味が続かない。
 そんな彼の十歳の誕生日に、筒井の家から最新の図鑑が届いた。私はこども文学全集のシリーズを毎年もらっていて、図鑑は、両親が結婚した当初、これも筒井の祖父が伯父に贈ったものを、何度もくまなく読んだものだが、弟が持ち出すのを一度も見たことがなかった。しかし新刊の画像の大きさと鮮やかさに惹かれたのか、それから毎日開くようになり、時には絵描き帳に何やら書き写してみたりもするようになった。
 そしてある日、
「めみちゃん、じゅみょうってなに?」
 と訊いてきた。私にも茅子さんや母に同類の質問をした記憶があったし、その日の出来事に書き残してもいる。いくつの時だったろう、多分童話がきっかけだった。ライブラリを検索して母の回答の一字一句を再現したいくらいだ。瞬時に巡った思惑をよそに弟は続けて、
「犬は、先に死んじゃうの?」
 と云った。ああダメだ。自信ない。
「お母さんに訊こう」
 母は、弟の疑問にこんな風に答えた。
「人間も、動物も、みんな、いついなくなるかはわかんないけど、いなくなるんだよ。どうしてかはお父さんにもお母さんにもわからないのさ。でも、まもは今、トキやポムパムが先にいなくなることがイヤだって思ったんだよね?違うかな?」
 弟は母を睨みつけるように見て、強く頷いた。
「お母さんにもどうしてなのかわからないことなんだけど、いなくなる日はみんな別々のことが多いんだよね。家族でもね」
「いなくなって、それからどうなるの?」
「それも、お父さんにもお母さんにも、まだわからないことなんだよね」
 では一体何が今わかっていることなのか?弟のもどかしい気持ちは痛いほどよくわかる。
「それで、お母さんが子どものときの家族は、みんな元気だけど、お父さんが子どもの時の家族は、おんちゃんしか元気じゃないでしょ?お父さんのお父さんとお母さんは、一緒の日に死んだんだよ。おんちゃんが幼稚園にもまだ行ってない時さ」
 弟はスポンジが水を吸うように母の言葉を吸収しているだろう。
「それから、お母さんね、これ一番まもに覚えといてほしい話なんだけど」
 そう前置きしてから、続けた。
「お父さんのお父さんには大切な友達がいました。お父さんとおんちゃんが、二人っきりになった時、代わりに家族になってくれた人です。その人は、ずっとずっと前に奥さんが病気で先に死んじゃって、とっても悲しかったんだって。
 その人の奥さんはね、気胸っていう、息を吸ったり吐いたりするところが壊れる病気で、ずっと痛くて苦しかったの。病院で治して、でもまたなって、また治して、凄く頑張った。その人は自分がお医者さんだから、その病気は治るはずだと知ってた。その病気のことをいっぱい勉強した別のお医者さんに診て貰ってたから、絶対治るから頑張って治して欲しいって。
 だけど、治しても治しても、また同じ病気になったの。二人とも毎日、どうして治らないんだって悲しくて仕方がなかった。苦しんでる奥さんを見るのが辛くて、その人は、自分でもその病気についてたくさん勉強してて、治療方法は間違ってないって思ってたから、どうしてって気持ちがどんどん重なって怒りになってた。
 そうして五度目の入院中に奥さんに、
『私、もう頑張らないけど、いい?』
 って訊かれたの。薬は効いてて調子が良かったから、その人は怒って、
『何云ってんだ、気胸ごときで』
 って云ってしまった。でも翌朝奥さんは息をしてなかった。
 他には家族が誰もいなかったから、その人は、奥さんが可愛がってた猫と二人っきりで暮らすことになったんだ。
 一年くらい経った頃から、手帳に毎日こう書くようになった。
『我々は共に、然るべき時に、穏やかな眠りの延長線上において肉体を離れ、輪廻せず、ひとつに還る。』ちょっと難しいけど、わかるよね。毎日繰り返し繰り返しそう書いた。そしてそれから十一年経って、その言葉通り、その人はベッドで眠ってるみたいに死んでて、猫も枕元でまるっとなって息が止まってた。合鍵を持ってたお父さんが、最初に見つけたんだよ」

 父が母と結婚して独立した後、僅か二年で吉行医師は突然亡くなってしまった。生まれたばかりの私をガラス越しに見て、父と母を祝福してくれたその数日後のことだった。
 私にとってもまもるにとっても昔語りでしかないこの死は、けれども後に私たち姉弟のバイブルとなったわけだ。
 父が喪主を務め、奥様に次ぎ墓誌に名を刻んだが、そこには吉行医師と命日を同じくして、伯父を育てた雄のキジトラの名もある。
 夜勤を終えて二日ぶりに自宅へ戻り、翌々日の出勤時間に現れないため、電力会社に入社したてで早速産休を取っていた父に連絡が来た。マンションに駆けつけ、インターフォンを押すが、応答を待てず合鍵で入ると、吉行氏はベッドに眠っていた。安らかな表情で眠っているとしか父には見えなかった。けれども頬に触れると既に冷たく、死後硬直が進んでいたという。枕元左、いつもの位置にキジトラも丸まっていて、触れると彼は温かかった。しかし心音はなかったのだ。
 数日後、解剖の結果、死因は原因不明の急性心停止と診断され、キジトラは老衰と思われた。
 その間、大学時代の後輩だという弁護士が、父に書面を届けに来た。吉行氏からの、遺言状というよりも、手紙だった。
 奥様のご両親が高齢なこと、お兄さんが長く闘病中なこと、自分は現在至極健康だけれども、万が一自分に何かあった時は父に喪主を頼みたいこと。法定相続人はいないので、奥様の実家と、出身の養護施設と、父宛にそれぞれ貰い受けて欲しいものがあると代理人に伝えてあること。そして父には、マンションとキジトラも頼みたい、私物を始末して貰いたいと書かれていた。さらに、伯父の診断書等について困った時はこの人物を頼るようにと、氣功師の名刺が添えられていた。
 氏の勤務先の尽力で不義理のない葬送が叶い、四十九日を迎えキジトラ共々納骨となった後、父にはなかなか氏の遺品を整理する時間が取れなかった。翌々年には確実に異動で都内を離れることになるから、それまでにと目標を立てた。
 そして約一年後、私が初めて自力で立ち上がった日の翌週末、父は伯父を伴って氏のマンションへ出向いた。
 吉行医師はいつも私用の手帳を持ち歩いていて、就寝時も電話とともに常に枕元に置いていた。夢に見たことを記しておきたいためと父は聞いていたが、購入品など都度の覚え書きも並んでいた。亡くなった日も、ベッドサイドテーブルに当年のものが、使い込まれた万年筆とともに置かれていて、警察から父、父から代理人、数日後再び父、そしてベッドサイドテーブルへと戻っていた。
 手帳は殆ど英語やドイツ語で書かれ、医学用語なのか略語も多かった。書棚に過去のものが並んでいることは父も知っていたから、時系列を崩さないようそれらをまとめ、辞書類と共に氏が愛用していたアタッシュケースに詰めて持ち帰った。
 自宅では母が、既に何冊か医学用語辞典や慣用句集など買い込んで、手ぐすね引いて待っていた。大きめの付箋紙に年号を書き、一冊一冊ずらしながら貼っていく。その色の濃さで二十代、三十代、四十代と区分して、全二十二冊を蓋がついた半透明のキャビネットに整理した。伯父がボストンバッグに詰めてきた写真類も、わかる範囲で並び替え、こうして育児の合間の翻訳作業が始まった。
 私はまだ一度も、母が翻訳した吉行医師の手帳の内容を直接読んでいなかった。
 今、母が納戸から引き出したアタッシュケースが私の目の前にある。
 インターン時代に始まった氏の習慣は、月経随伴性気胸、胸腔内子宮内膜症候群という病名を皮切りに、奥様が亡くなるまでの十年余り、ほぼ途切れることがなかった。
 胸痛、背部痛、呼吸苦、血痰、胸腔鏡手術、子宮内膜組織と胸膜の破綻、右上葉嚢胞切除、開胸手術、横隔膜病変、肝臓との癒着。再発の二文字が現れるたび、涙ぐんだと母は云った。
「お父さんたちが一緒に住んだ五年間だけは、買い物のメモとか、ちょっと生活感あるんだよね。おんちゃんの玩具や絵本の名前もあったりしてさ」
 全て同じ企画商品のごく薄い手帳で、ひと月分が見開きで一覧できるシンプルなものだから、スケジュールが綴られているようにしか見えない。訳のノートと並べると、母の仕事の綿密さがよく判る。
「でもほら。奥様が亡くなる前日まで途切れなく書き込んでて、その後は奥様が夢に現れるまで一文字も書かれてないんだよね」
 その年の最後のメモは、略語らしく、アルファベットとドットのみだ。酢酸ブセレリンによるホルモン療法、経過良好と母のノートには訳されており、こちらもそれきり記載がない。
「亡くなる前日の会話のこと、書かれてないのかな」
 私にとって印象深いあのやりとりを示唆するような単語はどこにもないように見え、その思いが口をついて出る。
 母も頬杖をつきながら眺めていたが、やや間を置いてから、
「めみに、見せなきゃならないものがあるんだわ」
 と云って、アタッシュのポケットから四つ折りのコピー用紙を取り出した。
「開いていいよ」
 Eメールのプリント。日付は二〇〇七年、私が生まれた翌年。父宛に送られていて、差出人のアドレスは、見覚えがある。茅子さんのものだ。

『to 達磨二号氏
 お待たせしましたが、手帳、今日書留郵便でご返送しました。
 吉行さんの顕在意識で視えたのは、主に以下のみです。ご自宅にいらっしゃる時はずっと、キジトラさんを撫でながら繰り返し想いを巡らせていたみたいです。集中力が高くて圧が強いのを、なんとか表現してみたつもりですが自信ありません。読み返すたびにまだ弱いかなと感じる程のレベルだったことは、お伝えしておきます。
 達磨二号氏と弟さんが一緒に住むきっかけに、吉行さんの奥様が子猫を飼うよう夢で告げてきたと仰ってましたよね。添付のお写真を見てて、奥様の意識にちょっとだけ繋がったとき視えたのは、達磨二号氏と弟さんのお仕事というか、お役目みたいなことの認識、それと、解脱とか脱却っていう強い念です。これは所謂個人的なものではなくなってると感じます。吉行さんの意識を書いた時、メモに liberate from reincarnation とあったので輪廻せずと表現しましたけど、もしかするとそこは奥様の念と一緒の意味かと思います。奥様から受け取られて書いてるような気が……。
 取り急ぎ、ご報告まで。麗美さんのご尽力には感服します。くれぐれもよろしくお伝えください。
 by 茅子

 ***********
 妻の結婚前からの連れ合いだった雄猫と共に暮らす日々だ。
 救急外科医の日常は、思考を埋めようと思えばいくらでも埋められる環境にある。けれども彼の和毛に触れれば、時計は確実に巻き戻せるのだ。
 私は彼女の容姿が、声、話し方、身のこなし、暮らし方、全てが大好きだった。初めてすれ違った瞬間からずっと変わらず好きなのだ。実の父に棄てられた境遇が、この邂逅の代価であったと思うほどの至福だった。
 だから、元気になってほしいと願ったし、なれると信じて疑わなかった。
 あの日は術後の経過もよく、ホルモン療法によって今度こそ完治が望めるはずだった。帰り際に穏やかな表情で、もう頑張らないが、それでもいいかと問われた時、私に蓄積され続けていた恐怖の全てが瞬時に覆い被さった。何を云ってるたかが気胸ごときで、つい口をついた言葉は、それまで何度となく込み上げる自問に投げつけてきた唯一の自答だった。
 けれどもあの苦しみは、生きながら続いていいものでは決してない。人工呼吸器でさえ禁忌となる、完全治癒以外に取り去り用のない苦しみ。断じて承伏できぬ理不尽さだ。たとえ極度の安静を強いられたとしても、取り去られなければならない。そうなのだ。いっそ極度の安静を強いられたとしても、あの苦しみさえなければ。あの苦しみさえなくて、笑顔が見られるだけでもいい。それなのに。
 そうして無限回廊を廻る晩に、やがて妻は現れてくれるようになった。ただ微笑みながら立ち姿で。もうそれでよかった。私には解っていた。私は苦しみを許さないことで、妻を苦しめ続けた。そして苦しみを許した瞬間、私はもう私ではいられない。
 だからこそ、彼女を妻に迎えた日に、私はこう宣言すべきだった。
 我々は共に、然るべき時に、穏やかな眠りの延長線上において肉体を離れ、輪廻せず、ひとつに還ると。
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 「お父さんがフリエネのフォーラムにいたって茅子さんに聞いたでしょ?あのフォーラム最初に立ち上げたのは、実はお祖父ちゃんなのよ。
 養護学校で一緒だった吉行さんのことは、お祖母ちゃんに当たる人が探し当てて、中学を卒業する前に迎えにきたんだって。お祖父ちゃんはその後中卒で、強電ってわかるよね?下請け専門の電気屋さんで、住み込み同然で働くようになった。社長は、娘ばかりで後継がいないからって、同じ境遇の男の子を何人か面倒見てきた立派な人で、夜間高校に通って資格もちゃんと取るっていう条件で、社宅に入れてもらった。お祖父ちゃんはバリバリ働いて、勉強したんだって。で、そのうち、ニコラ・テスラに傾倒するようになって、ローカルネットで『達磨』ってハンドルでフォーラムを始めた。茅子さんはその参加者の一人だったわけ」
 茅子さんから父宛に届いたメールを前に、母はそこまでを語り、あとは茅子さんに直接訊くよう促した。

 ***********
 彼が産まれたのは都内の個人病院だ。小さかったが母乳をよく飲んですくすくと育った。母親は銀座でバーを経営していた。四谷にできたばかりのマンションを購入するだけの稼ぎがあった。彼の父が誰であるかは、彼は知らない。店に勤める可愛がっていた若い女性にしか、身籠ったことを告げなかった。女性は元々母親と一緒に暮らしてもいたから、彼は何の不自由もなく育ち、離乳後もよく食べ、元気に三歳の誕生日を迎えていた。
 母親と女性は、旅行が好きだった。彼が生まれてから一度も出かけていない。この子も連れて行ける年頃になったし、いきなりだが海外へ行こうと計画を立てた。店はいつものようにベテランに任せ、二週間の旅程を組んだ。
 出発の前夜に事件は起きた。母親がマンションにほど近い公衆電話から、部屋で子守をしていた女性に電話をかけ、女性は部屋着で階下へ降りた。そして、そのまま二人とも失踪してしまう。
 彼は独り部屋に残された。施錠は習慣にしていたから、密室だった。
 結果的に約ひと月後、二人は遠くない埠頭先の海底に沈んだ車中後部座席で、水死体となって発見された。車は母親自身のもので目撃情報も薄く、真相究明には未だ至っていない。
 謎はもうひとつ残された。マンションの密室に二週間以上置き去りにされた三歳児が、発見された時ベビーサークルの中で、オムツを汚しこそすれ、何の異変もなくすやすやと眠っていたのだ。
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 『これは、亡くなっためみちゃんのお祖父ちゃんについて、アタシがお父さんに送った情報』
 どういうこと?
『多分お祖父ちゃんの記憶から飛んで来たと思うから、誰かから後で聞いたことや、自分で調べたことなんだと思うよ〜』
『茅子さん。何から聞いていいか、わかんないよ』
『うん。ライン電話にしよっか』

 「めみちゃんに黙ってたのには理由があるんだよね。何よりもまず判ってほしいのは、アタシが誰彼構わず頭の中を覗けるとか、常時エスパーなわけじゃないってことなんだ。これもの凄く疲弊する作業なの。身体を持ってるせいだと思うんだけど。占星術とかの技術は、ちゃんと身体用に、大脳使ってできるように構築されてるけど、古い脳しか使わない作業はホント辛い。
 だけど、ある時唐突に、読まざるを得ないことになる出会いがやってくる。正直やりたくてやってるわけじゃなくて、やらされる感ていうか、逃れられなさが迫ってくるっていう」

 祖父は夜間の工業高校を卒業後、現場で学びながら、大学の工学部第二部電気電子工学科に進んで、専門知識を身につけていった。取れる資格は全部取って、店の稼ぎ頭になった。技術がシステムのデジタル化に対応していく過渡期のことだったから、社長は祖父に全てを任せたいと云い、末娘の婿に迎えた。
 祖父はやはり睡眠時間が短かかったらしく、日々何がしか興味に任せて調べるうちに、フリエネの魅力にも取り憑かれたわけだ。専門誌には洋書も多く、知識人との交流を求め、ネットの世界へ踏み込んだ。あちらこちらと書き込みを覗くが、未だ賛否から先へ立ち行かないジャンルであることに驚き、敢えて関係者を触発すべくフリーエネルギーの名でフォーラムを新設した。代表としてのフォローと学ぶ姿勢が好感を呼び、多くの科学者、研究者、市井の発明家や趣味人が論を交わす場となった。

 「そこにアタシが通りかかったのは、オランダ人の夫が電力関係の技師だったから。アタシも永久機関に興味があったから、開設直後に発見して、とても面白く読んでた。めみちゃんのお父さんはまだ中学生だったけど、いつもくっついてあれやこれや質問してくるってお祖父ちゃん嬉しそうに書き込んでたなあ。
 で、アタシは段々と書き込みの色の違いが気になり始めた。色が赤に近づくほど、意識のベクトルの向く先が運営者とは違うなって感じる。頑張ってちょっと追ってみると、もっと大きい意識、組織的ってことなんだろうね、バックについてるのを感じたりする」
「なになに?違う色の文字で書き込まれてるってこと?」
「そう。それが、夫の目には同じにしか見えないから、多分アタシだけ。アタシにだって、四六時中そういうことが起きてるわけじゃないんだよ。でも起きる時は起きちゃうの。てことは、それはオシゴト、ってなる。それで、シスオペ宛メールを出しました。貴方とは逆向きの思考で、だからまあ所謂スパイ的な連中がいます。純粋に信頼できるのは、今のところ以下のハンドルのみです、って」
「うわー……祖父は、何て?」
「大変驚きました、って」
「それだけ?」
「どうしたもんでしょう?って書いてあった」
「え、信じたの?」
「その時はメール凝視して、集中してみたよ。フリエネの歴史からみても否定できない、時代は変わりつつあると思うが、まだまだか?そういう感じだった」
「何で判ったかって、訊かれなかったの?」
「うん。そこはもちろん先手打って、理由は訊かないでくれって書いて出したからね」

 父は伯父と共に火事で焼け出され、吉行医師に保護された後、祖父の氏宛のメールでフォーラムのスパイ潜伏説について初めて知ることになる。祖父のメールサーバーに運強く潜り込み、フラグがついた茅子さんからのメールを発見すると、父はコンタクトをとろうと決意した。
「ご存知かもしれませんが息子です、高一になりました、残念なことに父と母は火事で亡くなり、弟と僕は救助され無事でした。今は二人して父の親友の方のお世話になりながら暮らしています。
 要点しか書いてないシンプルなメールで、お祖父ちゃんとよく似てるなって。
 で、父はあなたのアドバイスをうけて、極力個人情報は伏せて運営してきたようなので、このまま僕が父を装って、多忙を理由に次の運営者を募る書き込みをしたいと思います、あなたとご主人にはお伝えしておきたいと思ってメールしました。これから手を挙げるであろう候補者について、もし何かご存知でしたら教えていただけると幸いです、よろしくお願いします、って送られてきた」
 その夜茅子さんの右脳に飛んできたのが、祖父の出自だったという。おそらく息子に伝えてくれという意味だろうと判断し、書き出して返信した。
 即座に、驚愕です、の書き出しで折り返しメールが届いた。
 父は祖父に、自身の親の死因が交通事故であることだけを告げられていた。茅子さんが記した文面の所々に、自分が持つピースがカチカチと嵌っていく、辻褄が合うとはこういうことをいうのだろうと興奮気味に綴ってきた。
 祖父自身の生い立ちは、父が小学校に入学するときに、あくまで不食に纏わるエピソードとして聞かされていた。
 保護された時に持たされた母子手帳やアルバムからは、母乳をよく飲んだという記載、挟まっていた離乳食のレシピも多く、食の良さが見て取れる。しかし親を亡くしてからは、保護された養護施設でも、何かに夢中になると食べずに続けて、それで体調を崩したり体重が減ることがない。体型はごく標準で、体力測定も健康診断も平均以上の良好状態を結果に示す。入所時期も年齢も同じ吉行氏の三分の一も食べなかったと、祖父自身がそう記憶していた。
 父も母乳は飲んだが、離乳食を嫌がり、歩くようになるともう母乳も欲しがらなくなったと祖父は云い、周りの人たちはみんな、母さんと同じくご飯を食べる、食べない人は他にはいないから、おかしいってきっと云われると思う、でも大丈夫、ちゃんとうまくいくから、そう云って学校に送り出したという。
 
「父としては、もう茅子さんが超常的存在だってこと認めざるを得ないと感じたわけだ」
「うん。まさかそういう能力によってスパイの存在を察知したとは思っていませんでしたって。そりゃそうよね〜。だけど、お祖父ちゃんとお父さんの方がアタシから見たらずっと超常的だからね〜」
 確かにその通りかも。イヤどっこいどっこいかなあ。
 それにしても、祖父にしても父にしても、何と云ったらいいか、屈折も屈託もゼロの百八十度直立感が半端ない。境遇だけでも、少なくとも三十度は折れていておかしくないレベルかと思う。
 しかも、父は母と出会った時懲りずにインドへ渡る気満々で、張り切って貯金していた。なんなら祖父と祖母を死に追いやったのだってフリエネ絡みかもしれないのに。
「そうだ! 茅子さん、火事。火事はどうして? 漏電って、強電の技師の家なのに、おかしいよね?」
「ほんと、あれはおかしいよね〜」
「 ……絶対おかしいよね?」
「うん。ちょっと、おかしいよねえ〜」
「……え? 何かわかんないの茅子さん?」
「な、なんで?わかるわけないよ〜お父さんに訊かれたこともないし、お祖父ちゃんからも誰からも、な〜んにも飛んできたことないよ」
「じゃ、お祖父ちゃんのお母さんたちが死んじゃった理由は?」
「あ〜わかんないわかんない。ぜんっぜんわかんないからね」
 もしかして、誰も気にしちゃいないわけなのか? 気にする私の方がクレイジーだとでも?
「それよかめみちゃん、アタシがめみちゃんと繋がった理由の方は、気にならないの?」
 それは、伯父と繋がってた延長で。え。なに?
「……考えたことなかった。理由なんか、あるの?」
「そりゃあそうよ。この世に偶然なんてないんだから〜」
 それもちょっとよくわからないセリフなんだけど。あるって云うんだからあるんだろう。何かな?私の問題のため?
「だって、アタシはオランダ住まいでお祖母ちゃんくらいの年齢で、めみちゃんと共通する趣味がある訳でもないでしょ?」
 確かに、言われてみれば。
「わかった。私がコミュ障だから」
「広義的には間違ってないけど、その理由が前段にあるのよ」
 前段に。何だろう。やっぱり私がどこかクレイジーだから?
「ホラ、昔、小学校入る前に、一緒に遊んでた男の子がいたでしょ?」
「あー、師匠のこと?」
「師匠?」
「前に話した、チョビ食い師匠。でしょ?」
「あ、かもかも。その子とのこと、めみちゃん覚えてないでしょ?」
「まさかー覚えてるよー、師匠だもん。むしろあの子だけが、今まで唯一コミュニケーションちゃんと取れた友達だよー」
「麗美さんもそう云ってた。けどめみちゃん、あの子聾唖だったの、覚えてる?」
 聾唖?耳が聞こえないってこと?そんな記憶は全くない。飼ってる牛や山羊のことも聞いたし、猫が何匹いるかわからないとかみんな好き勝手に出入りしてるとか。うちは外に出しちゃダメっていわれてるから驚いたものだった。
「専門の学校が遠かったから、就学前は家で家族全員と暮らさせたいって親御さんの意向で、近くの住民もみんな知ってて結構自由に外でも遊んでた。めみちゃんも覚えてる通り、同じ年頃の子がめみちゃんしかいなかったし、家が近かったでしょ?めみちゃんの方から遊びに行ったことあった?」
「それは記憶ない。アタシ自転車乗れなかったし、そもそも持ってなかったし」
「そうだよね。その頃麗美さんから来たメールに、めみちゃんが、その子が持ってる玩具の話を麗美さんにするんだけど、どうも実物見ながら説明してるように感じるって書いてあった」
「だって、グラウンドの遊具だって、次どれで遊ぶ?ってお互いしょっちゅう訊きあってたよ。バラバラで遊ぶなんて一度も。あ」
  思い出した。弟が生まれた後、貰った合体モノの大きな玩具を見て、あの子が持ってたやつと似てるって思った記憶がある。それは透明なケースに入っていて、
「そういえば、その子の部屋にあった」
「なになに?」
「ロボットみたいなやつ。その子の部屋に置いてあった。小さいベッドの頭のとこ」
「云っとくけど、写真とかの記憶じゃないからねそれ」
「そうだ、子牛の白っぽい小屋とかも覚えてる。ハッチってその子が呼んでた」
「めみちゃんは、その子の家に行ったこと一度もなかったし、会話が成立するわけもなかったの。つまり、その子とめみちゃんは言葉ではやり取りしてない。家の中で遊んでても、いつも笑い声しか聞こえないって麗美さん書いてきて、アタシ頑張って読んでみたんだから」

 茅子さんは取り敢えず仕事落ち、私は祖父に始まった一族の数奇な連綿をどう解釈したものか、そして茅子さんが果たす天命の、一見ありそうで実はないかもしれない脈絡について、考えあぐねている。

 その晩、滅多にないことに夢を見た。
 ハッチの横で、やわらかく盛られた草の上に丸まってる。周りに、ちょっと元気な時アタシが舐めて毛がごわごわになった猫たちが大きさいろいろにくっついて、じんわり温い。息をするたび苦しくて、開けたままの口からひゅー、ひゅーと音がする。なんとなく、何かが来るのを待っている。何かはわからない。ひゅー、ひゅー、自分の音に引き込まれてカラダが少しずつ落ちていく。猫たちは離れずにいてくれる。目を瞑ると、ちゃんと眠たい。お腹は空いていないのに、いつのまにか閉じたまぶたの裏でお母さんのおっきなおっぱいを見つける。おちちをのまないと。おっぱいに吸いつくともう息が楽になって、ごくごく飲める。ごくごくずっと飲む。お腹は満ちて重くなるのに、世界がだんだん軽くなる。プカプカと浮かんで飛んでいくような。猫たちも一緒に浮かんでいく。お腹いっぱい。お母さんがあちこち舐めてくれる。お母さんも一緒に浮かんでいく。こんなに世界が軽いなら、どこにだって飛んで行ける。

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