嗚呼、まぼろしの旧石器


僕の時代(昭和の中期)の歴史の教科書の最初の方に載っていた「旧石器時代」は、今の教科書には無いらしいです。
記載が消えた理由は、旧石器時代の遺跡とされていた石器が、他の時代の地層から出土した物を「もっと古い時代の地層」に埋め直して発掘されたものだったと、分かった事。つまり「捏造が有った事が判明し、「そんな時代」存在しない事が判明したから」らしいです。

もっとも、そんな捏造が無くても、「時代区分」なんて、実態の無い「でっちあげ」じゃないか?

当時の人々は「時代に名前を付ける」という習慣を持たなかった筈だ。

僕が学んだ教科書の「旧石器時代」というのが、有りもしない「学術上の区切り」にすぎなかっただけの話だ。もっとも、それを言ったら「歴史」なんて成立しない。そんな概念自体が幻想なのだろう。「○○時代」なんて分かりやすく、まとめてしまうと、かえってあらぬ誤解や勘違いが生まれる。

たとえば、かつて昭和という時代が有ったように思われているが、
時代なんて「ただの区切り」だから「昭和」とは、昭和が終った時、初めて生まれた、ただの「枠組み」に過ぎないが、昭和等と区切って、そう名前を付けてしまうと、そんな時代が有ったように見えてしまうので、後から振り返って、「昭和は、戦争の時代だった」等と定義付けされてしまうと、
昭和が終わって、「戦争の時代」が終わったような気がしてしまう。
もちろん何も終わってない。明日は何が有るか分からない以上、未来から見れば、今も、「戦争の時代」かもしれない。
○○時代なんて有りもしない「区切り」は、実に危険で、取扱困難です。ご注意下さい。

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