見出し画像

2024年3月14日 ペーパードライバーの後悔


残りの人生でやりたいことって何かしら、
と考えていると、
ある後ろめたさを、解消したいということに気づきました。

実は、運転免許をとってからずっとペーパードライバーなのが後ろめたいのです。
後ろめたさなど感じる必要はないのかもしれませんが、「取得したのに使えていないのは大人としてどうなのか」と折に触れて思います。
ドライブをしたいという気持ちはありませんが、
行きたいところに、公共交通機関なしで行けるのはいいなぁと思います。
そして、今朝のように、電車で隣の席にベビースモーカーとわかる体臭の人がいると、その思いは強くなります。
マスクをしていても、臭いがわかる体質なのは、本当に損です。
こういうた時、運転免許をとった後、
無理しても車に乗るようにしておけば良かったかも、と思うのです。
それなら、うまいとはいえなくとも、運転にこれほどおそれを感じなかったでしょうし、
何より、自家用車で出勤できます。
煙草の残り香に苛まれることはない通勤はずいぶん楽だろう…と夢想してしまいました。

どうして運転免許を取得した後、
運転しなかったのだろうと思い返してみました。
仕事を始めた時に、
念のためと思って、教習所にイヤイヤ通い、苦痛を感じながらも運転免許を取得したのです。
そう、免許取得時にも苦痛はいくつもありました。
まず、自分の不器用さにうんざりしていました。
次に、五感の問題があるので、知らない人と車という密室に乗り込むことが苦痛でした。
さらには、最初のアンケートで、教習担当者のタイプに「やさしい」をつけたのが最大の間違いでした。
穏やかなやさしいタイプの教習担当者を当ててくれたのですが、これが絶望的に合わなかったのです。
穏やかなやさしいタイプの何が合わなかったのかと言いますと、そのやさしさ、
こちらの気持ちを妙に伺ってくる所が、余裕ゼロで運転している感覚過敏持ちには、合わなかったのです。
必死で運転しているところに、「あの…」のような切り出し、
何も言わないけれどじっとこちらを注視しつつ眉を顰めるその感じ、
言葉にはならないけれど不安を感じているであろう雰囲気、
しかしどういうのがこの人を傷つけないだろうかと探る雰囲気、
全てを感じるので「(無音だけれど)うるさい!」となってしまったのです。
運転に集中したいのに、
教習担当者からにじみ出る感情や反応が気になってしまって教習を受けるごとに疲弊していきました。 
一度どうしてもその教習担当者と予定が合わず、別の担当者になったことがありました。
最も合わないだろうと考えていた警察退職者らしき、偉そうな男性と路上教習をすることになったのです。
絶対に喧嘩になるだろうと思っていたのですが、この偉そうな担当者を乗せた時の方が、路上教習の方は、うまくいったのです。
まず、この人、偉そうな教習担当者は、こちらの反応に全く興味がありませんでした。
良い反応をもらおうという、意図も全くないようでした。
こちらが拍子抜けするくらい、どうでもいい話題を、緊張感のない声で、振ってくれます。
「何してる人なの?」「学生じゃないよね」「へー(興味なさそう)」「あ、そこ、右ね」
その当時、偉そうな教習担当者は、天下りの退職警察官だから、やる気がなく適当なんだろうと感じたものです。
しかし、この雑談が、緊張をかなりほぐしてくれ、比較的、運転がうまくいったのでした。
偉そうな担当者も内心ハラハラしていたのかもしれません。
今となってはあれはあれで完全なるプロの仕事だった…ということを思い出しました。
あのドライな反応が運転に集中するには、ほどよかったのです。
やさしいということは、いいことなのですが、「態度や声音や言葉は、やさしいのに五感が感受する情報は異なる」と頭が混乱するのです。
しかし、こうしてつらつら書いてみるとやっぱり運転には向かない気質な気もしてきました。
走行している間の情報が多すぎて、
その情報を受け止めながら、運動を遂行し続けるのは難しいかもしれません。
いや、隣に人が乗らなければ、臭いも声もしないから、もう少しマシになるでしょうか。運転はどちらかというと、視覚と触覚がメインでしょうから。
ペーパードライバー講習をやっている教習所は見つけたので、行ってみようか迷っています。
昔よりより、鈍臭くなっているのは確実で、行ってもひどく落ち込むことは確実です。
怒られにいくのにお金を払う…かなり特殊な趣味になってしまいます。
しかも、すぐに乗らねばならない事情があるわけでもなく、
車を買ったわけでもないのです。

身内は、感覚が過敏で不器用なのを知っているので、「運転はやめておけ」という人ばかりです。
理解のある友人ですら「無理してならなくていいじゃない」と言います。
まあ、そうなんです。
運転すると交通事故で誰かを傷つける可能性がゼロからかなり高くなるわけで、
そんなリスクを背負う必要があるのだろうか、というのは確かです。
でも、この後ろめたさから解放されたい気持ちがあるのです。

どうしたものかなぁ…、
ペーパードライバーの後悔は続いています。


気に入ったら、サポートお願いします。いただいたサポートは、書籍費に使わせていただきます。