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父への尊敬と、影響を受けた言葉たち


高校からの親友が父と同じ会社に勤めていて、こんなことを言われたことがある

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私のルーツを父に感じてくれたらしい。

親の言動や関係ってやっぱり
子供の価値観形成に影響を与える
大きな割合を占めているものじゃないかと思う。

イメージでいうと
親・家庭環境>友達関係>本・学校の先生
の順番で価値観に影響がある。私の場合。

ふと、私が父から影響を受けた部分について
書き留めておきたくなったので書く!

父のプロフィール

私の家族は
どっからどう見てもすごく仲の良い家族!って感じではなくて、お互い心の中で愛し合っている感じ
会話量ははたからみたら、少ないほうだと思う
でもお互いが愛をちゃんとキャッチしてる(と、思う)家族です。

父とも、喋る量が多いわけではない。

小学校6年生までは、縄跳びの二重跳びが10回連続で跳べるようになったから
そこで見ていろと父を外まで連れ出すくらいの仲だった。
中高からはなんだか気恥ずかしくなってしまったけど・・・

社会的なプロフィールでいうとメーカーの設計部門の部長
もう60近くなってるので昭和っぽい部分はあるしとにかく頑固

私が新卒でベンチャー企業を選んだときもその選択を「許してやった」という感覚でいるし
人生甘くないぞ論もよく言う。

そして心配性。
競艇行ってくると言うとどんくらい儲けられるんだ、ハマらないようにな・・・ありとあらゆるリスクを言ってくる。笑
小学校のとき1人で湖で泳いでたらめちゃ怒られた(ライフジャケットつけてたのに)
一人暮らししてからは火事、水漏れ、セキュリティに関していつでもリマインドしてくる

でもやっぱり、尊敬している。

子供3人を大学までいかせて習い事も塾も通わせてくれた
子供の頃の思い出、本当に沢山つくってくれた

家族への愛が深くて、みんなの利便や安全を守るために
しょっちゅう考えたり何かつくったりしている

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そんな父から特に影響を受けたことで
すぐに思いつくのは2つ

①1つの立場から物事を見ないところ

今となっては多様性って当たり前の価値観になり始めていると思うんだけど
私が小中高のときはまだ、そういう感じじゃなかった

そんな中、父とのやりとりでものすごく印象に残ってるのは
中学の時くらいに、戦争系のテレビ番組を見ていたとき。
日本が他国に「された」酷いことが紹介されていくのに対してこう言った。

「でもね、日本もいろんなことを他の国にしてきたんだよ」

当時周囲の人でそんな日本を下げるようなことを言う人はいなかったし
まだ今の自分がいる世界が絶対正義だと思ってしまいそうな
視野の狭い年頃にそんなことを聞いて、とても衝撃的だった。

同時に日本だけが正義な訳じゃないということ
何か問題が起きたときの相手視点の大事さがすごく腑に落ちた。
自分の意見や感覚は、違う角度からみたら間違っているかもしれないという感覚を得られた。

私はそんな感じで、父の
ある意見に対して自分がいる立場を下げてでも別視点で物事を捉えるスタンスの元に育ってきたなあと思う
(ちなみにこのスタンスは良いときもあるけど、こういう人はたいてい面倒くさい。笑)

それにとても影響を受けているので、その後聞いてきた
「やっぱり〇〇人はダメだ」
「日本から出てけばいいのに」
「あの国はおかしい」
こういう発言に対して「何もわかってない」と、すごく怒りを感じていたし
友人との間でその話題が出たら否定はしないし自分の意見も言わないがとても居心地が悪かった
大学生のときのスピーチ内容やゼミも無意識のうちで異文化理解、異文化間コミュニケーションを選んだ
すごく課題感があるわけではないしすごく自分が言いたい意見があるわけではない。笑
でも、ちょっとしたフラグが立つんだと思う。

私もイメージやフレームで人を見てしまうことは仕事柄もあり
意識内・外のところで結構やってしまっていると思うし
便利な部分もあるんだけど、、、

あまり人や物事に対してネガティブなイメージを持ちたくないと思っているし
自分がネガティブに感じたことの裏側に、自分がまだ理解できていない何かがあることを忘れたくない。
私は全部を知っていないし、見えていない。


・・・・ちょっと2つ目書くのまた今度にしよ。笑

なんだか、私は自分の子供を欲しいって思ってないし
周囲の女の子たちが迷いなく子供欲しいというのを聞いて
なぜそう思えるのか、本当にわからないんだけど

こういうふうに親からもらったことを思い出すと
そんなことを誰かにしてあげたくなる気持ちにはなる。

やっぱり愛は循環するね!

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