命短し食せよジジイ


僕は、食べる事が好きなので、食事を大切にしている。

生きるとは、喰う事だ。また、食事にとって大切な事は、単に貪る事だけでは無い。食す事、生きる事は、自分の為に他者の命を潰す事だから、食べる事と食への感謝は、同等であるべきだろう、とは言え、高齢な独身者の僕がスーパーやコンビニで購入して済ませるような食事に心からの感謝の思いを捧げるのは、案外難しい。

1年365日の全ての食事に同等に礼を払ってはいない。

 例えば定食屋で清算し、店を出る際、店の店員さんになら「ご馳走様です」ぐらいは、当然言うけど、それは「食」の提供者への礼儀だから、食(=命)への謝辞とは少し違う

今日も食材の調達にスーパーへ行った。鮮魚・精肉コーナーにたくさんの死肉や潰された命が並んでいた。何を選び、どう調理し、どう味わうか?しっかり吟味し、食と向き合うべきだろう。食事は、基本的には、1日、複数回採るものです。誰しも毎日の事は「当たり前」になってしまい、いちいち、その「有り難み」を噛み締めたりしない。極端に過酷な食糧難に陥らない限り、ボーっと喰いポーっと生きるだろう。

結局今日は、鮮魚を購入した。晩飯はそれで済ませようと思う。鮮魚なんて、言葉の意味を考えれば「殺したてのホヤホヤ」だからバランスを考え、するめイカとイワシせんべいも買った(どちらもミイラみたいなものだから「殺したて」どころか、その死肉は世界遺産レベルかも?って、バランス揃った?

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