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漫画がフランス語や英語に翻訳出版される時代に知っておきたいこと

初めに

 翻訳された漫画について、文法や文化という観点から、何が違うのか解説していきます。
 フランス語について言及していますが、ほとんどが英語にも適用可能です。
 後半は脱線してアニメの翻訳に関する話題になります。

 先ずはフランスの漫画について概況を書き、その後、日本の漫画が翻訳されたらどのような問題が起こるのか書いていきます。

フランスの漫画(バンド・デシネ)と、日本の漫画の違い

 「漫画」をフランス語に訳すと「バンド・デシネ」になりますが、実際にこれらは別のものです。
 では、フランスの漫画(以下、バンド・デシネ)と、日本の漫画の違いは何処なのか説明します。
 先ずは次の画像をご覧ください。

日本の漫画:『DemonSlayer(鬼滅の刃)』11巻より
バンド・デシネ:『Mortelle Adèle』1巻より

 実際に見て分かるように、漫画とバンド・デシネの大きな違いは、次の4つです。

  • コマ割り

  • ふきだし

  • 演出方法

 バンド・デシネはカラーで、漫画はモノクロです。
 バンド・デシネは単調なコマ割りで、漫画は複雑なコマ割りです。
 バンド・デシネは横長なふきだしで、漫画は縦長なふきだしです。
 バンド・デシネは効果音や集中線がほとんどなく、漫画は画面演出があります。

フランスにおける、日本漫画の位置

 近年、日本の漫画がフランスでも人気があるというニュースをよく見かけます。「紙の生産が追いつかないから増刷できない」くらい、フランスで本の売り上げが上がっています。
 日本の漫画も大人気です。フランス国内で劇場版アニメの放映にあわせて『鬼滅の刃』のラッピング電車が走りましたし、書店員が推しの漫画キャラにコスプレして新刊を売ることもあります。『ワンピース』が100巻を超えたことや『ベルセルク』の筆者の訃報は、一般のニュースでも取り上げられました。
 ですが、ここで気をつけたいのは「日本の漫画が、フランスの漫画売り上げランキング上位を独占」といった、誤解を招きかねないニュース記事です。
 あれはバンド・デシネを含まないランキングです。漫画だけのランキングだから、日本の漫画が上位を占めるのは当然のことです。
 アメリカザリガニが日本のザリガニを駆逐したように、漫画がバンド・デシネから居場所を奪ったわけではありません。
 フランスのバンド・デシネと、日本の漫画と、アメリカのコミックは、基本的に別ランキングです。
 つまり、フランスにはバンド・デシネ文化がしっかりとあり、子供はバンド・デシネを読んでいるということです。

フランスAmazonの、漫画のランキング

 スクリーンショットではありませんので、現時点でのランキングが表示されます。一見すると、日本のAmazonかと思う内容が表示されるかと思います。長期作品の古い巻がランクインしているのは、フランスが日本のように「新刊の売り上げが発売日直後に偏重する」わけではないからです。人気作は息が長く売れ続けます。

フランスAmazonの、バンド・デシネのランキング

 漫画が割って入ることもありますが、知らない作品がずらっと並んでいるかと思います。

文法の違い

 日本語とフランス語は文法が異なります。
 フランス語の文法は、英語によく似ています。単語も非常に似ています。これは、フランス人がイギリスの国王になったり、100年戦争を筆頭に、良くも悪くも長い交流があったという歴史的経緯によります。
 そのため、本文書で「フランス語」と書いている箇所の多くは「英語」に読み替えても通用します。

 さて、文章にすると、フランス語と日本語はどう違うのでしょうか。一例を書きますので、主語や動詞の語順に着目してください。。

日本語:私はパンを食べます。
フランス語:Je manger du pain.

 このようになります。
 フランス語を語順のまま日本語に直訳すると「私は食べますパンを」となります。
 このように、英語と同じく、フランス語と日本語では語順が異なります。

 これを漫画にすると、次のようなケースで違和感が出てしまいます。

漫画の台詞
フランス語に翻訳された漫画の例(日本語表記)


 図のように、語順が変わるため台詞の「強調したい位置」が変わります。
 吹き出しのサイズに合わせて、文字が小さくなることもあります。
 吹き出しのサイズに合わせて文字数を調整するような翻訳をし、意味が変わってくることもあります。

 ひょうたん型やだんご型の吹き出しは、文字サイズや文字数を調整するために、原作にない文章が追加されることもあります。

 イメージとしては、次のような、大、小、大の3連吹き出しです。

<日本語>
 俺の家族を奪った貴様を……
 俺は……
 絶対に許さないッ! 貴様の命は今日までだッ!

 ↓

<フランス語>
 それは今日です。貴方の死ぬ日は
 何故なら
 私は絶対に許さないからです。貴方が私の家族を殺したことを!

 このように語順が変化するだけでなく、意味も変わることがあります。日本語では「家族を奪った」とありますが、殺したとは書いていません。寝取った可能性や、意識不明に陥れた可能性や洗脳して他人にした場合でも、「家族を奪った」という表現になるでしょう。ですが、翻訳では殺したことになっています。

 翻訳をネタにしたコントで「外国語が短いのに、翻訳した言葉が長い」というギャグがありますが、あれが実際に漫画の翻訳で起きています。

 統計を取ったわけではなく私個人の主観ですが「ぶっ殺すぞ」とか「畜生があっ」とか「死ねえ!」のような乱暴な言葉を多用するキャラクターが、翻訳されると台詞が長くなる印象です。
 「ぶっ殺す」の「ぶっ」を翻訳しづらいから、それに相当する文章を追加しているのかもしれません。

 また、台詞の途中でコマを変えて表情を変えると、翻訳で語順が変わった際に、台詞と表情が一致しなくなることもあります。

 WEBサービスで縦スクロールする漫画だと、1234という順で読ませたい見開きページの台詞が1324のようになることもあります。これは翻訳関係なく、発生する問題です。

縦書きと横書きの違い

 日本語とフランス語は、縦書きと横書きという違いがあります。フランス語にとって、漫画のふきだしは狭いです。
 漢字がないため、フランス語は単語1つ1つが長くなります。そのため、単語の途中で改行が入ります。非常に頻度は多いです。
 1つの単語が2回改行されることもあります。
 日本の漫画の例として先に貼りつけた『鬼滅の刃』の最初の吹き出しを見てください。

 NOUVEAU
 CHANGE-
 MENT DE
 PLAN!!

 という台詞があります。CHANGE-の「ー」が、ここで改行していることを意味しています。変更という意味の単語がChangementという綴りで10文字もあるため、改行する必要があります。

 「変更」が「Changement」になるように、一般的に、フランス語の方が単語が長くなります。1文字で複数の発音が出来る漢字と異なり、アルファベットは1つで1つ以下の発音しかできないためです。


にゃーの語尾表現だにゃ

 日本の漫画である「語尾」というものも、フランス語には存在しません。
 一人称も、フランス語には je しかありません(厳密には異なります)。二人称も te と vous しかありません。
 日本語のように「俺」「我」「私」「僕」「朕」「それがし」「ワッチ」「あたい」「俺様」等といったバリエーションは、フランス語には存在しません。
 そのため、一人称や語尾で特徴付けるキャラクターは、海外では魅力は伝わりにくいでしょう。
 フランス語版では基本的にフォントを変えて個性を出そうと工夫しています。
 極まれに、実在する単語に文字を追加して造語を作ったり、綴りの j を z に変えたり、母音の数を増やすなどの工夫(「chevalier」を「chevalieeeeeer!」のようにする)がありますが、日本語ほど柔軟な表現はできません。

漢字は難しい

 漢字は非常に難しいです。日本人の小説家や校正者も何度も辞書をひきます。辞書をひいても答えが出ないこともあります。
 海外の翻訳者にとっては、なおさら漢字の理解は困難と思われます。
 漢字の意味を知っていても、「文字の形状を誤解する」こともあります。
 具体例として「右」と「左」を誤解して、誤訳していたものがあります。
 日本人でもエレベーターに乗った際に、咄嗟には「開」と「閉」の違いが分からないことがあります。外国人はなおさらでしょう。

 台詞中の漢字は翻訳されるけれど、絵の中の書き文字は翻訳されません。
 たとえば、服に「殺」と書いてあれば、コマの欄外の隙間に、解説が書かれます。

文法の違い:疑問文

 疑問文は非常に多く誤訳されます。私自身、フランス語ではなく、日本語の方を正しく理解できていないのではと悩みました。

 日本語の台詞で「やったか」のニュアンスを想像してみてください。
 強い必殺技を放った後に爆煙が上がり、相手を倒せたかどうか確信が持てていない状況です。「やったか」は自分に対する疑問文です。
 これは、フランス語に訳しても、同じようなニュアンスになります。

 ですが、料理漫画で審査員が「これは、梅干しか」と言ったとします。
 これは、舌の肥えた審査員が料理人の工夫を見抜き、「梅干しだ!」と確信しているのです。
 ですが、翻訳されると「これは、梅干しですか?」という疑問文に変わるのです。
 おそらく、フランス人の翻訳者は「・・・か」というニュアンス、および我々が漫画文化で培ってきたセオリー(確信なのか、疑問なのかの違い)を理解できていないため、このような誤訳になります。

 少年漫画で定番の、強敵と戦ったときに「この気配、12将軍か!」みたいな、相手の強さを見抜くシーンは、かなりの頻度で「この気配。お前は12将軍ですか?」と相手に尋ねる、翻訳になります。
 どうにも、話者の洞察力やカンが鈍ってしまったように思えます。

 これは、元の日本語の台詞でしっかりと疑問文には「?」を付けるようにして、疑問文ではないときは「?」が付かないことを翻訳者に知ってもらえば、なくせる誤訳かと思います。

 おそらく「・・・か」は、我々が思っている以上に、理解が難しい表現です。

「明日は雨か」

 これだけだと、「(空模様を見るなどして)明日は雨か」と確信したのか、誰かに「明日は雨だろうか」と尋ねているのか判断できません。

主語の有無

 日本語は明確な主語がなくても文章が書けます。
 ですが、フランス語は明確に主語を書く必要があります。
 そのため、翻訳時に主語が追加されます。

 日本語:(俺は)馬鹿か……
 みたいな納得や後悔の台詞が
 フランス語:お前は馬鹿か?
 という相手への疑問になるような、誤訳があります。

 翻訳者が「誰の発言か」誤解した上で主語を追加して、台詞のニュアンスを全くの別のものにしています。

 そんな誤訳は起こりえないだろうと思うかもしれませんが、けっこうあります。おそらく翻訳者が漫画をそれほど読んでいないためです。というより、日本人が「漫画を読む能力に長けている」から、日本人には通じる表現が、外国人には通用しないのかもしれません。

 たとえば、炭治郎が拳を握りしめてうつむき「馬鹿か……!」と言うシーンがあったら、これは「何かしらの失敗や勘違いなどを後悔して、自分を責めている」と読めます。ですが、これを「傍にいる第三者に対する怒りから拳を握りしめている」と解釈する翻訳者もいるということです。漫画に対する理解が浅いのか、ボディランゲージの意味するところの違いです。

効果音

 効果音は書き小文字の横に小さく、(おそらくフランスでは、それで通じるであろう)「日本語の発音とはかけ離れた文字」が書かれます。フランス語の単語だったり英語の単語だったりします。
 日本語の発音と近い文字が書かれる場合もあります。

  • ズン → ZUN

  • ドン → SBAM

  • ヒョイ → FLOP(フランス語では「柔らかい者が落ちる音」だそうです)

 などなど。基本的に「日本語の音をそのままアルファベット表記する」ことは、稀です。
 コケコッコーとクックドゥルドーみたいなもので、文化の違いで擬音語の表現が違うのでしょう。

 ザンッ! という斬撃の効果音の横に SLASH と書くこともあります。フランス語のslash(射線)ではなく英語のslash(斬りつける)です。アメリカのコミックの影響かもしれません。

 私の読み込みが浅いからはっきりとはいえませんが、効果音の翻訳はわりと自由度が高いように思えます。

ルビがない

 フランス語にはルビが存在しません。

 絶対無敵最強拳(アルティメット・パンチ)
 お前が嫌いだ(だいすき)

 みたいな手法は使えません。

漢字が伝わらない

 金(かね)と、金(きん)の違いは、ルビがないと外国人には伝わりにくいです。
「金さえあれば、楽に暮らせるのに」と、戦国時代の下流武士に言わせたら、「きん」「かね」か日本人ですら判断できないように、外国人も理解できません。
 その時代に「かね」が流通していたのか。作中の舞台の近くに金山(きんざん)があるのかといった、歴史の知識がなければ判断できない文章もあるかもしれません。
 たとえば織田信長の台詞で「国中の金を集めろ!」とあったとして、これが、「きん」「かね」か判断は難しいです。

 フランス語で argent に「お金」と「銀」という意味があるのですが、「argentが欲しい」と書かれたら、我々も文脈や相手の文化や歴史で判断するしかありません。

ひらがなも通じない

 ある作品で「お菓子」「彼は奇妙です」と誤訳されていました。

 女の子が保護者的存在に「おかし」と言います。ふきだし内の文字はひらがなです。お菓子をおねだりしているのです。
 しかし、その場には動物の仮面を被った半裸の男が居ます。
 そのため、翻訳者は「おかし」を「おかしい」という意味として捉え、女の子が「奇妙な男について言及している」と誤解したのでしょう。
 同作ではギャグシーンで女の子が変顔をしながら「ギャオオオン!」と叫ぶようなこともありますが、こういった台詞も、半裸の奇妙な男の叫び声と誤解されていることがありました。

 さすがに見ていませんが、おにぎりの具材を意味する「おかか」という台詞があったとき、背景次第では「これは丘ですか?」と誤訳される可能性があります。

文化の違い

相手の呼び方

 相手を名字で呼ぶか名前で呼ぶかの判断基準が日本とは異なるため、翻訳によって台詞が変わってきます。
 相手のことを「貴方」と呼ぶ丁寧な口調のキャラでさえ、翻訳後は相手の名前を呼び捨てにします。ムッシュやマダムを付けて丁寧に表現することもありますが、それは相手が将軍とか上司とかの時に限られてきます。
 丁寧口調キャラだから、とか、話者が年下だから、といった理由で、呼び方が丁寧に翻訳されることはありません。

 具体的に『鬼滅の刃』を例にすると、お館様や無惨様は、ムッシュやセニョールをつけて呼ぶけれど、炭治郎は義勇を「義勇」と呼び捨てにします。

 呼び方については、日本がフランスに対して、文化や風習を積極的に伝えていく必要があるかと思います。
 誤訳というより、作品の魅力を損なうような改編がされる場合があるためです。

 作品を否定するつもりは一切なく、「誰もが知っている分かりやすい例」だから引き続き『鬼滅の刃』を例にします。

 原作で甘露寺さんは、異性の柱を名字で呼んでいます。同性のみ、しのぶちゃんと呼んでいます。
 しかしフランス語版では、甘露寺さんは冨岡のことのみ「義勇」と名前で呼んでいます。他の異性は名字で呼んでいます。義勇を呼ぶシーンに、大きなハートマークが描かれているため、翻訳者が誤解したのかもしれません。

 不死川兄弟の相手を呼ぶときの二人称の変化は、原作を読んだ方には特に印象深いことか思います。ですが、翻訳者には原作者の意図や日本の文化が通じていないため、基本的に名前で呼びあいます。

言葉による伏線は貼れない

 台詞で伏線を張ると、巻数を跨いだときに、通じなくなります。
 同じ人が翻訳する場合でも、台詞に込められた伏線までは意識していないため、翻訳時に伏線が消えていきます。

 不死川兄弟の場合は、2人が同時に登場する最後の巻のみは、原作に準拠した呼び方をしています。ですが、それ以前は2人の距離感を正しく表現したとは言い切れない訳になっています。

 他に『ワンピース』に登場するラフテルという言葉を英語で書くと、Laugh Tale になるという考察がありますが、これは英語版だと普通にLaugh Tale と訳されています。ですので、少なくとも英語版ではラフテルはLaugh Taleです。
 フランス語版でも、Laugh Tale という英語表記にしています。

 外国語をカタカナ表記した言葉は、翻訳出版されるときに元の言葉に戻ることがあるということです。
 ファイアといった呪文名は、おそらくそのまま味気なくfireになるでしょう。

夜露死苦

 造語は一般的な単語に変更されます。フランス語では、漢字のように造語を作ることは容易ではありません。ちらほらと見かけますが、基本的に一般的な単語に変えられます。

 格好いい字面の漢字を組み合わせてカタカナの当て字をつけるような特殊な戦士は、フランス語版では単に「騎士」にすることもあります。

 映画のタイトルが海外でまったく異なる物になるのと似た感覚で、漫画内に出てくる特殊用語がまったく異なる物になる場合があります。

作品タイトルは英語になる

 フランスで出版される漫画のタイトルは英語でつけられることが多いようです。あくまでも主観ですが、以前はそのままフランス語訳されたり、まったく違うフランス語訳をされる事が多かった印象ですが、最近の作品は英語への直訳が多いようです。

 フランス語版タイトルの例:下に行くほど古い作品
 Kaiju N°8
 Spy x Family
 Demon Slayer
 Naruto
 Kenshin le vagabond
 Les Chevaliers du Zodiaque
 Olive et Tom

 下の2つ目は、頑張って考えれば答えに辿りつけそうですが(ヒント:Zodiaque は黄道帯です。牡牛座とか牡羊座とか蟹座とか……。Chevaliers は騎士の複数形)、最後の1つは日本語版タイトルは絶対に分かりません。興味のある方は検索してみてください。

 タイトルに関しては『北斗の拳』も面白いことになっているので「北斗の拳、ナイフ、フランス」といったキーワードで調べてみてください。
 翻訳によって、このような事態が起きています。

翻訳者の癖、ミス、自己主張か何か

 自分の作品にしたいという思いが漏れてしまうのか、原作にない台詞を勝手に追加するケースが非常に多いです。
 原作にひとかけらもないニュアンスが追加されることがあります。

 たとえば「もー」みたいな苛立ちの台詞が「私は悔しい」といった台詞になります。
 「もー」は「もー」以上でも「もー」以下でもないはずなのですが、翻訳者が「これは悔しがっている呻り声だから、『私は悔しい』という台詞にしてやろう」と翻訳してしまうのでしょう。
 さらに、「もー」が「お兄ちゃんが言うことを聞いてくれないから、私は悔しい」と翻訳され、原作の台詞にはない言葉まで追加されることがあります。
 つまり、可愛い妹キャラが大きなふきだしで「もー」と言っているだけのところが、小さい文字でびっしりと「お兄ちゃんが言うことを聞いてくれないから、私は悔しい」と書かれてしまうのです。

 黙れ、黙れ、黙れ!
 みたいな繰り返し台詞は、翻訳者独自の表現になることが多いです。
 Ferme-la! Ferme-la! Ferme-la! とはなかなか訳してくれません(Ferme-la → それを閉じろ → 口を閉じろ → 黙れ という意味)。

 黙れ、黙れ、黙れ! はフランス語に翻訳されると、
 「黙ってください、貴方はうるさいです、口を閉じてください」
 みたいになります。怒りのあまり言葉を紡げない、もしくは短気なキャラの描写であるはずなのに、翻訳によって、流暢に喋りだしてしまうのです。

 うるさい、うるさい、うるさい!
 バカ、バカ、バカ!

 みたいな日本の漫画表現は、フランス文化では受け入れられないのかもしれないです。そのため、翻訳者が漫画の内容を解釈して、台詞を変えてると思われます。ただ、その「解釈」が、どうにもしっくりこないことが、けっこうあります。

貼りつけミス

 翻訳作業の現場を知りませんが、十中八九、翻訳者が漫画の原稿データに直接フランス語を貼りつけているわけではないです。
 おそらく、翻訳者は海外編集部から「漫画原稿の吹き出しに番号が振られた物」を渡されて、その番号を参考にして、翻訳したリストを作っています。
 そのリストを見た海外編集部が、漫画の原稿データに台詞を貼りつけています。
 2人以上の人間が翻訳に携わっており、また、そのうち日本語が分かるのは翻訳者のみで、編集者はフランス語しか分かりません。
 そのため、「貼りつける場所を間違える」というミスが発生します。
「20ページ前のまったく別の台詞が貼られている」なんてことがあります。

 同一のコマ内で発言者が間違っていることもあります。
 これは、我々が普通に読んでいても誰の発言か分からない台詞があることから、しょうがない問題かもしれません。吹き出しから伸びる尻尾を明確に、キャラクターに近づければ解決するかもしれません。

 また、どのように原稿データをやりとりしているのかは分かりませんが、絵の上にインクをこぼしたような汚れが追加されていることもあります。

慣用表現が異なる

 「腕を上げる」は、日本語では「上達する」という意味です。
 たとえば、「剣の腕を上げる」といった文章は、「剣術が上手くなる」という意味です。
 けれど、フランス語では「腕を上げる」行為は「自分と相手の間に腕を挟む」ということで、つまり「警戒する」という意味になります。
 「腕を下げる」というと警戒を解くという意味になります。

 想像してください。2人の剣士が戦い、一方が「腕を上げたな」と言う場面を。
 日本人なら「久しぶりに会ったライバルが強くなっていたから、思わず口にした称賛の言葉」と解釈するでしょう。
 ですが、これがフランス人だと(腕を上げて剣を構えたから)「警戒したな」という意味に解釈するのです。

 ゲームでも映画でも誤訳はたくさんあるので、これはどうにもならないのでしょう。
 人工知能で、上手いこと誤訳の可能性をピックアップできるようになると良いかもしれませんね。

翻訳者が漫画好きとは限らない

 おそらく、漫画を読まない人が翻訳したのだろう、という訳がちらほらと見かけられます。漫画の王道展開や定番展開というものが理解できていないのです。もしくは、物語の理解が浅い場合があります。

 具体的には、『鬼滅の刃』遊郭編で、追いこまれた炭治郎がクナイを妓夫太郎の太ももに刺して、逆転を試みたシーンです。炭治郎が妓夫太郎の首に刀をかけて押しこむ場面を目の当たりにして、堕姫が「お兄ちゃん!」と叫びます。

 その声が切っ掛けとなって、炭治郎は鬼と自分達を対比して捉えるのです。炭治郎も妹から「お兄ちゃん」と呼ばれていたからこそ、堕姫の言葉が炭治郎の心を揺り動かすのです。

 ですが、翻訳版で堕姫は「妓夫太郎!」と叫びます。これでは、炭治郎が自分達と鬼達との境遇が似ていることを思いだす切っ掛けにはなり得ません。

 文化の違いで、名前で呼ぶか、名字で呼ぶか、続柄で呼ぶかが変わるのは当然ですが、さすがにこのようなケースは、作者の意図を理解できずに誤訳したと思われても仕方がないでしょう。
 なお、翻訳版で堕姫は妓夫太郎のことを、場面によって妓夫太郎と呼んだりお兄ちゃんと呼んだりしています。お兄ちゃんと呼べないわけではありません。肝心のシーンで「妓夫太郎!」と叫んでしまったのです。

 このように、翻訳としては間違っていないが、原作者の意図を理解できていないであろう翻訳は多々あります。前述した堕姫や不死川兄弟のように、「翻訳先の文化を尊重」していては、原作の魅力を損なう場合があります。

 これはやはり、日本の出版社側から海外の出版社に対して日本の文化を伝えて、呼び方を原作準拠にするよう働きかけるべきかと思います。
 漫画や小説、おそらくすべてのクリエイターは、他人の呼び方を考えて決めています。意味を持たせています。名字か名前かあだ名で呼ぶか、シーンによって呼び方を変えるか、そこには必ずクリエイターの意図があります。
 ですから、そこは、翻訳者の意図で変えていいところではないはずです。

ビジネス上の理由で、意図的に異なる訳をされる

 漫画について触れた後に、例がアニメになって恐縮ですが、『アナと雪の女王』に触れます。
 アナ雪はミュージカルアニメなので、歌詞は劇の内容と一致しているはずです。
 ですが、あのアニメ、日本語版が原作と違う部分があります。

 英語版やフランス語版では、「歌詞は劇の内容と一致」していますし、歌2、歌3、歌4と歌詞の内容が続いています。
 日本語版の翻訳者がそれに気づいていなかったとも思えないので、おそらく「主題歌のプロモーションの都合」で、意図的に歌詞を変えたと思われます。
 原作では「小さい女の子と親向け」の歌詞ですが日本語版では「20台前後の若い女性向け」の歌詞になっていたようにさえ思えます。
 客層にあわせるというビジネス上の理由が、訳に影響を与えていた……と思えるのです。

 公式サイトに動画があります。「歌詞は劇の内容と一致」していることを踏まえた上で、あら探しするくらいのつもりで視聴してみてください。

 50秒のあたり。エルサの仕草をよくみてください。
 歌詞とあっていますか?
 これ、日本語版は原作を無視しているんです。
 原作では、このシーンは「3つ前の歌で、父親がエルサに言った台詞」が歌詞になっています。
 3つ前の歌(雪だるま欲しがる歌)の間奏で、父親が幼いエルサに「力を隠しなさい」と注意しています。

 上記動画の50秒からは、エルサは父親の言葉を思いだして、父親の仕草を真似しながら、自分に言い聞かせているんです(その上で、言いつけを破る)。
 2つ前の歌(妹がはしゃぐ一方、姉は戴冠式を前にして不安になる)でも、エルサは歌の中で父親の言葉を繰り返しています。

 つまり、このアニメの歌は、「父親に言いつけられる」「その言葉に縛り付けられている」という流れから「言いつけからの解放」へと、歌詞が続いていきます。
 ここで重要なのは「父親の言葉に縛りつけられていた(苦しんでいた)」というニュアンスが、日本語版では一切カットされてしまったということです。

 また、日本語では歌詞全体が「ありのままの私で良いのよ」という前向きな内容になっていますが、アニメのストーリー的にエルサはそんな心境ではなく「仕方ないけど、氷を受け入れる」と思っています。「少しも寒くない」と前向きになっているのではなく、「寒さは自由の代償よ」と強がって諦観しているのです。

 想像ですが、若い女性に売りたいというビジネス上の理由で、意訳されたのではないでしょうか。

 ただ、意訳が功を奏すこともあります。
 最後に、私が思う意訳の好例を挙げます。

意訳の好例

 私は日本語版の『アナと雪の女王2』を見たとき、映像と歌は良いと思いましたがストーリーを物足りなく感じました。
・エルサにだけ聞こえる謎の声
・氷の洞窟内の歌の、詩の意味。さびでエルサが「見つけた」と叫ぶが、どういう意味があったのか

 このあたりが、どうにもしっくりきませんでした。
 「ネタバレ、解説」といったワードで検索して出てくるサイトを見ても、どうにもしっくりきません。

 この歌の3分40秒のところです。「おいで、よい子よ」に対して「見つけた」と返事していますが、本作最大の見せ場であるシーンにしては、いまいちノリきれません。行方不明の母を探していたわけでもないのだから「見つけた」は、何処か違和感があります。

 ですが、ディズニー作品のストーリーが「エルサが不思議な力を使える秘密を解き明かす」で、終わって良いのか? という疑問が尽きません。

 フランス語版を見て、ようやくストーリーを理解できました。

 日本語版の「見つけた」の台詞は英語版では「見つけられた」ですが、フランス語版では「もう死なない」と意訳されていました。意訳と言うより、本編ストーリーを踏まえた上で、まったく違う台詞に改変されていました。
 これで、すべてのストーリーが繋がりました。

 過去。父親が殺されかける。母親が助けを求めて叫ぶ(※1)。
 あの世界の水は、記憶力がある。※1の場面を記憶している。
 二十数年後、エルサが謎の声を聞く。
 謎の声の正体は※1の声だけど、エルサはまだ声の正体を知らない。
 エルサは旅をして氷河の先にある洞窟で、謎の声の正体が※1だと知る。
 エルサは父親が助かることを知っているため、10年以上?「父親を助けようとし続けている母の記憶」に対して「(貴方が助けようとしている人は)もう、死なない」と叫ぶのです。

 過ぎ去った過去なので変えることはできませんが、母を安心させたいというエルサの愛情が表現されています。

 つまり2のストーリーは、「母親の優しさが起こした奇跡(もしくは運命の悪戯)」によって、エルサが(祖父がやらかした)過去の過ちに気づき、それを正す、というのが根幹なのです。その過程で母の愛を知り、エルサも母に愛を返すのです。

 さてこれを踏まえて作中歌『みせて、あなたを』のさびにある台詞は、英語「I am found」日本語「見つけた」と、フランス語「もう死なない」どれがしっくりくるでしょう。

 私は、母の記憶に安らぎを与えようとしたフランス版の意訳が、いちばんしっくりきました。

 さびの前にエルサは「お母様」と呟いているのだから、「見つけた」の代わりに「愛してる」とか「安らかに」とか言わせて、歌の後に「お父様を助けようとしたお母様の声だったのね……」とでも言わせておけば、すべてかっちりはまるのでは……等と考えるのも、翻訳版を見た後の楽しみですね。

 ちなみに「新しい自分になる」と言う歌詞の部分は英語でも似たような内容ですが、フランス語では意訳して「私は、翼のない鳥」となっています。意訳と言うより、やはり全然違う言葉を引っ張ってきています。
 あくまでも個人の主観ですが、フランス語の歌は韻を踏むことを優先するあまり、脈絡のないことを言うことがある気がします。

最後に

 今後、人工知能の進化や、海外での漫画文化の浸透、週刊少年ジャンプのグローバル戦略などを理由に、海外産の面白い『漫画』が出てくる予感がします。ゲーム業界と同じようなことが、漫画業界にもそろそろやってきます。
 海外の漫画家が連載する『世界ジャンプ』の準備が進められているはずです。イラスト人工知能を活用した海外のクリエイターが『漫画』を描く時代が、すぐそこまで来ているかもしれません。

  その時、日本と海外の文法や文化の違い、誤訳の傾向などを知っておけば、より楽しく読むことができるかもしれません。

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