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「堆肥の山」

昨日noteに上げた詩は、今まで公開してきた中で一番古いもので、かつての創作ノートを開いて援用しました。

そのノートは長らく散逸したと諦めていたものでした。
18歳から23歳ぐらいまで詞(詩ではなく詞のつもりでした)を書きなぐっていた若き日の記録は、昨年転居の際に発見することになり、その時はかなり驚きました。

しかしこれが、とんでもなく稚拙かつ噴飯もので、全部墓場まで持っていかねばならぬ代物です。
若さとは恐ろしいもので、当時はそんな作品に自信を持っていた訳で、ほとんど人に見せる機会がなかったことに今になって安堵している体たらくです。

小説は22から24まで思索を重ね、これもまたとんでもない。
未完の作品が堆肥の山のように積るだけで、勢いまかせでどうにもままならない。

33で再開して、初めて300枚の中篇を2本仕上げました。
この頃から、ようやく人に見せても恥ずかしくないクオリティに達しました。
それから長らく中断していて自分でも諦めていたのですが、2年前に遊びの気持ちでFacebookに連載を始めたことがきっかけで、それまでのブランクが嘘のように恒常的に書けるように至っています。

33で本格的に執筆を志した時、もう小説は読まないと決めました。
今はほんのたまに読みますが、やはりその考えに変わりはありません。
誰にも影響を受けたくないし、ジェラシーも持ちたくないのです。

何かを書きたいっていうのは自意識の垂れ流しだという気持ちをずっと抱えながら、それも仕方なしという開き直りもあったりで、結局書いてしまうことに変わりはないのです。

おびただしい堆肥の山は、間抜けなる悪足掻きの轍であり、若さとは人生の恥のかき捨てであることを思い知らせてくれます。

継続が力などととても言えた義理ではないけど、誰にでも希望はあるってことなんでしょうかね。

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