オセロの黒ばかりを見つめてしまう
春は出会いと別れの季節。
今のわたしに、年度末に訪れる別れはほとんどない。それでもどこか胸がざわざわするのは、何年も繰り返してきた出会いと別れが心に刷り込まれているからかもしれない。
出会いと別れ。終わりとはじまり。
オセロの白と黒のように、両者は表裏の関係だ。はじまったものは、いつか終わる。別れるから、また出会うことができる。
どうせなら、出会い、はじまる方にばかり意識を向けられたらいいのに、わたしはどうしても別れや終わりを見つめてしまう。
もう何度も、「失くしたあとに新しいものを得ること」や「終わりのあとの新たな生活」を経験しているくせに、なくすことや終わることに捉われて、心をヒリつかせてしまうのだ。
いつだって、終わる区切りが怖かった。希望に胸を膨らますよりも、終わりに想いを馳せる方が多かった。
それはきっと、失われる場や時間や人が、大好きだったから。大好きで大切だからこそ、センチメンタルになったり悲しくなったりしてしまうのだろうなあ。
年末頃もなのだけれど、どうやら年度末もわたしには苦手なシーズンらしい。4月に入れば吹っ切れるのかな。
桜が満開になっている様子でさえ、これから散ることを想い切なくなってしまうわたしです。
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