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雑音に左右されない

女子の世界のあるあるなのだけれど、部活動の同学年部員に一斉に無視を決めこまれたことがある。中三の頃だ。

当時、わたしは上級生からの指名で部長職を担っていた。(指名制が恒例だった)その頃、わたしは顧問に頼まれて、新入生向けの説明兼チラシを作ったのだけれど、おそらくそれが気に食わなかったらしい。「仕切ってる」とか言われる、まあくだらないやつだ。

部室内には三年生だけが使える部屋があったのだけれど、その日、部屋に入ると、明らかにピリッとした空気が流れていた。「あ、なんかまずいやつだな」と察する。そして、誰も話しかけてこなかった。わたしは、あからさまにおかしい状態で話しかけに行けるメンタルをもっていなかったから、何事もなかったかのように部活動を進めた。

必要最低限の言葉だけ交わし、ギスギスした雰囲気が続くなか、わたしはだんだんめげていく。なかには、おそらく場の空気に合わせて多数派についただけの子もいたのだろうと思う。むしろ、わたしはそんな子たちにショックを受けた。

悪意があるほうがマシだと思った。ふらふらと安全なほうにその場その場でつくような人は、信頼できない。そのことを体感した出来事だった。


このとき、わたしを救ってくれた子がいる。違う部活に所属している子で、小学校時代からの友人だ。

なぜかは忘れてしまったけれど、その日、彼女はわたしと共に下校していた。それまでは、家の方向は途中まで同じだけれど、部活動が異なるから一緒に帰ることはほとんどなかった。

ふざけたノリで、バカ笑いをしながら歩く。別れ道で、さらに距離を歩くわたしに、彼女は「若菜ん家までついてこっかな」と言った。そうして、本当についてきた。かなりの遠回りになるにも関わらず。

自宅近くまで来て、「なんか最近あった?」と彼女は言った。驚いた。だから、彼女はわざわざついてきてくれたのだ。わたしの話を聞くために。うれしかった。

事情を話すと、彼女は「うげー、めんどすぎるー」としかめっ面をした。そして、「もう、無理なったらやめて、うちの部活きいや」と勧誘した。「いや、運動部は無理や」と返したら、イシシと笑う。気が軽くなった。

「部活とかすべてじゃないし、なんかあってもうちおるからえーやん」

彼女に、「せやな」と返した。



……そんなことを思い出したのは、俳優の津川雅彦さんの訃報を知ったからだ。

彼女は、高校を卒業したのち、津川さんが関わっている専門学校に通っていたから。

人間関係も、自分の進路も、「これ」と決めたら周囲の雑音を気にしない子だ。だから、中学の頃、わたしは彼女を信頼できた。どれだけ周囲で悪口を言われても、彼女は彼女自身の判断でわたしを見てくれるだろうと思えた。


なお、その後しばらくして、無視は終わった。わたしは引退まで部活動を続けた。卒業後、中学時代からの友人で付き合いが続いているのは、部活動のメンバーにはひとりしかいない。

誰かと一緒でなければ、誰かを好いたり嫌ったりできない人の近くには、わたしは怖くていられないから。


#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #人間関係

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