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体験に全振り

若い子には旅をさせよ。若いときの苦労は買ってでもしろ。

昔からある言葉だ。

どちらとも、結局のところ「体験は至上」だということなんだろうなあ、とわたしは思っている。「苦労」かどうかはさておいて。

本当に、体験は大きい。多くのことはやってみないとわからない。

ちなみに、以前こんなnoteも書いている。

怖いよーと思っていたことが、案外そうでもなかったり。やっぱり怖かったり。どちらにせよ、やってみなければわからないわけで。

思い返せば、子ども時代のわたしは、へっぴり腰の割に変なときに勢いがあって、「やってみなきゃわかんないしね!」と友達が「面倒くさくない?」と訝しむなか、学級委員になってみたり生徒会本部役員になってみたりボランティア活動に従事してみたりしていた。

結果、楽しかった。

しかし、成長と共に、この「やってみるかな!」が衰えている気がしなくもない。まあ、中高、大学とメンタルの不調度がだんだんと上がっていったから、その影響もあったのだろうとは思う。メンタルが不調だと、新たなことはもちろん、本来興味があったものへの関心も薄らいでしまうので。

そんなわたしは、先週はじめて空を飛んだ。アイキャッチの写真は他人が飛んでいるところだけれど、要するにパラグライダーを初体験した。先週行ったWaseiSalonの初合宿、Waseiデニム旅でのひとこまでのことだ。

完全にその場のノリだった。なお、絶叫系は乗れなくはないけれど、決して好きではない人間です。

ただ、「こんな機会なんかそうそうないよ!(自分であらためて予約しなければ)」という想いにより、「飛びます!」と手を挙げていた。

パラグライダーは当然素人ひとりで飛ぶのではなく、背後にインストラクターの人がいる。操縦は完全にお任せ。わたしがやることは、離着陸時に走るだけ。

口頭で説明を受けたときはちんぷんかんぷんで、「とにかく走ればいいんですね」とだけ理解した。

斜面を思い切り走り、足がふわっと宙に浮く。そして、そのままぶわあっと空に舞い上がった。

結果、めちゃくちゃ楽しかった。怖さはなかった。(のは、操縦のおかげでもある)

おじいちゃんインストラクター(70代)が楽しい人で、飛んでいる約20分くらいの時間、ずーっと質問攻めにした。

80代でも飛んでいる人がいるとか。
昼過ぎくらいまでが本当は適しているのだとか。(飛んだのは夕方だった)
あそこの岩は笑っている人の顔に見えるんだよ、とか。
どうやって置いたのかわからない岩場に祠があるのを見つけたり、とか。
操縦は車みたいなもので簡単だよ、とか。
日本はおろか、世界各国で飛んでいるマニアもいるよ、とか。

降りたあと、「どうだった?」と尋ねるおじいちゃんインストラクターに、「楽しかったです!」と答えたときの彼の表情がうれしそうで、ああ、本当に飛ぶのが好きな人なんだなあと思った。

その体験が何になるのかは、まったくもってわからない。特に、役立つのかどうなのかという軸で考えると、たいがいのことは役に立つわけではないだろう。“役立つ”をどう捉えるかにもよるけれど。

とりあえず、パラグライダーの経験がわたしにもたらすものって何ですか、と言われると、何でしょう、としか答えられない。だけど、絶対何かは得ている。

効率的に、意味のあることを。そんなことが優先されがちな世の中だ。ただ、有益無益や意味無意味で判断するよりも、ただの直感で体験に全振りすることは、単純に楽しい。童心ってそういうことだよね。子どもの頃の行動は、シンプルな好奇心でしかなかったから。

子どもに体験の場を多く作りたいなと思う一方で、親のわたしも体験に全振りしていきたいものだなあ、と改めて思う。思い切って飛ぼうと思う心は、大人になると簡単に錆びつかせられると思うから。

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