見出し画像

逃れたかった、朝

昔、朝は逃れる対象だった。

二十歳の頃、わたしは不眠症で、かつ今よりも精神的なアップダウンが激しかった。

大学に出す診断書が必要になり、はじめて心療内科を訪れた。そこの先生との相性が悪くトンズラしたため病名こそ付けられなかったけれど、躁鬱状態であったと思う。(今もアップダウンは激しめだけど)


加えて親ともうまくいっていなかった。実家暮らしだったため、親と顔を合わせないよう、寝静まったのを見計らって家に帰っていた。

それなりに反抗期はあったけれど、比較的親に従順だった娘の変化に、特に母親は参ったらしい。わたしも死にそうだったけれど、母も倒れそうだったのだとあとから聞いた。


バイトを終えたあと、彼氏の車で一晩中あてのないドライブをした。ふたりで、時にはバイト仲間を加えて。

そうでないときは、バイト先の先輩と飲みに出かけて朝方に帰ってみたり、駅のロータリーで延々と話したりしていた。先輩やバイト仲間、彼氏が夜をやり過ごすのに付き合ってくれたから、今のわたしがいるのだと思う。どう考えても正気じゃない判断をしたし、行動もした。


朝がくるころ、わたしはひっそりと自宅に帰り、シャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。鳥のさえずり、カーテン越しに差す朝日。それらから逃れるようにして、布団に潜り込みようやく眠りにつく。家具で仕切っただけの自室の向こう側には妹が眠っていて、寝息が聞こえた。

部屋の外で母が起き出したのを感じながら、とろとろと夢と現との狭間を行き来する。そうして眠りに吸い込まれていった。



早朝から動く必要のある仕事を始めた。

出立時間は、この季節だとまだ暗い。それでも駅のホームには多くの人がいて、この時間がもう活動し始める時間なのだと感じる。

田端駅で乗り換え、山手線を待つ。日中は数分おきにくる山手線も、この時間はまだ間隔が空いている。ホームで風に吹かれながら、明るんで行く空を何となく見つめた。

「ああ、朝に向かっていけるようになったんだなあ」

ふと、そんなことを思った。朝から逃れなければいけなかったころに書き記した文章には、「現実社会のエネルギーに耐えられない」と書かれていた。夜はやさしい。朝は強すぎる。今のわたしは、朝に耐えられない、と。

それぞれの目的地へと向かう人は、昼間に比べてまだ少ない。早朝の新宿を歩くわたしは、あのころのわたしよりも強くなったのだろうか。


逃れる対象であっても、向かう対象であっても、朝の空気は変わらない。不純物の少ない透明な空気を吸い込み、わたしは現実社会で生きている。


お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。