見出し画像

Ambigrams Italian

美しいモノというものがあれば、当然その対極には醜いモノが存在する。醜いモノをキチンと定義しないと美しいモノもなかなかみえてこないというわけで、醜くさに憤りと怒りを露わにするだけでは美醜の本質について接近することはなかなかに困難だ。まぁ、しかし、ここでは別に大勢の人をドン引きさせるような醜い行為について説教したり、大上段に振りかぶって高尚な美学論争をはじめようという話でもその能力も無いのでそういう難題は逮捕して反省させるか、頭のいい人にでもなんとかしてもらうこととして、ここで出来るのは毎度の如く、フォントをネタにした落語とも漫談ともつかないような、たわいも無い噺でしかないのだよね。ホント。

スクリーンショット 2020-07-20 17.47.36

さて、フォントにも醜いとか、そういう業界的にも一般にも、美しくないというような言われ方をするモノはあって、そのなかのひとつに俗にItalianと呼ばれるスタイルがある。文字の縦が細くて横が太いという、普通の明朝やセリフとは逆の作りになっている。ちょっとだけデザイン囓った人でも聞いて考えただけで、もう、まぁ、そりゃあそうだろうねぇ……という感じになって、なんとなくやっては駄目なんだろうなぁという漠然としたイメージすら浮かんでくるという……え? そんなこと無い? 一応そういうものだと思って話を聞いてもらわないと話が進まないので、そういうことだということにして話を続けるけど、まぁ、このスタイルの始まりは諸説あるけど、面白いはなしとしては1821年にロンドンのCaslonが大陸のDidoneへの嫌がらせとしてノリでDidoneのコントラストをひっくり返すという阿呆なことして、そこから始まったのだという説がある。人によってはライバルのバスカーヴィルに抜きん出るとまで喧伝するその世界一美しい書体の完璧なフォルムを正反対にひっくり返すという野蛮なことをするのだから、まぁこれ以上に酷い嫌がらせも無いだろうというまさに悪の所業。罰が当たりそうだ。

と、まぁ、そういうイベントだったわけでグリフも必要最小限しかデザインされなかったし、上の図見てもらえばわかるだろうけど、使い勝手は非常に良くない。やっちまったなぁオイというところだが、どうせ冗談だけの代物だしとまぁ深く考えはしなかったのだろう。ただ、あまりの酷さにその4年後にはトーマス・C・ハンサードという上の図のTypographia: an Historical Sketch of the Origin and Progress of the Art of Printing:の著者にエクスクラメーションマーク増し増しで「typographic monstrosities!!!」と呼ばれてしまう。それでも、まぁ意外と評価というか使いどころもあったのか、ゲテモノ好きの目にとまってしまったのかそのあたりの前後関係はわからないが、19世紀半ばまでにはもうスタイルとしてのItalianは普通に認知され……ただ単純に想像しただけでもあきらかに美学的に問題はありありのアリなので、そのスタイルが時代を超えて継続的に流行するということよりは、不承不承必要の折に時偶思い出されたように出てきて、いつの間にかいなくなるということのくり返しで、まともなクリエイターが扱うにはかなり際物過ぎる……ということは常にいわれてもいた。その結果スタイルを代表する書体を探そうにもその量や質も限られ、出典も由来も調べていくとグダグダな例は多い。誰がデザインしたものなのかもよくわからなかったりする。当時の活字制作者も、食料品売場で会計前の刺身を手づかみで食べるようなアホで恥ずかしいフォントの製作者として名前が残るよりは、ちゃんとした仕事で名を残すと言った気概みたいなモノもあったりした所為かもしれない……いや、適当。そのあたりは、まぁ、わからんけど。

で、欧州ではそういうことで、いつまで経っても際物扱いだったこのスタイルが、現在隣国が自治区でやっているだろうと推定される人数の高々10倍程度の最終的には総人口の95%にあたる950万ものジェノサイドをほんの1世紀で達成し文化文明土地財産を根刮ぎ簒奪というNSDAPすら裸足で逃げ出すほどの大虐殺、最悪の植民地支配、国家的ヘイトクライム真っ盛りだったものすごく野蛮な国のワイルドウエストに伝播したときに野蛮に野蛮が累乗されてそのスタイルの化学変化が起きる。米国のウッドタイパーの誰かがClarendonの書体を基にしてItalianしてしまったところからが始まりだ。下の図がベースになったその書体……だけれど、厳密に言うとClarendon自体は19世紀初めのフォントとはいえ現在のものは20世紀半ばに大幅にスタイルが近代化というか、改良されて以降のものをClarendonと呼んでいるので、ベースになった書体は下の図のものとはちょっとちがうのだけれど、まぁ、その辺りはお察し。スラブセリフから開口部を詰めてコントラスト高めセリフを少し細くしてブラケットを追加した書体……といった程度をイメージしてもらえればOK。これで、文章組にもわりと使えるようになったのでライン高の活字も作られるようになっていくなどと広く普及する。

スクリーンショット 2020-07-24 03.33.55

で、その当時のClarendonのCondenseのコントラストを反転させてEgyptianのItalianというスタイルを発明するのだが、案外これはこれでそれほど変ではないのでは……という感じ、ただエジプト人のイタリア人ではもう、どんな人なんだかわからないので、この書体をFrench Clarendonと称する。フランスもフランス人も全く関係はないんだけど。それに、どうせ名付けるならIndian Clarendonとしたほうがまだそれっぽいような気がするのだが、そのあたりに脱線した醜い話をしだすとポリティカルに不愉快になる人もいると思うので話を戻す……それでこの悪趣味なフォントスタイルが、まぁ、そうだなぁ、え〜っと、あれ。ジェシー・ジェイムズやビリー・ザ・キッド、ドゥーリン・ドルトンやブッチ・キャシディにサンダンス・キッドなんていう、一癖も二癖もある連中相手に WANTED! DED OR ALIVEってするポスターでは、これは当然目立ってなんぼなので、そういう目立たせたい場所にほどうまく嵌まったという感じで、今でも西部劇とかの小道具にピッタリというそういう時代の風景っていう、まぁ、そんなふうな、なんだか、悪趣味な話が続いてなにが言いたかったかよくわからなくなってきたけど。

それで、後年のPlaybillWestsideなどデザイナー名がはっきりわかっている有名なItalianは、このワイルドウエスト系ウッドタイプフォントの流れになる。オリジナル? な French Clarendon のオフィシャルなデジタルフォントが今現在存在するのかどうかについてはよくわからなかったので、手元にある資料では一番古い1872年のVanderburgh, Wells & co.,のカタログをキャプチャしておくけど、当然、厳密に言うとこれも本当の最初のオリジナルというワケではない。

スクリーンショット 2020-07-20 18.18.15

これで、縦が細くて横が太いというItalianスタイルも多少は評価されてきたということになったかというと、そうでもなくて、最近でも、Typothequeの創設者で、雑誌Works That Workや定額フォントライセンスプラットフォームFontstandの共同設立者で知られるオランダのデザイナーPeter Biľakに、こういう方法は目立った字形を作成する「汚い手口」だと言われてしまうくらい。まぁ、ワイルドウエストウッドタイプはともかく、最初のEnglish Italianとかを、まともなクリエイターがみれば、アイデアに行き詰まった揚げ句、頭がおかしくなってやっちまっただけのようなものに感じるかもしれない。この手の書体を本文組に使った人間を露骨に馬鹿呼ばわりする手合いもいないわけではないからね。

でもここまで異常な構造をしていると文字が間違って印刷されているんじゃないかと思われて、逆に目を引くので、看板やポスターなどに使用されるケースなどはあって、ドラッグで頭がおかしくなっていた70年代のクリエイターたちのポスターにはこのスタイルの文字がよくつかわれていた。

で、70年代を代表する有名なItalianに、作った人がシガースモーカーのフランス人デザイナーと勘違いされてしまっているようなメカノーマのレトラセットで……ってこういう言い方をするからさらに誤解が増幅するんだろうなぁ、まぁ、その、言い直すと、アメリカ人のBernard Jacquetによるフランスのメカノーマ社製インスタントレタリング用書体、Jacksonというフォントがある。下の図のフォントだ。

スクリーンショット 2020-07-20 17.27.53

これも悪目立ちするので、その当時ふうのあっちのお店の看板ではよくみるスタイルだ。看板なんて目立ってなんぼなのだが、あまりこの手の迷惑系フォントで街が埋まると美観を損ねるということもあってか、一時期は都市開発関係者とかに嫌われ過ぎるchocと並ぶほどの悪名高い看板用書体ともいわれていた。え? 今もそうなの? ただ、こういったものも一周回ると店の中で駆除対象生物が運動会をしているようなナントカ横丁やナントカ街とかが観光地化してもてはやされるように、いまでは、プロのインテリアデザイナーの手によって、わざわざこの手のItalianで、お店をお洒落にサイネージしてしまう場合も……まぁ、なくはないんだな。

もっとも、Italian、Italianなどと連呼していると、これもまた誤解のもとになる。斜体のItalicとまぎらわしくなるというのも理由のひとつだ。それで最近では滅多にそういう呼び方はしない。掟破りの頭の悪そうなデザインスタイルをイタリア人と呼ぶのはいくらなんでもアレな感じだということで、そこのところはイタリア人への配慮もあってかどうかは知らないけど、Reverse Contrast、つまり「逆コントラスト」書体とかいう文字通りにそのままの、なんのヒネりも無いという、そういう名前で呼ばれる。ちなみにスラブセリフは今でも Egyptian で普通に通じるので、エジプト人に対する配慮だけはなさそうだ。そういうところがフォントレイシズムだといわれTDC解散という騒動にまで発展するのかどうかそういうことはわからないけれど、ともかく、ナポリタンがナポリに無かったり、風俗店の呼称がトルコ人を怒らせたり、スラブセリフがエジプト人と何の関わりもない程度には、フォントスタイルのItalianもイタリアやイタリア人とはまったく関係ない。これはフォントのネーム付けにありがちなアルアルのひとつで、フォントの名前やスタイルを成り立ちとは無関係に、なんとなくの気分で固有名詞や街の名前にしてしまうという古くからの悪習に起因する。まぁ、そっちのほうが格好良いと思っているのかどうかそこのところもわからないけど、使う方にして見ればエライ迷惑このうえない。もう少し名前からスタイルを想像しやすくしてもらえればいいのだが、ボウフラのように次から次へと新書体が産まれるこのご時世では、もう名前を見ただけではどんな書体なんだか想像すらつかない。そういうのがお洒落だかなんだかはよくわからないけど、シカゴでサンフランシスコがオオサカでニューヨークとか……そういう言葉遊びがいつまでも有効だとは考えない方が本当はいいのだが。それでもまだ、パンチカッターの時代やDTPの初期ならば「デザイナーを名乗るならフォントの名前くらい全部覚えておけよ」程度は言えたのだが、毎日二桁もフォントがリリースされる21世紀のこの世界にあっては、そんなことを軽はずみに丁稚さんにでも口走ろうものなら、翌日にふてくされて「すみません、向いてないので辞めさせてください」と言われるのがオチだ。いや、ホント。だから、フォント名なんて呪文ですからね。エエ、フォントに。



スクリーンショット 2020-07-22 21.32.57

さて、まぁ、そういうわけで、本題。今回も前回に引き続きやっては駄目なフォントシリーズの第二弾というわけで、このreverse ContrastなItalianフォントを作っていこう……というわけだ。


Italianにするフォントのベースにしたのは、自粛期間中に作った下の図のフォント。実はこれ、今年の12月に、フランク・ハーバートのSF小説を映像化してはみたものの製作費を回収できずにデヴィッド・リンチのキャリアに泥を塗ったといわれる1984年の映画をリブートするドゥニ・ヴィルヌーヴ版の映画の全米公開が予定されていて、その映画のタイトルのタイポグラフィにインスパイアされている。

スクリーンショット 2020-07-01 21.34.33

映画は規模のでかさと設定の複雑怪奇さが相まってデヴィッド・リンチだけではなく、数多の映像作家が試みては全て失敗に終わったと称される呪われた作品で、今のご時世に「ホワイトメシアン」ものという脊椎反射だけで生きているような動物に与える餌になり、その生き物が増え過ぎるとコロナ無関係に上映すら危うくなるだろうというテーマにチャレンジしてしまうヴィルヌーヴの勇気には素直に感動するのだけれど、まぁそれはともかく、上から見ても下から観てもDUNEに読めるというこの擬似的にアンビグラムなタイポグラフィのアイデアが面白いと思ったので試しにこのルールでフォントをフルセット作ってみましたという感じ。DUNE2020のトレイラーの映像で見たことのある人は分かると思うけどミーンラインのところが徐々にハレーションしていくバリアブルフォントになっている。作ったのは大文字だけだがそれでも流石に無理矢理なところはあるけどね。まぁ、とはいってもこれがヴィルヌーヴ的に正解かどうかはよくわからない。というか、正解するつもりもまったくないので、そこのところはどうでもいいけど。

スクリーンショット 2020-07-23 23.33.20

なにしろ、サピア・ウォーフの言語相対性理論に触発された難解極まりないヘプタポッドのセマグラムまでも映画の小道具として発明してしまうというフォントデザイン的にも変態なヴィルヌーヴのことなので、こんな単純な構成の文字程度なら、すでにフルセットを準備していてもおかしくない。まぁ、最終的には上のロゴタイプが決定というわけではないかもしれないしね。というわけで、上映が近づいてきたらまた何か別のものが出てくるかもしれないとは思ってはいる。ARRIVALやDUNEに関しては、それとは別にここでやっておきたいことも……あるにはあるのだが、そこらあたりへ脱線したはなしをすると、もう、ほんとうに長くなって戻ってこれなさそうなのでこのあたりの噺はまたそのうち。



さて、それでは制作方法。今回は英語は大文字のみで、あと数字と記号をいくつかという感じでつくっていく。以下のような感じ。セリフはアクセント代わり、それぞれのグリフの関係はアンビグラム化最優先でデザインした。

スクリーンショット 2020-07-24 09.56.07

Jacksonではキャラクターの中で太らせるホリゾンタルラインを、上のラインの1本だけに絞って天地のサイズの半分を超えるほどの幅の太いラインを絞り出し極悪なハイコントラストフォントを形作っているけど、こちらはこちらで、中央のホリゾンタルラインを限界まで細くすることでキャラクターの中に天地の半分に迫る勢いの巾の2本の太いホリゾンタルラインを現出させコントラストアップにチャレンジしている。

それぞれのキャラクターが擬似的にでもアンビグラムに機能するというアイデアをなるべく活かしておきたいので……ただ、当然そのやり方をすると可読性が犠牲になる。それでモノスペースにして全てを等幅で送れば認識性はあがるので、あとはまぁ、ちょっとした調整とバランスで可読性をなるべく下げないように気をつけて、ここからあとはまぁDTFといったところだ。完成したフォントの文字の空間部分の空きもわりとうまくリズムがとれているように思うけど、どう? ただ、なにか、だんだん、醜い文字を作るという当初の目的が忘れられてきているような気がするのはどうなんだろうか? コーナーにテーパーをかけた所為でかえって可愛らしくなってる。

スクリーンショット 2020-07-22 21.17.20

と、まぁ、御託を並べたけど、この程度の単純なフォントくらいは過去にも存在してそうだ……と思って試しにMyFontのWhatTheFont!で画像検索してみたのだけれど、同じフォントが見つからなかったというのが案外意外。多分MyFont向きではないだけなんだろうけど……以外と単純なルールだけでもまだまだやれそうなことはいっぱいあるということかもね。


というわけで、ダーティーなトリックを使ってでもタイポグラフィを悪目立ちさせたいという向きはBiľakもお墨付きのこの横太高コントラストというテクニックを覚えておくと役に立ちますというオチ。え? そんな話だったっけ? まぁ、文章全部がアンチモラルと醜悪のサンプルという喩えで、こんな悪趣も参考にする使う使わないはあなた次第なんですけどね。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?