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子どもがほしかった理由だとか、非常時に感じる自分の強さだとか

「脆い」とか、「弱い」とか、「繊細」だとか。そんな風に、言われて育った。

自分でも「打たれ弱い」とは思っていて、メンタルはお世辞にも強靭とは言えない。


もともと、早く子どもを産みたかった。もとは産みたい理由に明確なものなんかなくて、単純に「子どもが好きだから」といった程度のものだったと思う。子どもを産み育てることについての責任、なんてものについて、そこまで深刻に考えてはいなかった。(何にも考えていなかったわけではないけれども)

ハタチ前後も「産めるものならば、早めに産みたい」と思っていた。その理由のひとつは、「授かれるかどうかもわからないから、早めに動きたい」。そして、「自分の体力に自信がないから、若いうちに産んでおきたい」だった。さらに、もうひとつあったのが、自らを背水の陣に追い込みたかった、だ。



何度かnoteにも書いているけれど、わたしには希死念慮がある。濃度は濃くなったり薄くなったりしているけれど、かれこれもう、15年以上の付き合いだ。

ただ、どこかで「そうはいっても、死んじゃいけない」という思いもある。親しかった人を自死で亡くしたことが二度あって、そのときに自分が経験した感情、影響からより一層そう思うようになった。自死した当事者のことは、どうしたって責めることはできないのだけれど。

ハタチ前後のわたしは、希死念慮が強いことのほうが多かった。わたしには、逃げぐせがある。だから、本当に本当につらい、ダメだと思うことがつづいたときには逃げてしまうと思った。そして、死にだけは逃げられないようにしなければ、と思った。


「強く自分があれるように、子どもを産みたいと思う」

そう、腐れ縁だった男の子に話したとき、彼は「そんな理由で子どもがほしいって言ってる女、はじめて見たわ」と笑った。

でも、当時のわたしは本気だった。子どもを育み、守りつづける。その一点が、わたしを生きることに立ち向かわせつづけると思ったのだ。


そんな理由で産み落とされたと知ったら、子どもたちは「勝手だ」と憤るかもしれない。「産んでほしいなんて言ってない」と言いたくなる日がくるのかもしれない。わたしと同じように希死念慮に取りつかれる日がきたら、「何で生まれてきたのか」と答えのない問いに苦しむことになるのかもしれない。


できるならば、「生まれてきてよかった」と思える日が多くあるような、そう感じることのできる心を持てるような、そんな子ども時代を与えたい、とは思う。でも、結局はどれもこれも、親のエゴだ。彼らが苦しむことがあったとき、その感情のはけ口になったり、味方であり続けたりするくらいしか、結局はできないのだと思う。



仕事で、こんな記事を書いたことがある。

「母は強し」「母は太陽であれ」を言われつづけたことについて、そして産前産後のわたしの「強さ」の変化について書いたものだ。

今でも、「母は強くあれ」には疑問を感じる。母だって人間だもの。むしろ、親の弱さや脆さ、至らなさを面と向かって受け入れて、「ごめん」と子どもに向き合えるのもありなんじゃないか、と思っている。親がそうした姿を見せることで、子ども自身が、自分の完璧じゃないところを必要以上に否定せずに済むのではないか、とも。


ただ、思う。わたしはきっと、やっぱり母になって強くなった。

正確には、強くなったのではなくて、子どもたちに強さをもらえたのだと思う。もともと、誰かのピンチには反射的にシャンとしようとするタイプだった。

自分のためにはがんばれなくても、他人のためにはがんばれる。だから、子どもたちのおかげで強くいられている部分は、少なからずあるのだと思う。

これまでだったら揺らいでいただろうことが起きても、壊滅的なことにはならずに済んだり。ほぼゼロ状態でも、とりあえずは生き延びてこられていたり。少なくとも、生きている。生きていられている。



子どもの存在により、自分の土壌改良工事が成されたのだろう。そして、仕事を始めたことで、基礎工事が行われたのかもしれない。

相変わらず、メンタルはひ弱だ。感受性が強いのか、自己愛をこじらせているからなのか、驚くほどにメンタルがぐらぐらになったり、不調をきたすことも少なくない。

でも、それでも生きている。匍匐前進になることもあるけれど、何にせよじりじり前に進もうとはしている。「何とかできないか」「どうしたら少しでも良くなるのか」を考えて動きつづけようとしている間は、だからきっと、わたしは大丈夫なのだ。


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