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「身の丈」にあった生活 #41

東京の賃貸にいくらかけるべきなのでしょう。

「身の丈」にあった生活をしないといけないと痛感しつつ、「痛勤」したくなさすぎて場所は妥協しきれず、家賃の上限をどう定めればよいのかわからない。家賃更新は来年の4月なのですが、もしそれまで今の彼と付き合っていたら一緒に住むとか、もしくは彼のライフスタイルが夏には変わりそうだから(まじ?って感じでもあるが)そのタイミングで彼はどうするかとか、そんな話をぼんやりとしているのですが。

交際相手については、労働でなくても何らかの形でお金を増やすor稼ぐなどして、自分と同等程度の収入レベルであることを望んでおりまして、そのことは伝えているのですが、それが達成できないなら別れるのか?いやそういう話なのか?相手の経済力に過度な期待をしているのか?そもそも自分の「身の丈」は?などといろんな自問自答をしています。

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この記事面白かった。ちょうどこの3連休に「カジサック」として活動しているキングコングの梶原氏の動画をYouTubeで見ていた。自分でみたい企画を選べるし、つまらなかったら変えれるし、ガヤガヤしすぎていなくてちょうどいい。本当に最近のテレビはしんどい。自宅に帰って皆テレビをつけてます?

あとこの記事も面白かった。

https://digital.asahi.com/articles/ASMDM3302MDMUPQJ001.html

小さい頃から枠をはみ出さないよう「おとなしい無害な人」として振舞うことに努めていた村田さんが、大人になってから周りからプラスの意味で「狂っている」という受容の言葉をかけてもらって、自分が殺していた部分を「愛おしい」と言ってくれる人が現れたことへの救いについて語る記事。

 「村田さん、今は普通だけれど、テレビに出たらちゃんとクレージーにできますか?」 深夜の番組の打ち合わせでプロデューサーさんにそう言われたとき、あ、やっぱり、これは安全な場所から異物をキャラクター化して安心するという形の、受容に見せかけたラベリングであり、排除なのだ、と気が付いた。そして、自分がそれを多様性と勘違いをして広めたことにも。

引用部分は、雑な人間によってテレビというメディアで悪い形で利用されてしまったという話で辛くなった。

あ、この辺りの話は、M-1後のラジオで、オードリーの若林が「多様性とツッコミは相性が悪い」と話しているのを思い出しました。「何か常識が強い時代の方がツッコミって強いけど……なんか多様性とツッコミって食い合わせが悪いから」というような発言があった。

自分が嫌いなところを面白がってくれる人って本当いいよねえ。私は自分をありのままにさらけ出して、嫌がる人は去ってどうぞというスタイルなので、友人でいてくれる人や、それを恋人として受け入れてくれる人は最高!と思っている。私はお腹が減ると不機嫌になるのですが、先日、その豹変ぶりを彼が笑ってくれて楽しかったです。

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>最近まったく楽しめていない虚無の更新だったのよね。

同業の友人がSNSを仕事アカウント化しすぎて、インターネットのプライベートがないって嘆いてたの笑ったな

>恋愛を優先しすぎた人生で友達が少ないんだよね

多いイメージ!

>母に関してはいろいろ田舎帰りのストレスを抱えてるもんだから、無言ですごい勢いで食べ物をかっ込んでさ、「ゆっくり話しながら食べようよ」と言っても、そんなに話すこともないわけで、なんだか泣きそうになった。

映画や小説のワンシーンのようだと思いました。確かに話すことなくなってくるよね。前にも話したけど、家族恋人と話すことない問題。

>とにかく関連が出てしまいそうな話題を避けるのに必死で、なかなかそれがストレスだったんですが。

私も友人の話は結構するんだけど、親は一切水向けてこない。「察し」って思われてるのかなw

>そこから先の結婚にまつわる云々には特段意欲がないので、それはそれで困ったことだよね。

もう勢いなんだろうね。


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