シャキッとしてしまう症候群

「うん、まあ大丈夫そうだよね。要するに診断書を出せばいいんでしょ?」

そう心療内科医に言われ、心のシャッターがガラガラピッシャーンと閉店したのは、ハタチの頃のこと。「要するに診断書が必要だった」ことに間違いはないのだけれど、「本当は大丈夫だけど、単位取得のために必要だから診察に来た」わけではなく、「診断書が必要になったことを機にちゃんと診てもらおう」と思って足を運んだ先でのことだったから、その軽く鼻で笑われたような対応にハタチのわたしは失望した。


それからおよそ10年が経った頃、今度は精神科に行くことになったのだけれど、そのときの医師もまた「まあ、大丈夫でしょう」という対応だった。

まあ、仕方ないんだろうなあと思う。「大丈夫そう」だと思われてしまうのは、わたしがものの見事に「大丈夫そうな人」になれてしまうからなのだから。

「マジで無理です」なときであっても、誰かと接する機会があれば、たちまちシャキっとしてしまう。これはもう、昔からのクセみたいなものだ。大丈夫なそぶり、平気そうな態度、そうした外面を反射的に作ってしまう。

なまじ言葉で説明することができてしまうタイプだから、なおさらだ。理路整然と説明できるうえ、感情が決壊しないようにと細心の注意を払うがために、より理性的で冷静な態度になる。そりゃ、まあ「大丈夫そう」と思われるのも仕方がない、といったところだろう。


これは何も別に精神的なものだけではない。肉体的不調のときも、気持ちだけはシャンとしていなければ、と強く思っている気がする。我ながら「わたしの理性って……」と思ったのは第一子の陣痛に耐えているときのできごとで、陣痛がくるたびに嘔吐していた状況下でも、看護師さんや助産師さんに何かを尋ねられると、朦朧としながらも「~です」「はい、そうです」「わかりました」と答えていたこと。

産後、「我をなくしてしまった」「理性が吹っ飛んだ」「夫を怒鳴りつけてしまった」というエピソードを見聞きするたび、「わたしの理性って……」と思ったのだった。付き添っていた実母からも似たようなことを言われている。

ただ、陣痛で死にそうな状況で向かったお手洗いで破水したとき、ナースコールを押して「破水したみたいなのですが、どうしたらよいでしょうか」と痛みを耐えつつ尋ねたことからは、理性を保ちつつも平静さは保たれていなかったこともうかがい知れるけれど。(パニックになりながらも丁寧に冷静に聞かねばと思っていたようだ。なお、看護師さんには「いや、とにかく出てきてください!」と叫ばれた)


理性という手綱で繋がれたわたしの感情は、荒ぶってもぎゅううとしっかり押さえつけられる。だから、誰かと接するときのわたしの感情は一定のトーン以下で動いている。

幼少期のわたしは、なかなかに気性の荒い女児だった。親も手を焼いたことだろう、「疳の虫封じ」をしたと聞いている。ふたつ年下の妹とぶつかることも多く、「やっちまった」と後悔しているエピソードも多い。その後悔と親からたしなめられたり叱られたり(時に怒鳴られたり)した結果が、今なのだろう。社会性としては及第点レベルを身に着けられただろうと思うけれど、一方で「大丈夫」を過度に装うようになってしまったといえるかもしれない。

手綱をちょっと緩めると、とたんにコントロールが効かなくなる。そして、わたしはそれが怖いのだと思う。昔のように怒り狂ったり、涙が止まらなくなってしまったりする自分が出てきてしまうのが怖いのだ。その結果、人から拒まれることも。


現状、こんな自分を自分では「しょうがないよなあ」と眺めている。暴発するくらいなら理性で抑えていたほうがマシだと感じているし、うまく理性を緩められないのも、もうこれも個性だわ、と諦めにも近い感情を抱いている。

そんなわたしが怖いのは、年老いた先の自分だ。感情を自制できなくなって怒りっぽくなる高齢者がいるけれど、人間が老いた先に戻るのが本質的な自分であるならば、わたしが行きつくのは荒れ狂う日本海のような厄介なわたしなのではないか。そんなことを思ってしまうのだ。

だって、今も別に本質的な部分は変わっていないと思い知らされてばかりだから。やっぱり気性は荒いし、感情の振り幅も大きい。未来のわたしも、今のまま手綱をきちんと握っていてくれたらいいのだけれど。


ただ、そう願う一方で、「耐える」「飲み込む」スキルばかりを上げてきてしまったのは、自分との向き合い方としてちょっと間違っていたのかもしれないなあ、とも思う。ある意味で「己の負の部分をうまくいなし、真正面から向き合わないようにしてきた」ともいえるからだ。とはいえ、まだまだどうしてシャキッとしてしまう症候群から抜け出せる気はしない。何度もトライしてはいるのだけれど、これまでずっと負け続きなのだ。

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