好きな人には顔が無かった

あなたのことを絶えず考えているのに
あなたの顔がどうしても思い出せない
気がついてみるとふと耳にした音楽の一節を
くり返しくり返し口ずさんでいるのだ
あなたに会いたいと思うのだが
それは情熱というよりむしろ好奇心で
自分がいったいどうなっているのか
もういちどあなたの前でたしかめたいのだ
それから先のことは思い浮かばない
あなたを抱くことも想像できない
ただあなた以外の世界がひどくけだるく
僕は高速度撮影の世界の中の俳優のように
ゆっくり煙草に火をつけるのだ
するとあなたなしで生きていることが
ひとつの快楽のようにも思えてくる
あなたはもしかするといつか僕が他国で見た
時をへた美しい彫像のひとつかもしれない
そのかたわらで噴水は高く陽に輝いていた
『恋のはじまり』/谷川俊太郎

好きだった人の顔が思い出せない。

そんな私は今、恋の渦中にいるのだろうか。


人に必要とされたり愛されたりする事に安心感を感じられない、むしろ嫌悪感を抱いてしまう私が唯一この人には同じ温度で想われたいと思った人がいた。

彼氏や彼女はいるの?なんて探り合いのような事は何もしない、ただお互い記憶にも残らないようななんてことの無い話をするだけの人。

私には指一本触れようとしない、そんな安心感の塊のような人だった。

けれど彼は私の事が可愛くて仕方がないと思っていた事を知っている。私の名前を呼ぶ声と、私を見つめるその目から。

ただそれが友達としてなのかは分からなかったし、今もまだずっと分からないままでいる。

今までの私であれば嫌悪感を抱いて逃げ出したくなっていたであろうそれら愛情表現全てが心地良かった。

誰かの膝の上で微睡むような、日向のように暖かく心地の良い幸せ。

こんな私に手放しの幸せとは一体何なのか、そんな事を少し分かった様な気持ちにさせてくれた。

こんな人には金輪際もう二度と出会えないと本気でそう思っていた。


けれど不思議な事に、私は彼の顔を全く覚えていない。正確に言うと全く思い出せないのだ。

どんな風に私を見つめ、どんな声で話していたのか、あれだけ目に焼き付けようとした彼の横顔も、思い出そうとすると靄がかかったように何も思い出せなくなってしまう。

心理学的な諸説は幾つかある。『好きな人を見ている時は目の瞳孔が開いていて常に眩しいと感じている状態であるから』、『好きというような感情が高ぶった状態で経験する事は記憶として定着しづらいから』等。

本当のところ理屈はどうでも良かった。

ここで厄介なのは、好きだった人の顔は1ミリとして思い出せないくせに、彼を好きだったという感情だけは今も鮮明に覚えているという事だった。

脳の中で何度も補正をかけた彼が、もしかしたら記憶の中で別人に成り果ててしまっているかもしれないという事実。

もう一度だけ会って確かめたいと思うけれど、それはもう彼への愛情ではなく好奇心である事を私は知っている。

あれだけ大切に想っていたはずの人なのだから、生半可な気持ちで会って良い筈が無い。けれど会わずしてこの違和感を確かめる方法など無かった。

そんな事を考えていたらもう何も分からなくなってしまった。


私の事を想って欲しいと泣いた夜の全て、嘘になってしまうのだろうか。

私はまた私に向くこの愛情を受け止めきれず、溝に捨てて泣きながら走り去るのだろうか。

覚えているのは好きだったという気持ちだけで、これからどうなりたいだとかそんな展望は何も無い。なぜなら私にはもう何も分からないから。

そんな人はいなかったよ、と言われれば安心して眠れるのだろうと、そんなどうしようもなくくだらない事ばかり考えている。


ちょっとした備忘録。




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