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“引き受け癖”という輪郭
「人が嫌がることもやったで賞」
小学校卒業前にもらった賞の名前だ。クラス全員が、クラスメートひとりひとりの強みや長所を考えて、その中からひとつを表彰するという企画だった。
学校祭りでやったお化け屋敷。誰もやる人がいなくて「やるよ」と言った口裂け女。当日は目一杯口紅を引かれて爆笑されたっけ。(失敬な)
卒業前の最後の参観、学年発表会でやった劇。こちらも、ナレーションだけでよかったのに、誰も手を挙げなくて決まらなかった老婆役を引き受けた。
「わたしがやることで困らずに済むならいいよ」というスタンスだった。そんなスタンスで、学級委員を引き受け、最後には生徒会役員までやっていた。ピアノが弾ける子はほかにもたくさんいたはずなのに、合唱の伴奏が毎回わたしだったのは、わたしなら「うん」と言ってくれるだろうとみんなに思われていたからだろう。
別に、そのすべてがみんなに嫌がられている役回りではなかったけれど、賞の名前が「嫌がること」になったのは、敬遠されていることも「いいよー!」と引き受けていた姿が印象的だったからなのだろう。
本当に心から嫌なことを無理やり引き受けていたわけではないから、別に褒められるべき話ではないと思う。先生や友達からもらう「ありがとう」が嬉しくて、すべての疲れが吹き飛ぶ気がしていた。
小学生頃からこんなスタンスなのだから、大人になってもつい「いいよ」と答えてしまうのは、もう仕方のないことなのだろう。
ピンチヒッターの役回りがやってくると、つい燃えてしまう。あとから冷静になって「やってまった……」となることもあるのだけれど、それでも「やってやるぞ!」という気持ちになるのも事実だ。それは、子どもの頃から何も変わらない感情だなあと思う。
ええと、何がいいたいかって、仕事が雪だるま式に増えました。(笑)
困ったとき、「卯岡さんならやってくれるかも」と思い浮かべてもらえることは、嬉しいことのひとつ。クラスメートたちが認めてくれた長所でもある、わたしを形作る輪郭のひとつなのだろう。月末にかけて、がんばります。
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