【怪談手帖】桂男【禍話】
Bさんから聞いた、鳶職をされていたというお祖父さんの体験。
ある時お祖父さんは家の縁側に座り、近所の大きな屋敷の庭にある見事な一本松と、そこにぽつりとかかった月とを眺めながら酒を呑んでいた。
するとだんだん月の海の模様 —お祖父さんは痘痕と言っていたそうだ— それが人間の顔に見えてきたのだという。
とはいえ、月の海に顔や特定の図形を見出す習慣は世界共通のものである。
それに彼は、意味のない模様に顔や図形を見出してしまう『シミュラクラ現象』という用語は知らなかったが、頭ではちゃんと理解していた。
ほろ酔い加減でもあり、楽しい幻影だと喜んでいた。
ところがである。
それから月のある夜に縁側で晩酌をすると、意識しなくても月に必ず顔が見えるようになった。
しかも最初は、陰影の作る顔らしい集合でしかなかったのが、日毎に精細なはっきりした男の表情になっていく。
だんだん口元をぺちゃぺちゃと動かしているのまでわかるようになってきた。
しかし文字通りの酔狂な人間だったお祖父さんは、気味悪がるわけでもなく、ますます面白がった。
彼の妻にそれを話すと気味悪がられ、やめた方がいいと言われたそうだ。
そうなると却ってむきになって、その奇妙な晩酌を続けた。
終いには動いている口元に合わせて、声 —ラジオで外国語の放送が入ったような、ノイズ混じりの呟き— が聞こえてくるようになったらしい。
雲のない綺麗な夜が続いて数日を経た後、お祖父さんはなんとなく月の言っている事がわかりそうになってきていた。
そしてある晩。いよいよ何を言っているか理解出来そうだとなった瞬間。
不意にパシンッ、と音を立てて持っていたお猪口が割れた。
冷たいと思うと共に、酒の匂いがぷぅんと辺りに漂って頭がひどくクラクラしたのだという。
そこからの証言は彼と、彼の妻や両親とで食い違っている。
お祖父さんはその時を境に「家の二階に間借りしていた妻の弟が消えた」と主張している。
他の家族は「酒でおかしな幻覚を見て変な事を言っている。そんな男はいない」と主張している。
実際のところ、Bさんのお祖母さんには弟はいないのだという。
そもそも酔ったお祖父さんの言うことであり、戸籍などに証拠があるわけでもない。
結局お祖父さんのお酒でやらかしたエピソードの一つとして語られているのだが。
お祖父さんの娘であるお母さんが、Bさんにこっそり教えてくれた事を言うと、彼女にはその『叔父さん』との記憶があるのだという。
祭りに連れられて行ったり、二階の部屋へ行って本を貸してもらったり、食卓を一緒に囲んでいたり、ごく断片的なものとは言え確かにそういう思い出があるのだ。
お母さんの感覚としては、そういえばいつの間にかいなくなってしまっていたというような感じらしい。
冷静に考えるならば、お祖父さんに教え込まれたか、話を聞いているうちに、お母さんもそのように思い込んでしまっただけという解釈になるのだろう。
しかし、これもお母さん曰く。
「今でも覚えてるんだけど、その『叔父さん』が間借りしてたっていう二階の空き部屋ね、そこって…、誰かが住んでた跡があったのよ。私物とか…、私の見覚えのある本とか。
お祖母ちゃんが誰だこれって気味悪がって、全部捨てちゃったけどさぁ…」
晩年のお祖父さんの回想によると、松の上に見えた月の顔は、その夢か現かの彼の義理の弟にそっくりだったという事だ。
出典
この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (シン・禍話 第四十夜(後半一時間はただの雑談です)) 余寒の怪談手帖『桂男』(57:04~)を再構成し、文章化したものです。
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