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酸素をしっかり供給する

「なぜ?」という内容のリプ(時にクソリプ)が寄せられたり、「え?なんでこれが?」というものが炎上したり。「なんでだろうね」という話をしていた。

よく言われるのが、読解力の欠如。まあ、眺めている限り、確かに読解力が足りない人は増えているのだろうなと思う。だけど、ではなぜ読解力が落ちているのだろう?

本を読まなくなったから、という単純な話ではないと思う。もちろん、読んだ方が身につくだろうとは思うけれど。

「想像力が落ちているんだよ」

ある人が言った。わたしもそう思う。そして、想像力が落ちているのは、日本の世の中にゆとりが足りていないからだと思っている。

物理的に多忙すぎるのか、単に気持ちだけの問題なのかは決めつけられないけれど、とりあえずわたしが目にする都心部の人たちは、セカセカしているように見える。

周囲の働くママたちも、これはもう物理的にも感情的にもセカセカしている。

そして、そのペースに巻き込まれた子どもたちからも、のびのびした雰囲気はあまり感じられない。高学年になるにつれて宿題が増大するらしいから、大人だけが原因ではなく、単純に忙しいのかもしれない。


気持ちに余裕がなくなると、判断の仕方が雑になっていく。瞬間的に物事の善悪を確認して、右に左に仕分けしていくイメージだ。もしかしたら、今右に判断したものは、よくよく考えたら左にいくべきものだったかもしれない。でも、そのときにはもう別のものが目の前にあって、またそれを瞬間的に判断するのだ。スマホをスワイプするように、サッササッサと。


ノーブレーキで下り坂を走る自転車が、どんどんスピードを上げて最後にはブレーキを踏むことすら危険と隣り合わせになるように、速度を上げた判断能力は、ひたすら速度を増していってしまう。そうして、即断的なことに慣れてしまい、じっくり考えて判断する力が衰えてしまう。そんな気がしている。

頭の回転が猛烈に早い人であれば、瞬間的な判断でも誤ることはあまりないだろう。だけど、みんながみんなそんなハイペースで判断できるわけではない。だから、「それ、おかしいんじゃないんですか」みたいな「よく読めよ」案件が発生するのではないかなあと思う。


わたし自身、「あー、脳みそのスピードが速すぎる」と思うことがある。ハイペースで流れていく情報に身を任せていればそうなっても仕方ないのだろう。

一度速まった思考回路は、自分の意思だけでは元に戻せない。そして、元に戻せずにいるうちに、心の余裕もなくしていってしまう。


こんなとき、わたしの手綱を握って「ドウドウ」と落ち着かせてくれるのは、ちょっとした深呼吸だ。

たとえば、電車で席を譲ってみる、とか。またあるときには、車で道を譲ってみる、とか。

一見関係ないことだけれど、こうした判断ひとつで、息が詰まりそうだった脳みそに、一気に酸素が送り込まれる気がする。

そうして、また深く息が吸えるようになる。物事をじっくり考えられる自分に戻る。

脊髄反射でばかり生きていては、損をすることがあるのではないかな。スピードや効率性が是とされる世の中だけれど、そこにばかり意識を向けてしまうと、行き着く先はキュッと絞められた喉と脳ではないかと思う。

深く息を吸って、脳と体に酸素を回して、一呼吸置くことを意識したい。生来短気な人間だからこそ、よりそう思う。


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