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躁転

お恥ずかしながら元気いっぱいである。

前回までのnoteは、
「おいおいこいつ不安定が過ぎるんじゃないか?」
といった具合で、躁鬱の「鬱」部分、マイナス感情や、内なる癇癪心に苛まれて苦しそうな様子だったが、今めちゃくちゃ元気である。
これがもう恥ずかしいのなんの。

鬱にしろ躁にしろ、相容れない極端な感情がお互いを恥じていて、私は永遠に自己否定の渦から降りることが出来ない。
意味わかんなっ

過去の私が死にたくなるこの現象が
今の私からすれば
「意味わかんなっ」 
とか
「むずっ」
ぐらいで済むことになる。
意味わかんなっ

夜中にじっとしていられず、30分歩いて漫画喫茶に行く。道中、思わず駆け出したり、見境なく歌い出したりする。
(しかもなかなか元気の良い歌詞)

誰も見たことのない景色だけを見る
俺は子供の頃からずっと天才でいる
1人空高く上空の上で生きる
成し遂げて死ぬ
成し遂げて死ぬ

Higher / Mall boys

(こんなん歌いながら走ったり、鬼の早歩きをしている人間、私だったらめちゃくちゃ怖い)

1人で塞ぎ込んでいる鬱期には
他人の歌声や、破裂音に近いような緩急の鋭い音楽は怒鳴り声のような不快感があって聞き耐えないから、この音楽を聴いている時点で心境に大きな変化がある。

なんとかコントロールできればいいのに。
これをなんとか。
精神科に改めて通い直そうかとも考えるが、
精神薬は怖い。

私は精神薬を2度も自己中断した。
1度目でもう飲まん!と覚悟を決めていたが
心配してくれる周りの人間の声を聞き入れて
仕方なしにもう一度飲みだした。
飲んだ状態、飲んでいない状態で、
冷静に自分を比較しようと思っていて、
2度目に断薬したときに
「あれ?脳みそが賑やか」、と思った。

無意識のうちに
空想を始めたり、
誰かに語りかけたり、
未来を考えたり、
人の気持ちや、
みんなは今
どこでどんなことをしているんだろうとか、
そんなことがバーーーーーーーっと
絶え間なく脳内で流れていて
「そういえばこんな感覚だった!」
と思い出した。
薬を飲んでいた間は、これら全てが無くなっていたのかと恐ろしくなり、自分らしさや、生まれ持った自分の身体(脳)について改めて考えるキッカケとなった。
しかも当時、脳内は静かであったはずなのに、行動が活発で攻撃的になっていた。
(当時は、その薬を飲んで“逆ギレ状態”になってからでないとアルバイトに行けなかった)(精神薬の悪用である)

どうすればこの波を操縦できるのか。
薬無しで。
多分無理!
だって無理じゃないなら病気じゃないし。

ただ、
めちゃくちゃ繊細な感覚で
もしかしたら…みたいな雰囲気だが
『自分の中のGOサイン』
が隠されている気がしている。
今なら躁転して大丈夫。
もうそろそろ鬱になっても大丈夫。
ギリギリまで、「そうじゃない」でこらえることが出来て、気を弛めた瞬間にその極端に振り切れるようなイメージがある。でもそのGOサインは、社会や社会に生きる自分が押すボタンではなくて、「面白いかどうか」を見極めるもっと根幹に近いところが権限を握っているボタンな気がしている。

躁の“敵無し感覚”が見せる虚言かもしれない。

でもそんなことを言い始めたら
私は虚言以外のモノを言うことができないので
全部本気の
全部ガチの死にたさと生きたさ
ということにしたい

私は面白い人生がいいから
このボタンを押している
押されている
社会を置いてけぼりにしている




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