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高卒の愚痴【躁鬱日記】(文章が荒れています)

私にある救いは、相談を受けてもらうことでも優しくしてもらうことでもお金を援助してもらうことでもなく、こんな意味のわからない文章をあなたの脳みそに入れてもらうことだと思う

久しぶりに手首を切りたいほどの怒りに苛まれて電車内で泣いた。怖くて周りを見ることができなかった。きっと全員私のことをキチガイだと思った。隣に座っていた女の人は逃げるようなスピードで立ち上がって降りた。

食器を買わないとと思ったから。店に行って持ち上げるたび持ち上げるたびカチャつって音を立てて、頭の中ではガッシャーーンと爆音で割れる皿の映像が流れる。もう私にはお皿を買うこともできないんだと思った。プラスチック製を探して、「軽量」って書いてあるやつを持ち上げたら、それすら。重さと音が怖くて、それにイラついて余計に、全部叩き割りたい欲がよぎって、店内の狭い通路を歩くのが怖くて情けなかった。泣いて暴れたかった。

強がっていたものを正直に考えた。
私は大学に行きたかった。奨学金とか学力とかそんなことじゃなくて、脳みそがどうせ鬱になって辞めるからお金の無駄だから行かなかった。でもそんなん言ってもだれも理解できんだろうし、「きちんと通院して服薬すれば」みたいな何もわかってない人のズレた助言を受けたくないから、すぐにでも働きたいみたいなしっかりした人間的なフリをした。あと、同世代と共に過ごしたり、教室の閉鎖感のなかで90分過ごすとか、そんなことができないから行かなかった。行きたい理由の方が少ない。でも私は高卒になりたくなかった。ボランティアに参加して目標の業界目指して就活して、あと髪の毛をピンクに染めていたり、学生団体として活動していたり、そんな大学生たちと話して、みんなすごくて、素敵だと思って、私もそんな素敵な人になりたかったと思った。私は人生をなんでもかんでも躁鬱のせいにしてきた。でも自分は、二十歳前傷病も障害年金も受け取れない立場の人間だった。国は私のことを可哀想だと言わなかった。怒りをぶつけそうになる。それを我慢する。その我慢は誰にも届かずに、褒められもせずに、私の中で終結する。死にたくなる。意味がわからないから。人に迷惑をかけないために苦しんでいる。死んで私が居なくなった方が早い。死んだら迷惑をかけなくて済むから。電車の中のキチガイにならなくて済むから。私は素敵な大学生になりたかった。私は、「幸せそうだから」というたったそれだけの理由で車両の女子大生を切りつけた男の気持ちも、晴れ着に墨汁をかけてまわった男の気持ちもわかる。

私はダサくて好きじゃない、言い訳ばっかりで。
素敵な人になりたかった
でも
大学についてこんなふうに
痛みを伴いつつも正直に思考できたことが成長だと一瞬思った
俯瞰の癖きしょ

最初に書いたことが全てです

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