怖さと甘さと成長と

感情を割り切ったり切り分けたりするのが苦手だ。特に恐怖心に関してはちょっと弱っちすぎるだろうと思うほどで、「怖い」と感じてしまうと、あからさまにその後の言動やパフォーマンスに影響が生じる。生まれ持った性質に加え、育った環境によるところも大きいのだろう。怒鳴られては委縮して、言い分を何も言えなくなる子どもだった。

自覚している以上に根が深いのかもしれないと気付いたのは、それがたとえ笑い声であったとしても、見知らぬ野太いタイプの男性の大声にびくつくことに気付いたときだ。女性から怒鳴られたこともあったのだけれど、子どものわたしに一番大きな影響を与えたのが父だったからなのだろう。


たとえ怒鳴られることがなかったとしても、感情的に怒られること自体に過敏なところがある。「怖い」と感じてしまうとパフォーマンスに影響が出るのもそのせいで、思考回路が「怒られないようにするためには」に舵を切ってしまうのだ。「怒られないようにする」ことを考えて動いた場合でも、いい結果に行き着くことはなくはない。しかし、合格点以上にはなり得ない。成長する上で、めちゃくちゃ邪魔な思考だと頭では理解している。


恐怖心に耐えかねて、仕事をやめたことがある。ある人は、そんなわたしを「甘い」と言った。「どこでも慣れるまではしんどいんだから」と言った。正論だ。しかし、わたしは「環境に慣れるまでのしんどさ」に耐えられなかったのではなく、ただただ数人に感じる恐怖心に耐えられなかったのだった。……といっても、あくまで主観だ。自称「割り切れる」人は、「そんなの気にしなければいいのに」と言った。「だって、どうせ、その場だけの付き合いじゃん」。それはそうだ。わたしも、何も別に仲良くしたいと思ったわけではなかった。でも、どうしても怖かったんだよ。


「甘い」「なめている」と言われ、そうなんだろうな、でもどうしようもないんだよと思っていた。しかし、自分が安心できる場所を求めるのは、そんなに「駄目人間」の烙印を押されるようなことだったのか。「甘い」と言われてきたけれど、わたしは「甘やかされたい」わけではなかった。「なめている」かどうかは、わからない。少なくともわたしはなめているつもりはなかった。ただ、耐えられなかっただけで。耐えられないことを「なめている」と見る人から見れば、なめていたことになってしまうだけれど。


「ここでがんばれない人は、どこに行ったって駄目だよ」……あなたが「ここ」に感じる居心地と、わたしの感じ方は違うのに?

「みんな我慢しているんだから」……それぞれ、耐えられるキャパシティは違うのに?


「不慣れな間の緊張感、不安」と「本能的に感じる怖さ、無理感」とは違う。そこの見極めは必要だろう。その上で、肩の力を抜いて行動できる場所を求めるのは、自分を生かし活かすために大切なことだと思う。



小学三年生になる上の子どもは、小学生になった頃、わたしに叱られたことで感情が爆発し、「オレはダメなやつだ」と部屋に閉じこもり泣き喚いていたことがある。扉越しに聞こえてくる喚きっぷりに、わたしは不安を抱いた。自己嫌悪、自己否定。ネガティブな感情を、どれほど自分に向けているのだろうと思ったからだった。

叱った内容は「再三言っても明日の用意をしなかった」といった小さなことだ。しかし、いろいろなものを受け止め耐えて、「ダメだ」と思っていたところの、最後の一押しとなってしまったのかもしれない。……まあ、母親の立場からすると「何でやねん」「じゃあ叱られる前段階でやってくれよ」が本音ではあるのだけれど。


今はずいぶんと落ち着いたけれども、「どうせ」「オレなんか」の言葉は、今もふとした拍子に零れ落ちる。「学校」「クラス」の枠組みの中で、「オレにもできることがある」と感じられる機会が、今もまだあまりないのかもしれない。そうしたこともあって、「自分に向けるネガティブな感情がなくなったのだろう」と安心しきっていてはいけないと思っている。成長と共に、ただ自制がうまくなっただけかもしれないからだ。いやいや期に床に寝そべっていた子どもが、いつしかやらなくなるのと同じように。溜め込んだ感情は、いつか牙を剥く。せめて、(暴れられるのは正直かなりきついけれども)家はガスを抜ける場所であったらいいと思っている。


登校を渋ることが多かった二年間に比べ、今年はスムーズに学校に通えている。この変化は、もしかすると「恐怖心」の有無なのかもしれない。昨年までの担任教師は、決して悪い人ではなく、本人も嫌ってはいなかった。けれど、ずっとどこか緊張している様子もうかがえていた。


安心できる場所で、自由闊達に過ごせる時間が少しでも多くあればと願っている。伸びなければと思わずとも伸びてゆける場所を欲するのは、甘えではない。居心地の良い場所を求める欲求と、歯を食いしばって伸びたいともがくこととは、矛盾せず成り立つものだ。そう、今では思っている。

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