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【日常スケッチ】5月18日・渋谷、そして埼京線

仕事に行くため、一ヶ月ぶりに電車に乗った。昨日のことだ。行きの埼京線車内は座れない程度には混んでいて、ただそれでもこれまでよりは空いていると感じた。

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二ヶ月以上ぶりに降りたった渋谷。駅には駅員さんたちが書いたらしい貼り紙が並んでいた。どこから湧いて出たのだろうと思えるほど人の多い駅内も改札も、信号待ちの人で溢れかえっている宮下坂交差点も、人は少ない。内心、(歩きやすっ)と思ってしまった。

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仕事を済ませ、そそくさと駅に舞い戻る。昼食はまだだ。まあ、食べずに最寄り駅までとんぼ返りすることは、特段珍しくもないのだけれど。

帰りの車内は、ふだんでもそう混んでいない時間帯なこともあり、いつもどおりに空いていた。席につき、束の間ぼうっとする。

仕事中にもらった嬉しい言葉を噛みしめる。やっぱり人と人が会って関われるのはいいなあと思う。その一方で、歩くのにも苦労するほど混んでいる街に戻ってほしいかと訊かれると、「いやあ、そこまでは思えないなあ」となる。いい塩梅でいられたらいいのになあ、なんて勝手なことを思っているうちに、電車は赤羽駅に滑り込んだ。


ecuteの多くが臨時休業になっていて、いつも列ができているタピオカ屋も空いている。京浜東北線のホームへと歩きながら、行き先が決まっているのは楽だなあとふと思った。今、世の中の多くは道のない場所に放り出されてしまっている。過去を見て未来を予測することはできても、あたるかどうかはわからない。一つひとつ考えて進まねばならないのは大変だ。

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けれども、楽=楽しいとも限らないのがおもしろい。わたしは子どもの頃、開拓された住宅街の一角に残された雑木林に入り込んで自由にうろつくのが好きだった。道なんかない。行きたい方向に適当に進んで、なんやかやしているうちに出口の住宅街に辿り着く。そんな遊びが好きだったのだ。

「よくわかんないから怖い」と「よくわかんないから楽しい」は両立する。楽はつまらないにも置き換えられる。そもそも、人は怖さを楽しめる部分も持っているのだよなあ。だからこそ、お化け屋敷や絶叫系があんなにも支持されるわけで。ただ、怖さを楽しむためには、大前提として命の安全が担保されていなければならない。分断、と言われるけれど、今の状況もその両者に大きく分かれている。

思考の赴くままにしているうちに、最寄り駅へと辿り着く。ふだんなら学生でホームが賑やかになる時間だけれど、それも今はない。延長された休校も、残すところあと10日余り。来月には、どういった風景になっているのだろう。どこまで変わり、どこまで戻ってくるのか。いい変化はそのまま続けていけたらいい。土曜ダイヤで運行中のバスに飛び乗った。

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