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「シュフと稼ぎ手を交換してみたよ」な夫婦、20日ほど経った所感

夫がシュフ、私が稼ぎ手となってもうすぐ1ヶ月。これまで通り楽しく懸命に仕事に取り組むわたしの生活に変わりはないけど、「家事(と育児)負担が激減する」という大きな変化がありました。


まあ、もう数年前から家事は手を抜きまくりで、育児も本当最低限といった状況であったので、「そんな変わんないでしょ」感は否めないのだけれど。


ただ、毎日のご飯を心配しなくて良くなったのは本当に楽で、脳のリソースにも体力ゲージにも空きができた感覚があります。何なら自炊頻度向上により食費も減ったかもしれない。(夫の成果だけど)


で、1ヶ月ほど過ごしてみて思うのは、「とはいえ結局私は母モードがある程度強いんだな」ということ。育児のメインを夫が担っていても、育児の当事者意識が薄らぐことはないです。やっぱり何かと気にかかるし、子どもに向いている意識は変わりません。

子どももまだまだ「ママー!」な感じなので、関わる時間も特に変化はない気がします。自宅が仕事場のフリーライターなので、夜に取材が入らない限りは子どもと顔を合わす時間量に変化はないんですよね。(とはいえ、時間のリミットが外れたので、これまでガンガンはいけなかった夜の時間帯の仕事も受けられるようになりました、しかもいきなり夜仕事の依頼もありました、なんというタイミングの良さ)

一方、夫はいわゆる「当事者意識」が明らかに強まったように感じます。本人がどう感じているかはわかりませんが、基本のところでいうと「月曜、子どもが学校に持っていくべき荷物」とか、「学校で何をしてるのか」とか、「子どもの交友関係」の把握。これ、今まではほぼ頭に入っていなかったですし、入れようという意識もあまりなかったような気がするし、何ならトラブルが起きても対応するのがわたしばかりだったので、悪い言い方をすれば安全地帯にいて面倒ごとはすべて妻に丸投げ、だったんですよね。

で、今は基本的に夫が対応しているので、必然的に「知って対応しなければならない」んですよ。子どもにも「パパママどっちでもいいことはまずパパに言ってね」と言っているので、この間は突然壊れた水筒を急遽買いに行って疲れ果てていました。わかる、大変だよね。わたしも夏に買いに行ったよ。(どんだけ壊すんだ子どもよ)

と、父子の距離感が近くなっている今日この頃なのですが、とはいえ母子の距離感は遠くならないんだなあ、と思うのです。

これは母のタイプにもよるのだと思う。どうあっても母意識が根強いってことは、下手したら過干渉になる恐れがあるタイプなのかもしれないし。……と考えると、母のわたしが仕事に目を向けて、仕事のストレスを抱えると家庭を振り返る余裕が霧散する(していた)夫が気持ちにゆとりがある状態を保つのは、実は子どもにとってもいいバランスなのかもしれない。

夫は「再就職するつもりだよ」と言っています。したいならすればいいと思う。でも、「心身すり減らしてまで『働かねば』ってなる環境は避けていいんじゃないの?」とわたしは思うし、そう彼に伝えています。「働きたい」のか「働かねば」なのか、彼の本当のところはどっちなんだろなあと思ったのです。

わたしは少なくとも「母としてこうあらねば」から何とか逃れようと四苦八苦してきて、今ようやく楽になってきたなと思っています。「主婦じゃない」と公言もしています。夫が働いていたときには「我が家にはシュフはもういないのですよ、だからみんなでやるんですよ」と言いまくっていました(笑)

夫には父親としての意識をこれからも大切にしてほしいし、勝手に思い込んでいるかもしれない「ねばならない」からは解き放たれてほしい。そして、わたしももっと楽になりたい。

父母が近い目線から子どものことを見て考えられるようになることで、母の気持ちってめっちゃ軽くなるんだな、楽になれるもんなんだなと実感しています。世の父、母をひとりにしたらやっぱりダメなんだと思うよ。(物理的にも精神的にも)

親が楽になると、きっと子どもも楽だよ。仕事のストレスのせいなのか、突然怒り狂い怒鳴り散らすことのあった父と、そんな父に言い返せない母。そんな親から時にとばっちりを受け、「空気読んでこうぜ」と空元気を装えるようになったわたしは、少なくともそう思うのです。

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