不動産賃貸、IT化の壁


「お客様の個人情報を確認した結果、管理会社が指定する申込基準を満たしておりません。」

「誠に申し訳ございませんがーーーー」


審査落ち。非情な通告を受けた僕は言葉を失った。これで2回目だ。

原因を考えても心当たりが全くない。
債務はない。年収だって6000万円。一般人と比べて何倍にもあたる年収だ。

「あれ...?おかしいな」と不動産屋も首をかしげながら
「賃貸住宅個人番号」を入力したiPadを見ている。

近年、不動産業界の事務書類のDX化が進んできた。
内見予約から契約まですべての書類がIT化されてしまった。

申し込みする際には貸主もしくは管理会社指定のwebサイトに
「賃貸住宅個人情報」を入力する。

「賃貸住宅個人情報」通称「賃個情(チンコジョウ)」と呼ばれる個人IDには
過去のその人が住んだ賃貸住宅履歴や収入、勤務先、滞納状況までありとあらゆる
情報が記録されているものである。

このチンコジョウを貸主(大家)、管理会社、保証会社が共有することにより、
過去に事件や事故履歴があったIDを入居させないようにできることはもちろん、
借主や客付不動産会社も事前審査に関する書類記入やFAX、個人情報などの提出物
が不要になるため、大幅な時間短縮、事務コストの削減となるというものだ。


「もしかしてお客さん、以前のお住まいで何かやらかしました?」

と訝しげに聞いてきた。理由はわかる。
収入も十分、滞納もない状況で審査が通過しないのは
何か僕の「チンコジョウ」に問題があると踏んだんだろう。

しかし心当たりはまったくない。
「え?いや、僕は特になにも...。」と言うしかない。

そう、僕クラスのエリートは一般常識も兼ね備えている。
友人らを招いてワインを飲むことはあっても騒ぐことはない。
近隣に迷惑をかけるようなことは一切なかったはずなのに。

「そうですか...考えていてもしょうがない。違う家、探しましょう」
そう、納得はいかないが「貸主の審査」「保証会社の審査」同様に
「チンコジョウ」がNGだとなにも前には進まないのが令和の賃貸事情なのだ。

不動産会社に言われるがまま次の物件を見学に行くことにした。

外観が見えてきた。築8年のマンション。
駅から8分。平坦な道でコンビニも近い。近所に公園もある。
なかなかいい立地とビジュアル。

僕は実は部屋の中はそんなに気にしない。
平日は仕事が遅いし外食がほとんどだし。
妻はレスリング代表合宿で拠点は愛知だ。

寝室だけしっかりあればそれでいいと言ってくれている。
サオリとの結婚を機にマンションを借りるが
条件といった条件はなく、2LDKあればそれでええわ。


「奥様は今日は?」
「愛知にいます。あ、僕が全部決めますんで大丈夫ですよ」

どうやら不動産屋は妻が見学に来ないことが気になっていたみたいだ。

まあ、大体の夫婦がそうなんだろう。ご主人より奥さんの意見が強い。
不動産屋を安心させるために僕は「申し込みしますよ。」と爽やかに言った。

「ありがとうございます!では...」


不動産屋がまたiPadを取り出す。
チンコジョウ「093821048」を入力し、
前回と同じように審査をする。もうこれで3回目だ。


しばらくおまちください。の画面を、不動産屋と二人で見つめる。

わずか数秒がとても長くに思える。


「お客様の個人情報を確認した結果、管理会社が指定する申込基準を満たしておりません。」

「誠に申し訳ございませんがーーーー」


まただ!なんでや!?

不動産屋さんももうなだれている。

「お客さん、これちょっとやられてるかもしれませんね。」

僕もそう思った。直接貸主か管理会社に連絡を取ってもらうことをお願いした。


チンコジョウは、収入や家族構成、滞納・債務状況などいわゆる
①「個人情報」と、②「貸主と管理会社の評価」欄の2つで構成されている。

貸主と管理会社は②「貸主と管理会社の評価」に関して自由に記入や閲覧することができるのだ。

数年前、大家が元住人に対して嫌がらせとして、チンコジョウの評価をめちゃくちゃに悪くしたことが社会問題となった。理由も借主に落ち度があるとは思えないようなものでも、嫌がらせで大家が悪い評価を書き込んだり、管理会社が悪戯でうそを書き込んだりといった事件が続いた時期があったのだ。もしかして僕のチンコジョウ評価にも、何かいたずらされている可能性を疑ったのだ。

なぜこのタイミングで貸主と管理会社に連絡をとるのかというと、このチンコジョウの②「貸主と管理会社の評価」を閲覧する権限があるからだ。つまり以前の大家や管理会社が書いた僕の評価がどんなものか、いたずらがないかを確かめてもらうためだ。

「あもしもしアンニュイ不動産の鴨鍋ですが...はい、あのチンコジョウの照合を」

不動産屋が聞いてくれている。

「あ、はい。チンコジョウID 093821048です。”おくさんはじてんしゃ”でおぼえてください。」

「あ、ありました?その”貸主と管理会社の評価”という欄なんですが」

「はい...。なんて書いてます。お客さん実際普通の、いやエリートで」

「なんかありえない悪口書かれてないかなって」


不動産屋も僕のような上客をみすみす逃したくない。

当然の粘りだ。


「え?今度結婚して...。入居者2名です。え?じてん...自転車?」

不動産屋が振り返った。

「お客さん、なんかよくわかんないんですが」


「”自転車のことを奥さんって言ってるやべえやつスパ”って書いてあるんですって」


なるほどね。その件か。
「まあ、その...以前は自転車と結婚してまして...サオリが...」

「サオリがまた人を愛する気持ちを思い出させてくれたというか...」


不動産屋がキョトンとしている。

「あ、理由わかりました。それ送ってくれます?ありがとうございます。」

不動産屋があっさり電話を切った。

「大家さん、大丈夫でしたか?」

僕は不動産屋に聞いた。

「お客さん、ほらwww、あなたwwwやべえやつリスト入りしてますwww」

大家さんからiPadに僕のチンコジョウが送られてきた。

チンコジョウには

・自転車担ぎながら引越し挨拶に来てクレ5-56を配る。
・共用部で自転車ローラー台の自転車にまたがり話しかけながら漕ぐ。
・自転車のことを奥さんって言ってるやべえやつスパ

と書いてあった。

たしかに前妻を近所に紹介した。ローラー台で妻と一緒に汗を流したりした。でもそれは過去の話だ。今はサオリと愛を誓いあっている。
もう自転車を愛することはない。不動産屋も大家もわかってくれるはずだ。

「不動産屋さん、なんとかなりそうですか?」



「やべえやついるスパーーーー!!!!www」


不動産屋が走って逃げていった。不動産賃貸のIT化の壁は高い。

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