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団地の子

「団地の子やからな」という言葉が嫌いだ。

転入し、卒業した小学校は、生徒の多くが団地住まいだった。

団地の子、とどこか揶揄するような言い方を耳にしたのは、中学校のとき。その後に直接悪い表現が続いたわけではなかったけれど、決していい意味で発せられた言葉ではないと感じた。

中学校はいくつもの小学校が入り混じるところで、わたしの出た小学校出身者にはヤンチャが過ぎる子たちも何人かいた。不良とまではいかなかったように思うけれど、素行や服装は派手で、悪い意味で目立っていた。……他校出身にだって、似たような子たちもいたのだけれど。

「団地だから」というのは、いつだって大人で、別の戸建てやマンション中心の校区の人だった。その中学校は上位高校への進学人数が多く、その高校へはわたしの中学から進学する人が少なかったから、そういうことも指していたのかもしれない。


似た言い方をするのであれば、わたしは「マンションの子」「新興住宅地の子」の方が苦手だった。

わたしは、小学校を二度転校している。卒業した小学校に転入する前、はじめて転校した小学校は、校区のほとんどが新しくできたマンションと戸建てだった。同じ市内ではあったけれど、後に転入した小学校とは、毛色が違った。

わたしが「マンションの子」が苦手なのは、シンプルな話、転入後にいじめに遭ったからだ。毎日泣いては学校に行き渋り、母に手を引かれて連れていかれ、無理やり送り出されていた。

いじめの内容自体は、激しいものではなかった。けれども、陰湿な方が見えにくい分タチが悪かったのではと、今でも思っている。実際、だからこそ親は、わたしを何が何でも学校に連れて行ったのだろうから。

どこか気取った子が多かったような記憶があるのは、そのときの相手の子たちのイメージが強いからだろう。実際には、もちろんいい子たちもいて、その子たちと仲良くなりはじめてからは学校にも通えるようになったのだから。

ただ、二度目の転校先では、そんな苦労は微塵もなかった。中途半端な時期に転入したため、翌日に参観日があったのだけれど、見にきた母は、転入2日目とは思えないほどクラスに馴染んでいるわたしを見て、かなり驚いたそうだ。

当時から今でもある感覚で、マンションが多かった学校の子たちには、しゃれていてクールで器用な雰囲気を、団地中心の学校の子たちには、素朴なほんわかさと不器用さを感じている。

だからこそ、大人の「団地の子」の発言に、とても嫌な気持ちになった。「あなたが住むようなマンションや戸建ての子たちには、表向きがいい子なだけの陰湿な子たちもたくさんいますけど」と。

エリアでひとまとめにすることは愚かなことだ。一定の傾向はあるかもしれないとはいえ、やっぱり「一概にはいえない」のだから。

でも、少なくともわたしにとって必要だったのは、先生や親の前でかしこくできて成績優秀な子ども中心の環境よりも、「場をわきまえる」ことができない不器用だけれど素直な子ども中心の環境だったのだと思っている。

……なお、親になってみて思うのは、子どもの醸し出す雰囲気は、親のものと似通ってくるということ。確かに、2校目の親たちよりも3校目の親たちの方が、飾りっ気がなかったなあ。そんなことを思い出した。


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