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親の呪縛を力技で解いたYくん

※写真はあさの千幸さんの作品です。

※ゆっくり読んで5分です。
お時間のある時にどうぞ。
※実話です。


25年も前のことなのだが、
今でもたまに思い出す話がある。


Yくんは弟の幼なじみだ。

家も近所なので、私もよく知っていた。

Yくんは大変な美少年で

肌が白く、髪も瞳も明るい茶色で

まるで英国貴族のお坊ちゃまのようだった。

Yくんはお母さまにそっくりで

お母さまも純日本人なのに

西洋人のようなお顔立ちで

タレントさんのように可愛い方だった。


Yくんのお母さまは優しい方だが

非常に教育熱心だった。

私の母も教育熱心だったので

Yくんと私の弟は

かなりのスパルタ教育を受け

県下で1、2を争う中高一貫校に進学した。


Yくんは成長とともに美少年ぶりも増した。

しかしYくんは、学校で美貌とは別の評価を受けていた。


『奇人変人』


それがYくんを知る生徒たちの一致した見解だった。

例えばこうだ。



Yくんと弟はよく登下校が一緒になった。

ある日の帰りのバスでのこと。

Yくんと弟が並んで吊り革につかまり立っていた。

ふいにYくんが学生服のポケットに手を突っ込み

ホコリまみれの何かを取り出し

それをポイと口に入れた。


弟「おまえ、今なに食ったんだ⁈」

Yくん「焼き肉」

弟「は⁈」

Yくん「弁当の残りの焼き肉」


Yくんはこんな子だった。




Yくんのお母さまは相変わらず教育熱心で

それはYくんにとって負担になっていた。

高校になるとYくんはよくこう漏らすようになった。

「俺は30までは親の言うことをきく。
 でも30になったら、
 自分の好きなように生きてやる!」



Yくんは東京にある賢い大学に進学し

当時超一流だった日本IBMに就職した。


私の弟は地方の大学に進学し、

社会人になってからも地方にいたため

いつの間にかYくんと疎遠になっていった。



ある時、冠婚葬祭で久々に帰郷した弟は

ふと思い立ち

Yくんのご実家に挨拶に伺った。


チャイムを鳴らすとお母さまが出てこられて

弟を見るなり

「ぽにょ弟くん!!!
お願い!ちょっと入ってーっ!」

と叫ばれ、中に通された。


お母さまの話。


ある日突然Yくんと連絡が取れなくなった。

心配して会社や心当たりの人達に尋ねたが

要領を得ない答えしか返ってこなかった。

お母さまは必死で調べまくり

やっとYくんの行方を突きとめた。



Yくんは30歳になったとき

会社にも友人にも

「絶対に自分の行方を親に知らせないでほしい」と

固く口止めし、会社を辞めた。

そしてJICA(青年海外協力隊)のメンバーとして

コンピュータの技術指導のためインドに旅立った。

冒頭にも書いたが今から25年前の話だ。

当時の日本はIT先進国であり、

インドはまだ発展していなかった。



お母さまは真実を知ったとき

泣き崩れ、そして気づいた。


「私が間違ってたのーっ」
「あの子のためによかれと思ってしてきたことが
 あの子を苦しめてたのーっ」
「私があの子を苦しめてたのーっ」
「ぜんぶぜんぶ、私が間違ってたのーっ」


弟の前で号泣するお母さま。




良いお母さまだと思う。

良いお母さまで

良い息子さんだと思う。




高校のとき

朝登校中、弟に真顔で

「絶対誰にも言うなよ。
 俺、痔になったんだよー。」
「病院に行って診察室に入ってすぐズボンを脱いだら、
 看護師さんに『まだ脱がなくていいです』
 って言われたんだよー。」
「絶対絶対誰にも言うなよ。」

ところが学校に着いたら

なぜか会う人会う人に

「絶対誰にも言うなよ。」と自ら触れてまわり

お昼前には学年中に痔主だと知れ渡ってしまったYくん。



Yくん

今頃どこでどうしてるかな。



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