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◯◯の日。

本日4月22日は良い夫婦の日らしい。

ポッキーの日など、いつの間にやら様々な◯◯の日が設定されていてなかなか覚えきれない。

そんな私でも覚えていられるのは、母の日、父の日である。

これは子どもの頃から馴染みのある◯◯の日だと思う。

ドカ弁やちゃっかりが保育園に通い始めた頃から、ワイシャツ姿のスナフキンの顔を描いたペン立てや、私の似顔絵を描いた紙のエプロンなんかを父の日、母の日にプレゼントされるようになった。

仕事帰りに子どもからプレゼントされるささやかで幸せな贈り物だったが、とても嬉しく癒される日だった。

ところがある年から父の日や母の日は廃止になった。

新しい副園長の考えで、母の日と父の日の間くらいの日に「家族の日」というものを設定し、カーネーションやネクタイの絵ではなく、好きな絵を描かせた作品を「家族」に渡しましょうと子どもたちに指導したのだった。

好きな絵となると、子どもたちはなんでもありなのでプリキュアの絵を描いた紙のバッグとか、ピカチュウが描かれた紙のメダルとか何が何やらで意味が伝わらない工作が「家族の日」に手渡されるようになった。もちろん感謝の言葉を書いたお手紙もナシ。

これには驚いた。

両親が離婚している家庭の子どもに配慮したようなのであるが、こんなことが本当の思いやりなのだろうか。

どの子どもにも父がいて母がいるのである。

父の存在も母の存在も無かったことにするのは正しいことなのだろうか。

「家族の日」は悪いことではないが、そこにすら意味を持たせないようにするならば、いっそ何もしない方がマシなのではないかと感じたことを覚えている。

行事での園児代表の挨拶、発表会での劇の主役など、それら全てを両親が揃っている家庭の子どもにさせることをやめさせ、シングルの家庭の子どもにあてがうことを徹底したのもこの副園長だった。

この副園長が就任する前に副園長だった方が同じ系列の保育園の園長先生になられたのであるが、それまではまったく異なった指導をしておられたので戸惑った。

そしてつい最近、園長先生になられたその方に本当に久しぶりに再会したのである。

「ドカ弁ちゃんもちゃっかりちゃんも大きくなったでしょうね〜!皆さんお変わりない?」

優しい笑顔は昔と少しも変わらず嬉しくなった。

「ご無沙汰しております。先生、今だから言えるんですけれど……。」

「家族の日」を設定した副園長のことについて少し話してみたのだ。

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