つらいことよりもつらいこと
つらいときにつらいと言えたらいいのに、と歌ったのはAqua Timezだ。
つらいときにつらいと言うのは思っているよりもむずかしい。つらければつらくなるほど、どんどん言えなくなっていくような気がしている。
言えているうちはまだ平和。言えなくなってからのほうが危うい、みたいな。「つらい」以外でもある話だろう。
別に必ずしも言うべきものではないから、言わなくても大丈夫であれば言わなくてもいい。ただ、言わない選択肢をとったときに気をつけていたいのは、「つらさごと否定する」ことなんじゃないかなあ、なんて思う。
心のなかで「つらいよねえ」と認めていられるのならいいのだけれど、「こんなこと、全然つらくない。つらいなんて思っちゃいけない」となると、心が歪む。自分で自分を否定するのって、事態を悪化させてしまうんだよなあ。
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とある取材先で話した方が、「つらいことより、つらいことを言えないことの方がつらいと思うんですよね」と話してくれた。
だから、「つらい」を言い合える職場環境づくりを大切にしているのだという。明らかに様子が気になる相手には、自ら「こんなつらいことがあって〜」と話しかけていくことで、心のガードを緩められるよう心配りをしていると話してくれた。いいな、と思った。きっと周りのひとたちは、彼女のそばで安心していられるんじゃないかな、と。
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つらいものはつらい。誰だって晴れの日ばかりではないのだから。
つらいことをつらいと言うこと自体は、責められるべきものではない。言えることで気持ちが切り替えられることもあるし、口にすることで受け容れられることもあるだろう。受け容れることからはじまるものもある。言える環境は、とても大切なものなのだ。
弱さや暗さは、否定するよりも受け容れることの方がむずかしい。だから、否定せずにすっくと立っているひとを見ると、強さやすがすがしさを覚える。そして、同時に安心感も覚える。自分の弱さを受け容れられるひとは、誰かの弱さを否定しない強さをも持っているように感じられるから。
自分をネガティブな方に追いやる「つらい」ではなくて、前を向くために受け容れる「つらい」もある。わたしはどうにも下手で、ふたをすることで何とかしようとしてしまう。自分の感情と、うまく折り合いをつけていきたいなあ。
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