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夢中の子ども時間 ――『あな』谷川俊太郎
子どもの時間は、おとなの時間と流れ方が違うようです。
子ども時間は、夢中になればどこまで費やしても尽きることのない無限の時間。その時間を細切れにせず、使いたいだけ使うことを許してあげられたら、きっと子ども時間は豊かなものになると思うんです。
その豊かな時間は、ときに無駄なように見えて、子どもに大きな満足と幸せをもたらすと思うんですがねえ。
おはなし
「にちようびの あさ、なにも することがなかったので、ひろしは あなを ほりはじめた」
ひろしはあなを掘るのに、なにか意味を感じてそうしているわけではありません。
お母さんが「なにをしてるの?」と聞いた時の、ひろしの応えが端的に表しています。
「あなを ほってるのさ」
落とし穴をつくろうとか、池をつくろうとか、そんな何かの目的があるのではなく、ただ「あなをほってる」のです。
汗がしたたってもかまわず掘り続けます。手に豆ができても「もっともっと」と掘り続けます。妹が自分もやりたいといってきても、「だめ」といってひとりで掘り続けます。
転機が来るのは、いもむしがあなのそこからはいだしてきたとき。
ひろしは、ふっと肩の力が抜けてあなのそこに座りました。
そのときになって、ひろしはようやく気付きます。
「これは ぼくの あなだ」
子どもの時間
子どもの頃、何の目的もなく、何の利益もないのに夢中になってやり続ける。今の子どもたちはそんな経験をしたことがあるのかなあ、なんて考えてしまいました。
会社員になれば、あるプロジェクトを成功させるために時間を費やすことが日常になります。
会社は利益を追求するところ。だから、これこれの成果を上げなければならない。そのためにはこういう段取りをし、細かなタスクに分け、一日にこれだけの時間をかけて行い、終われば振り返りをして、失敗した部分は次のプロジェクトの成功のために役立てる。
そういう日々のなかで、このひろしのような純粋な気持ちを忘れてきてしまいました。
そういえば息子も小学校低学年の頃、泥団子を夢中になってつくっていた時期があります。泥を丸めて鉄球のようなどこにもでこぼこのない真球に近づけようと長時間かけて磨き上げ、ついには本当に鉄球のように輝きだすまでこするのをやめませんでした。
これだけ集中できるなら職人になればいいのにと思ったのですが、そういう功利とは関係のないことのようで、今はまったく別のことで暮らしています。
ひろしのお父さんは、子どものころの純粋な気持ちを忘れていなかったのでしょう。何の目的もなくあなをほる息子に、「あせっちゃ だめだ」と声をかけます。
ひろしの応えは「まあね」とそっけないのですが。
谷川俊太郎・作
和田 誠・絵
福音館書店
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