太古の海と太古の空


今日は快晴で、気持ち良い青空だったが、

地球に青空が、生まれたのは、いつの事だろう?

地球が誕生して以来、ずっとそうだった?

そんな訳ある筈ないでしょ?

地球に「ある程度、進化が進んだ生物」が出現するまで、色を識別出来る生物は、存在しなかった訳だから、空の色は、「無色同然」だった筈でしょ? そうした「生物の進化」は、太古の海中でゆっくり進んだ筈だ。なら、海の中で空は青くなっていったのでは?変な話だけど、そうなるよね。

それでも、太古の空は、現代のように青かった気がする?
 それは、絶対変でしょ?

だって、その太古の空の下の生物達は、それを見る事が出来なかったのに、太古の空と全く無縁の我々現代人が、部外者のくせに「光も大気も有るなら、空は青かった筈だ」と主張するのは、お門違いでしょ?

そもそも、「色」を識別出来る生物は決して多くはない。

猫や犬達は「色盲」だから、我々が、自分たちには、空が青く見えているからって、それが「真理」では無い筈だ。

やはり、太古の空は「無色」だったとするのが、妥当だろう。

「どう見えるか?」は、必ずしも「真実」とは関係ないのでは?

我々は、自分の知覚でしか「世界」を認識できない

我々の知覚(認識力)は必ずしも万全では無い筈だ。

地球目線で見れば、人は、環境を汚染し、他の種を滅しと、「ろくな生き物ではない」のだから、

我々の見ている世界の「見え方」が、「正解」である訳が無い。

故に「太古の空は青くなかった」と言えるだろう。

そもそも、「青い」とか言う前に、

「色が見える」と言う現象は、可視光線を見る事が出来る、地球上の、ほんの一部の生物にだけ起こる「特殊な現象」に過ぎないし、

その可視光線だって、数多ある光の種類の中の一つに過ぎないのだから、

世界は、我々の目に見えている通りに存在している訳では無いのだから、

本当の世界の姿は、可視光線しか見えない我々の目を素通りしてしまうのだろう。

世界に色が着いているのではなく、「一部の生物の目には、そのような現象が起きてしまっている」だけなのだから、世界は、我々の理解を越えて存在しているだけなのだ。






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