見出し画像

ウクライナの戦争に思うこと

最近、眠りに生きる子供たち(2019年、ジョン・ハプスタ、クリスティン・サミュエルソン)というドキュメンタリーをNetflixで見た。

スウェーデンに逃れてきた難民の家族のうちで、大きなトラウマを抱えてしまった子供たちが、何ヶ月も昏睡に近い状態で眠り続けてしまうという。その病状は「あきらめ症候群」と呼ばれ、世界中で同じ症例が発見されているそうだ。

ウクライナでは今、大国の独裁者による殺戮と破壊が進行している。
これから多くの難民たちが、スウェーデンに限らず、欧州全体に流れ込むことになるだろう。多くの子供たちが、祖国で戦争による深いトラウマを負い、それを癒やす間もなく、言葉も文化も歴史も違う異国での、難民としての生活に放り込まれることになる。

症状の始まりは、口数が少なくなる。眠っている時間が長くなる。そういったものが多いという。それからは、食事もせず、起き上がらず、お腹に氷を押し当てても、口に水を含ませても、ピクリとも反応しない。ただ、穏やかな寝息を立てて眠っている。

一般的に子供は、母国語以外の言葉を覚えるのが早い。だから彼らは、移住先の言語を完全に理解して、ふとしたすきに両親がなぜこの国に難民として逃げて来なければならなかったかを知ってしまう。両親が子供たちには隠していた、痛ましい暴力と陵辱、世界の理不尽。

外国人が母国以外の国に住むには、ビザが必ず必要になる。ビザとは、外国人であるお前を、この国で受け入れてやる、という国からのお墨付きのことだ。
それがなければ、そもそもその国における長期間の滞在を許されないし、労働することも不可能だ。すべての国はまず第一に、母国人の生活を守らなければいけない。だから、外国人が外国でビザを得るには、申請者が国にとって利益になる証明、またはどうしてもこの国にいなければいけない理由を求められる。(私はどちらも持っていないが、なんとなくドイツでビザをもらって生きてこられた)
それは母国にとどまれば、明日の命すら危ない難民でも、同じことだ。

不思議なことに、過酷すぎる現実から逃げるように、目覚めなくなってしまった子供たちは、多くの場合、家族が安定したビザと、現地での職を得られた後に回復していくのだそうだ。
眠りながら、子供たちは繊細に、両親の安堵した声や、明るい将来の展望にやわらぐ家庭の空気を感じ取るのだという。その安心感が、彼らを現実に引き戻す唯一の鍵なのだ。

ふるえる小鳥のにこ毛のような、健気ではかない、だからこそくずれやすい感受性で、子供たちは世界を受け止めようとする。他者の無条件の愛しか、たのむことを許されない、か弱い存在としてこの世に生まれ、紛争や弾圧といった、愛とは真逆の破壊行為を眼前につきつけられた子供たちは、自分を守る手段として、世界を遮断し、ただただ眠るしかない。

作品の中では否定されていたが、この病が詐病であるという見解もあるようだ。ビザがどうしても欲しい両親が、外国人局の職員の同情をひこうと、子供に病気になるように吹き込んでいたという報告があるらしい。
そういった事例は、実際にあったのだろう。
だが、その事実は、子供たちに発生する「あきらめ症候群」が詐病であることの証拠にはならない。
直接的な言葉ではなくとも、両親が発する癒やしようのない悲しみと絶望が言外に子供に伝わり、「自分が病気になれば、両親にビザが下りやすくなるのかもしれない」と考えた結果、眠りの世界から帰ってこれなくなってしまう状況があるのではないか。

家庭で起こるサイコホラーを描かせたら日本で右に出る者はいない漫画家、山岸凉子のコスモス(1987年)という作品がある。

浮気をし、家に帰ってこない夫をもつ妻は、自分の息子が病弱であることを嘆いている。なにかにつけて息子を心配する妻は、はたからみると少し過保護だが息子想いの母親である。
息子の喘息がひどくなると、妻は夫が仕事中であろうと会社に電話をかけ、「息子が苦しんでいるのに、休みも取れないなんて」と騒ぐ。そうすると夫は、外聞の悪さも手伝って、家に帰ってくるしかない。
そうして母親は、事あるごとに、息子に言う。「そろそろあなたの喘息が心配」と。そうすると、なぜか息子は胸が苦しくなり、寝込んでしまう。息子が病床に臥せっているときだけ、妻は夫を家庭に呼び戻すことができるのだ。

子供は、無力である。そして純粋で、悲しい。どうかすべての子供たちが、幸せで、健全な周囲の愛に包まれて育ってほしいと心から願う。

どんな独裁者にも、子供時代があったはずだ。破滅と憎しみしかもたらせない大人たちが執着する名誉や歴史観、領土や利益を守るために、犠牲にするものの、どうしようもない小ささ、その脆さと、無価値さを思う。

弱く力のないものこそが、この世で一番守るべき、価値ある美しいものなのに、力を持った大人たちは、自分たちにもそんな時代があったことを忘れてしまう。そこに人間の不幸がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?