午後の車内から
眠いのをがまんして、窓の外や車内を眺めている。
何か物珍しいものがあるわけではない。平日の昼下がり、ぽつぽつと乗客が点在しているだけ。流れていく景色も、特別素晴らしいわけではなく、至ってふつうの郊外の街並みがだらだらと通り過ぎていくだけだ。
子どもの頃も、わたしは乗り物の中であまり眠らなかった。
高速代の節約と渋滞回避のため、両親は夜中や早朝に車を走らせることが多かった。
流れていくテールランプや、朝日が昇る前の、刻一刻と彩りを変える空のグラデーション。はじめて見る場所の景色を眺めるのが好きで、わたしは眠らずに窓に寄りかかっては外を眺めていた。
世の中にはいろいろな場所があって、わたしが知らないところでも、誰かがわたしと同じように今日を生きている。そんな当たり前のことを、ぼんやりと思っては想像を働かせていた。
飛行機にはじめて乗ったときには、雲の切れ間から見える日本地図そのままの地形を見ながら、この下に数えきれない人が生きていることを想像しては、途方もない気持ちになる。そんな子どもだった。
電車を乗り換える。午後の車内は、こちらもやはり空いていて、流れる空気は、どこかゆるゆるとしている。締まりがないように感じるのは、わたしが疲れているからなのか、はたまた一件仕事を終えてきたからなのか。どちらかはわからない。ただ、ラッシュ時の車内で寝こけている人たちと比べ、今の車内で眠っている人たちからは、殺伐感や疲労感を抱かないのは確かだ。……これも、わたしの主観の問題かもしれない。
緩みっぱなしの思考を車内に漂わせ、わたしは二つ目の目的地へと運ばれていく。
空調がほどよく効いていて、ふわりとあたる風が心地いい。それがさらにわたしの頭と心の緊張感をほぐしていくような、そんな気がした。
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