「レベッカと日本の女性の社会的地位」

夕食を作る時にイヤホンで音楽を聴きながら気合いを入れる時があって、特に疲れている時は「raspberry dream」から始まるレベッカのこのベストを選んだりして、今日はそんな日でした。

以前から思っていたのですが、昭和の時代の最後において、シンガーとして時代を変えたのはNOKKOではないか、いや、女性の地位や自意識が変わっていく分岐点にそれを具現化したのは彼女ではないかと、今日はあらためて考えていました。

彼女の歌は徹底して一人の少女の自意識を通した物語、いや、物語の姿を借りた少女の自意識です。
子供が大人に変わっていく分水嶺、若さだけが感じることのできる拙さ、脆さ、虚勢、過剰、未来への憧憬、怖れを知らない無謀さ、そういった諸々が溢れかえる世界。
NOKKOが登場する以前に、そのような女性のリアルな姿を描いたシンガーは日本にはいませんでした。

当時マドンナがブレイクして、レベッカがそのアティチュードやファッション、ナイル・ロジャースのサウンドなどにモロに影響を受けたのは事実です。
しかしそれはあくまできっかけで、その後に自身のオリジナリティを確立していくのです。
ブルース・スプリングスティーンの影響を消化してアーティストとして成長した佐野元春がそうだったように。

2枚に至るこのベスト盤には、セクシャルな魅力を渇望する少女、すれ違う若い恋人たち、同棲を始めることで自由と不安に葛藤したり、万引きによって自己承認を得ようとしたり、夢を求めながら生活に疲れ果てる若者の悩ましい青春、性暴力の被害から自死を選ぶ悲しい女性に至るまで、現代に通じるテーマでもある多様なストーリーが充満しています。
30年以上前のあの時代にあっては驚くべきことです。

J-popにおいて、女性が(自分が)男性(恋人)を「君」と呼んだ浜崎あゆみが登場したことで、(この国の)歌の世界において初めて男女が対等の地位になりました。
レベッカはその間を繋ぐミッシング・リンクだったのだと、今だから理解できます。
NOKKOは個人的な視点で女性のリアルを掘り下げました。
男女の社会的地位の歪みを意識したのではなく、自分がどうありたいかを希求することで、女性の普遍的なテーマを描くことになったのです。

一つだけ違うのは、僕らが若かりし時代、レベッカが若者の心を掴んだあの頃は、多くの人が未来に希望を持っていた、持ちたいと望んでいたということ。
特別なことは望まず、ただただ安心できる社会であって欲しいと願わずにはいられない今の日本との違いを思わずにはいられません。

ままならない人生であっても明日はきっといいことがあると信じていたい、そう歌われるこの曲で、NOKKOはジェンダーの垣根も越えていると僕は思うのです。

Maybe Tomorrow (Nippon Budokan Last Live version):

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