見出し画像

祖父の誕生日によせて

久しぶりに祖父に電話をする。背後で「喋らせろ」と喚く息子たちを宥めたりいなしたり諌めたりしながら、「誕生日おめでとう」を伝えた。

本当は秋に会いに行きたかったのだけれど、どうやら祖母の具合がよくないらしい。祖母はもちろん、祖父にも負担をかけるのは本意ではないから、「またの機会に」ということになった。

「いつ転ぶかわからないからおばあちゃんから目が離せない」と話す祖父に、「おじいちゃんは大丈夫なの?」と尋ねる。「いやあ、おじいちゃんも辛いんだわ」珍しく出た弱音に、胸がチクリとした。


わたしの祖父母は3人健在だ。なかでも、わたしはこの母方の祖父に1番懐いている。ひょうきんで、子ども好きの愉快な人だ。頭髪事情も合わせて、ちびまる子ちゃんに出てくる友蔵にそっくりだと子ども時代から思っていた。友蔵よりはしっかりしていると思うけれど。

孫をかわいがるあまりに、余計なことをするのも多かった祖父。母と祖母に叱られていた姿を今でも憶えている。

1番古い叱られている記憶は、わたしが幼稚園頃のこと。あめ玉を放り投げて口でキャッチするイラストを見て、「やれるかな?」と尋ねると、あめ玉をくれたのだ。

ソファに腰掛けて放り投げ、見事にあめ玉は口の中に入り……そのままのどに詰まった。血相を変えて駆けつけた祖母と母にごはんや水分を突っ込まれて事なきを得たのだけれど、これはシャレにならないよ、じいちゃん。


わたしが生まれたとき、祖父母はみんな40代だった。だから、祖父はまだ70代後半だ。平均寿命を考えるとまだまだ若いのだけれど、やっぱり年は年だ。夫婦ふたりでの生活は、きっと大変なのだろうと思う。

わたしは大人になったけれど、まだ孫で、まだ娘だ。いつまで孫や娘としていられるのだろう。時折、そんな思いが浮かぶ。

父が父を亡くしたのは、35歳になる年のことだった。あと4年で同じ歳になる。まだまだ生きていてもらわないと、と思う。


わたしには二十歳過ぎまで曽祖父母がいた。最後に会話を交わしたのは二十歳だったろうか。「勉強しなさいね。学ぶんだよ」と繰り返し言われたのを憶えている。

歳の離れた親族との関わりは、親とは違った良さがある。願わくば、祖父母と息子たちの関わりが、少しでも多く、長くあればいい。

「会いに行くのはやめて、電話するね。とにかく無理せんといてね」

そう伝えて、電話を切る。声を聞かせることにどれだけの意味があるのかはわからないけれど、少しでもしんどさが緩んだらいい。

また顔を見せに行ける日が、どうか来てくれたらなあ。

#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #考えていること

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。